第27話 イダンセ


 川で水浴びをした翌日、移動はそこそこにしてケルベ達と大いに遊ぶことにした。

 イダンセのように大きな街に拠点を取るとケルベたちが隠れられるような森とは結構な距離がある。

 街に入ってしまうと、彼らに会うのが難しくなるためだ。

 イダンセの街の少し手前でこの日は遊びに費やし、翌日の朝にケルベたちと別れイダンセの街に入ることにした。


 早朝に干し肉や木の実など軽い食事をとった後に森をでて、ケルベ達と別れイダンセへと向かう。

 まだ日が昇りかけの朝の街道をニケとリディの二人だけで歩いていく。開けた平野を通る街道の先に目を向けると。イダンセ側から馬車がいくつか向かってくるのが見える。

 早朝にイダンセを出発した隊商や乗合馬車だ。

 その姿は徐々に大きくなり、すれ違う際に御者に会釈を返した。若干怪訝な顔をされたが致し方ないだろう、この時間にこの場所でイダンセへ向かっているということは野宿したということが明白だからだ。


 イダンセへと向かって更に数回会釈をした頃にイダンセの姿がはっきりと見えるようになってきた。そこからさらに、またぞろとすれ違う馬車に会釈を繰り返し、イダンセへ着く頃には十数回になっていた。

 交通の便が発達しているのはさすが大都市と言える。


 イダンセの街の入口には門が設けられ、兵士が駐在して人の出入りを監視していた。

 ここでいう兵士とは主に王都以外の警備を担当する公的な兵士、一般的には憲兵と呼ばれる者たちだ。


 憲兵は怪しい者がいれば声を掛け、街へ入る者の荷物を検めたりすることもある。

 逆に言うと堂々としていれば声は掛けられないわけだが、この時間に街を出る者達は大勢いるが、入ろうとする者はリディたち以外にはいない。

 そのため当然だが目立つし、不審感もある。


 故にリディたちが兵士に声を掛けられたのは必然と言えた。


「ちょっと行ってくる。ニケはここで待っていろ」


 リディはそう言うとニケを置いて声を掛けてきた兵士に方へ向かっていった。

 ニケはその場に立って、リディと兵士たちのやり取りを見ていた。

 時折リディを見ているニケの視線を通り過ぎる馬車が遮る。ぼーっと立っているニケに馬車の中から手をふる者があり、ニケも手を振り返した。


 リディはまだ通行許可が取れないのかずっと兵士と話している。

 しばらく喧喧囂囂と兵士と話した後で、リディはニケの方へと戻ってきた。


「まったく、頭の固い兵士め。怪しいものじゃないと言っているのに」

「街に入れないの?」

「いや、詰所に連れて行ってもらうことにした」


 リディは呼び止められた兵士に、ただ旅をしているだけだと告げたのだが対応した兵士は頑として通行許可を出してはくれなかった。

 なんでも、話を聞いてみると上司から厳しく警備するよう言い渡されているのだそうだ。

 職務を忠実に遂行する兵士がいるのは良いことだが、それで街へ入れないのも困ったものである。


 埒が明かないのでリディは兵士に彼の上司に会わせてくれるよう頼み込んだ。

 通常、街へ入る際にはどんなに警備が厳しくても、荷物を検められるぐらいだが、いくらおかしな時間帯にやってきたとはいえ、そもそも街へ入ることも許されないというのははっきり言って異常だ。

