第26話 休息


 リトナの町を離れてほどなく、空はオレンジ色に染まり始め、逢魔が時が近づいてくる。

 リディとニケと魔獣達は影を徐々に伸ばしながら街道を歩いていた。


 リトナの町からイダンセまでは遅くても2日、馬などを使えば半日程度で着く距離だが、

 リディとニケは3日間のヒジカ狩りの休息を兼ねてのんびりと向かうことにした。


「うーん、今日はこの辺りで寝るか」


 リディはニケたちにそう言うと、足を止めて背負っていた荷物を地面へと置いた。

 そして、グリフのそばに寄り、グリフに持ってもらっている荷物を外し始めた。


「グリフ、空から近くに川があるか探してもらえるだろうか?」

「くー」


 荷物を外してもらったグリフは、リディの言葉を聞いて、空へと上がっていく。

 上空高めの高度にとると、辺りを旋回しながら水辺を探し始めた。

 グリフはしばらくそうしていると、森の上空に差し掛かった辺りで体を翻し、リディたちの方へと戻ってきた。


「くっくー」

「お、あっちにあったか。ありがとう、助かるよ」


 戻ってたグリフの頭をリディが撫でると、グリフは気持ちよさそうに目を細めた。

 グリフに水場を見つけてもらい、そちらに移動するためリディは改めて荷物を背負う。

グリフには案内のため先行して上空を飛んでもらい、グリフが背負っていた荷物はニケとリディの二人で持つようにした。


 グリフが上空を飛んでいる森の中を獣道を探しながら進んでいく。

 リディたちが進むことでガサガサという草擦れの音と鳥の声が耳に入る。

 そして、鳥の声は時間が経つにつれて徐々に虫の声に変わっていき、しばらくすると『リーンリーン』という鈴の音のような音が目立つようになっていた。


「聞こえてきたね」


 虫たちの声に別の音が混ざり始めたことに最初に気づいたのはニケだった。

 その音は徐々に大きくなり、リディの耳にも聞こえるようになる。

 夏の暑さの中で涼しさを感じさせてくれる川のせせらぎだ。


「あぁ、もう近そうだな」


 音が聞こえ始めてから少し進むと、川のせせらぎだけだった音にバシャバシャという音が混ざり始める。

 リディが不思議に思ったタイミングで森の切れ目に到達し、目の前に小川を確認できた。

 流れは緩やかだが少し水深はあり、水の汲みやすいいい塩梅の小川だ。

 バシャバシャという音がする方に目を向けると、先行していたグリフがすでに水浴びを始めていた。


「水も綺麗そうだ。ラッキーだな」


 川の場所によっては水が濁ったりしているものだが、ここの小川は綺麗だった。

 ここのところ雨は降っていないが水量も多い。上流に水量が豊富な水源があるのかも知れない。


「おーい、グリフ。水浴びなら川下の方でやってくれー」


 リディが川下の方を指差してグリフに指示を出すと、グリフは川の中をバシャバシャと音を立て、水浴びの続きをしながらリディが指を指した方へと移動した。


「ニケたちも、水浴びをするならあっちの方でな」

「うん」


 リディはニケたちにも水浴びの場所を指定すると、荷物を下ろして剣を取り出した。

 そして、川辺の草むらを適当に刈り、場所を作った。


「私は薪を拾ってくる。ニケは水浴びでもして待っていてくれ」


 リディはそう言うと森の中へ入っていき、後を追うようにケルベも続いていった。

 ニケはリディが切り開いた場所に荷物を下ろすと、少し考えてから川辺で大きめの石を集め、丸く囲うように置き始めた。


 リディとケルベは連れだって森の中でなるべく乾いている薪を探した。もうすぐ完全に日が落ちてしまう。暗くなってしまうとより探しづらくなってしまうので、作業を急いだ。


「ついて来てくれたのは嬉しいが、薪をケルベが咥えると湿気ってしまうな」

「くぅーん」


 せっかく乾いた薪を拾ってもケルベが咥えるとよだれで濡れてしまう。

 そんなリディのつぶやきにケルベが悲しげな声をあげた。


「なに、気にするな。来てくれただけでありがたい」


 リディは片手に薪を抱えながらケルベの体をなでて、更に薪拾いを続けた。

 薪の量が増えてリディが薪を抱えるようにし始めてからはケルベに薪を拾ってもらい、リディの抱えている薪の上に載せてもらうようにした。

 ケルベが短時間で咥える程度なら湿り気も問題なさそうだった。


「とりあえず、こんなものかな」


 細いもの、中ぐらいのもの、太いもの、太さを変えながら両手で抱えるほどの薪を集めた。もうこれ以上は抱えられないし、一晩の量としては十分だと思われたので、リディはニケたちのところに戻ることにした。


「おかえり」


 川辺に戻るとそう言ってニケが出迎えてくれた。リディが薪を拾っている間に水浴びをしたのだろう、ニケの髪の毛は水で濡れていて、月明かりの下でキラキラと光って見えた。


 薪を拾いに行く前にリディが切り開いた地面には石で囲いができており、リディは薪をその側に下ろして、集めた薪の中で細めのものを囲いの中央に重ねていった。


「ニケ、火を頼む」

「うん」


 細い薪の準備ができると、リディはニケに火付けをお願いする。

 ニケは指先に小さい炎の球を作ると指先で操り、それを薪の中にゆっくりと埋めていく。

 少しすると薪に火が燃え移り、薪からも炎があがり始めた。それを確認したところでニケは炎の球を小さくして消していった。


 ニケが火をつけている間にリディは集めてきた薪の中で太いものを薪割りの要領で適当な大きさに割っていくと、焚き火の近くに置いた。こうしておくことで焚き火にくべる前に少しでも乾燥せておくのだ。