 彼の上司に会わせてもらうのは、街に入る許可を得ることが目的だが、これだけ厳しい警備になっている理由もリディは知りたかった。

 もしかすると村が消えているという噂に繋がる可能性もあるからだ。



「ここで待ってろ。ポリム様に確認してくる」


 兵士に連れられてとある建物の前に来たところで、兵士はそう言って建物の中に入っていった。

 ご丁寧に建物前にいた別の兵士にリディたちを見張るように言いつけている。


 別に逃げる気もないので、それは問題ないのだが、言いつけられた兵士がリディたちを厳しい目で見つめるものだから、居心地はあまり良くない。

 場の雰囲気を和ませようとリディはにこやかな笑顔で手を振ってみたが、反応はなかった。


「ニケ、こんなに麗しい乙女が手を振っているのに無視するのはひどいと思わないか?」


 これみよがしに言ってみるが、兵士の反応はなかった。

 ついでにニケの反応もなかった。



「おい、入れ」


 中から扉を開けて声を掛けてきたのは、リディたちをここに連れてきた憲兵だった。

 彼に従い、建物の中へ入り先導されるままについていく。


 この建物の最上階である3階へと上がり、扉に『偉い人がいます』とでも書いてありそうな重苦しい扉の前へと連れてこられる。


 憲兵が扉をノックすると中から『入れ』という声が聞こえた。


 リディたちが中へ入ると外側からここへ先導してきた憲兵が扉を閉めた。彼はこの場には参加しないようだ。

 部屋の奥側に木製のしっかりとしたテーブルが置いてあり、この部屋の主と思われる人物が書類に目を通していた。

 部屋の両脇には書類棚があり、中にはぎっしりと書類が詰められている。書類の量に対して整理はしっかりとなされており、この街の憲兵隊の質の高さをうかがい知ることができた。


「私に会いたいというのは君か?」


 書類の確認が一段落してから顔をあげたのは大柄な黒髪の中年の男性で、頭には犬のような耳がついている。先程憲兵が『ポリム様』という名前を口にしていたし、この男性がその『ポリム様』であろうことが推察できる。


「あぁ、私は街に入りたかっただけなのだが、先程の憲兵殿がどうしても通してくれなくてな。上司からの指示だと言うものだから、直接話をさせてくれと申し出させてもらった」

「まぁ、時間が時間だしな。怪しいと言われても君自身否定はできんだろう。この時間に街に到着するには他の街から夜通し歩いてきたか、近場で野宿をしたかのどちらかだ。いずれにせよ訳ありだと、私もそう判断するね」