「さてと、ではさっそく干し肉をいただきますか。ニケはどうやって食べる? そのまま食べるか?」

「リディは?」

「私の分は少し調理するぞ。そのままだとちょっとしょっぱいからな」

「じゃ、僕のもそれで」

「りょーかーい」


 ニケの返事を聞くとリディは干し肉の詰まった麻袋から数個を取り出し、自分の荷物から取り出した小さい袋にそれに詰め直すと、それを川の水に浸した。

 干し肉をそのまま炙っても美味いが、リディには少ししょっぱすぎるので、こうして塩抜きをするついでに干し肉を水で戻すのだ。


 川辺の石を重しにして水に浸す間に、肉を刺すための手頃な木の棒を探した。

 棒を探して時間を潰し、水に浸した肉を回収すると程よい柔らかさになっていた。水で戻した肉に棒を刺し、焚き火の上に掲げる。

濡れた肉から水が落ち、ジューという音とともに湯気が上がった。


「うーん、焼くだけしかできないとつまらんし、イダンセでスキレットでも買うかなぁ」


 スキレットがあれば煮ることも炒めることもできるし、油があれば揚げることもできる。現状の串焼きしかできない状況に比べて調理の幅が大きく広がる道具だ。


 火から少し離して掲げられた肉は、水で戻したので水分を多く含んでいて、頃合いを見て取り上げるとちょうど茹で上げたような仕上がりになる。


「いただきま~す」


 湯気を上げるそれにかぶりつくと、じゅわっと肉の旨味を含んだ汁が口の中に広がり、程よく残った塩気が舌を楽しませてくれる。


「少しは野菜もあると良かったのだが」


 リトナの町からイダンセまでの距離は短いので、出発に際して野菜を買うことはしなかったが、肉だけというのも少し味気なく感じてしまう。


「木の実とか少しあるけど、食べる?」


 ニケはそう言うと持っていた小袋から、木の実や野草などを出しリディの差し出した手のひらにのせた。


「どうしたんだ、これ?」

「さっき、採っておいた」


ニケはリディが薪を探しに行っている間に水浴びを済ませ、その後で食べられる野草などを探して収穫していたのだ。


「じゃあ、ありがたくいただこう」


 ニケから貰った木の実を口にすると、酸味が感じられ口の中をさっぱりさせてくれる。肉と木の実や野草を交互に食べることで飽きのない食事を楽しむことができた。


 食事を終えたリディとニケは今度は肉をケルベ達に分け与える。

 以前ニケに聞いたところによれば、魔獣たちには基本的には人の食事は与えず、各々勝手に狩りをさせているとのことだったので、今回の干し肉は塩抜きをして少しだけ分け与えることにした。


ケルベ達はそれをあっという間に食べてしまった。

 ケルベたちの心情は慮ることしかできないが、気に入らなければ食べないだろうし、リディはケルベたちが喜んでくれたのだと思うことにした。


「さてと、私も水浴びをしてくるか」


 食事を終えてしばらく経ってから、リディはそう言うと、カチャカチャと装備を外して身軽な格好になる。


「ニケはあっちの方を向いておくんだぞ」


 そう言ってリディは川とは反対の方に指をさす。リトナの町に来るまでも何度かあったやりとりだ。ニケはおとなしく体の向きを変えてぼんやりと焚き火の炎を見た。


 ニケの側ではケルベが寝る体制に入っていた。ニケがそんなケルベの背中を撫でると、ケルベの頭のうちの一つが『うぅ』という唸り声をあげた。それに構わずニケはケルベをなで続け、手を唸る頭の方へと持っていき、グリグリと頭を撫で続けたり、耳をつまんだりした。耳はケルベが嫌がる箇所なので、耳の入口辺りを触ると口を開けてニケの手を咥えようとをするが、本気で噛んだりはしない。じゃれるようにニケはそんなケルベの反応を楽しんだ。


 そうしていると川の方から何かが飛び込むような大きな水音が聞こえた。


「ひゃー、つめたーい」


 音と声がした方を見ると月夜の中でリディのシルエットだけが見えた。

 暗い輪郭を飾るようにばしゃばしゃと上がる水しぶきが月明かりの下でキラキラと輝いていた。


 ニケはリディの影をしばらく見ていたが、見るなと言われたことを思い出して、ケルベの体をなでるのを再開した。


「はー、さっぱりした」


 水音が聞こえなくなってから少しして、リディがニケたちの方へと戻ってきた。

 風の魔法で水を吹き飛ばし、髪はもうすっかり乾いている。


「ニケ、私の方を見なかっただろうな」

「ううん、見た」


 リディの質問にニケは正直に答えた。


「なに! ダメだぞニケ、許可なく乙女の柔肌を見るのは」

「声がしたから、でも暗くてよく見えなかった」

「そっか、ならまぁいいか……いいのか?」

「さぁ?」


 二人揃って首をかしげた。


「でもまぁ、約束を破るのは悪いことだからな、ちゃんと覚えておくんだぞ」

「うん」

「乙女の柔肌を許可なくみること、約束を破ること、この2つはダメなことだ。いいな」

「うん、わかった」


 最近の睡眠不足もあり、食事して少し時間が経つと眠気が強くなってきた。

 リディは荷物から毛布を取り出すとグリフのもとへと行き、座っているグリフの横に毛布を敷いて寝転ぶ。


「冷たい川の水浴びの後だと、グリフの温かい羽毛が気持ちいいなぁ」


 横になってグリフの羽毛を暫く撫でていたが、少しするとリディが寝息を立て始める。

 グリフはリディに翼をそっと被せてやり、リディが寝るのに合わせて自身も目を閉じた。


 リディと同じようにニケはケルベの横で毛布にくるまって寝る体制に入った。

 ニケの頭に自分の頭をこすりつけるようにケルベも体を丸めて顔を低くする。


 皆が寝静まり、一帯には虫の声だけが子守唄のように穏やかに響いていた――。

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