 ポリムは机に片肘をつき、顎に手を当ててリディを見る。


「訳ありなのを否定はしないし、野宿したのは事実だ。目をつけられるのは別に構わない。ただ、それで街に入ることすら許されないのは、いささか厳しすぎないだろうか?」

「まぁ、君の言い分はわかる。だが、訳ありなのは我々も同じでね。警備を厳しくするそれなりの理由があるのさ」


 ポリムのいう理由にリディは思い当たるものがあった。北の村が消えているという件だ。

 憲兵隊が北の村が消えているという事実を把握しているとすると、警備を強化するということにも合点がいく。


「でも自ら自分は怪しいというのも珍しいな。君への信頼度が3ポイント上がったよ」

「それは何ポイントになると街に入れるんだ?」

「んー、決めていなかったが。まぁ10ポイントかな?」


 ポイントは完全にポリムのさじ加減だが、リディはこのゲームに乗ることにした。

 別に負けたとしてもリディが損をするわけでもない。このまま何もしなければ街へは入れてもらえないようだし、街に入れるチャンスが来ただけだ。


「それで、警備を強化している理由は?」

「ふむ、その前に君が悪人でないことを確認させてくれるだろうか?」


 ポリムは突然そんなことを言い出す。

 確かにリディが悪人だとしたら、これから行われる会話は悪人に情報を流すことになる。

 なので、その前にリディ自身が悪人でないことを証明しろというのだ。


 ポリムの言葉を聞いてリディは荷物からギルド帳を出し、ポリムに手渡した。


「なるほど、ギルド帳ね。まぁ確かに悪党はギルドの依頼をこなそうなんぞ思わないな」


 ポリムはペラペラとギルド帳をめくり内容に目を通す。

 しかし、リディが今までにこなした依頼は2件だけ。内容の確認はすぐに終わった。


「王都での薬草取りに、リトナでのヒジカ退治ね。件数は少ないがヒジカ退治はなかなかのもんだな18頭もどうやって狩ったんだ?」

「3日間の徹夜して夜に6頭ずつ仕留めた」


 ポリムの質問にリディは簡潔明瞭に答えた。


「はっはっは、なるほどわかりやすいな」 


 リディの答えにポリムは大声で笑った。


「何かおかしかっただろうか?」

「いや、ギルドの依頼とはいえ3日間連続で徹夜できる人間は善人で決まりだと思っただけさ」


 リディはいまいちピンと来ていなかったが、ポリムはリディを善人と判断したらしい。


「3日の徹夜でなぜ善人なんだ?」

「あんた、そんななりの割にだいぶ育ちがいいんだな。3日の徹夜どころか、誰かのために何かをするだけでも、なかなかのお人好しだぜ」

「誰かのために何かをするのは当たり前のことではないのか?」

「その答えでもう十分だよ、あんたは善人だ。信頼度はもう10ポイントを大きく超えたよ。逆に心配になるぐらいだ」


 ポリムはお手上げといった形で両手を広げ、呆れるようにそう言った。


「いいだろう話そうじゃないか。警備を強化している理由、今この辺りで起こっていることを」


 イダンセは大都市だけあって、その周囲の広い範囲にも多くの町や村が存在している。

 リトナの町もその一つだ。

 最初に異変が起きたのは今からちょうど一年前、イダンセの地からかなり北方へ離れた場所にある村で起こった。

 その村は突如として何者かに焼き払われ、一晩にして滅んでしまったのだ。


 その村はイダンセを領地に含むアキュレティ領外にあり、ポリムたち憲兵にとっては管轄外である。 そのためポリムも又聞きとなったのだが、現場を見た者によると村に生存者はなく、燃え尽きた家にチリチリと残る炎は『黒い炎』だったというのだ。


 その話を聞いて、うつむき気味だったニケが話に集中するように顔をあげる。


 焼き払われた村が一つであれば、盗賊の集団が村を襲い焼き払ったという線が有力になるのだが、事件は村一つでは終わらなかった。

 最初の事件が起きてから二月ほどが経ってから、また同じような事件が起こった。

 最初の村から少し南下したところにある、これも小さな村だった。


 そして、その後も同様の事件は続き、現場がアキュレティ領内となることも多くなり、

 数ヶ月前になると一月に2,3件と件数も増え、いよいよイダンセの側まで被害が迫ってきていた。


 憲兵隊も現場へと赴き調査を行っているのだが、犯人の動向がつかめない。

 村は決まって焼き払われており、逃げ延びようとしたであろう人々は黒焦げの死体となって発見された。


「ニケ、これは……」

「うん。たぶん僕の村を襲ったのと同じやつ」


 ポリムの話を聞いて、ニケは犯人が自分の村を襲ったのと同じ存在だと感じた。

 村を焼き払われ、家族を殺されてからずっとケルベたちと追い続けていた黒き竜だ。


「犯人の手がかりは何かあるのか?」


 ニケが追っているヤツの手がかりがあるのならば是が非でも知りたい。

 だが、ポリムから返ってきた言葉は芳しいものではなかった。


「いや、情報の分析は進めているが、あまり良い状況ではない」


 被害が北から始まったのは間違いないが、襲われる村に規則性はなく、犯人を待ち伏せることもできない。

 現在警備は憲兵と、領主の私兵とで行っているが、それを合わせても全ての村に兵を派遣するわけにもいかず、商人らの報告で被害が判明してから兵を派遣する形となってしまう。結果的に後手に回ってしまう状況であり、捜査は難航していた。

 なにより、犯人は村を焼き払ってしまうため、証拠が残りづらいということも状況を難しくしている要因だった。


「我々憲兵や領主様の私兵隊も最近はイダンセ外の町々の警備にもあたっているのだが、状況は芳しくないな。だが、ここ最近起こった事件では犯行の綻びが見え始めている」

「……というと?」


 ポリムの話では最近の犯行には、以前にはなかった雑さが見えてきたらしく、被害にあった村に生存者がいることもあった。


「生存者の話では村が炎で燃え上がった後、村から逃げる人影をみた……と」

「人を見た?」

「?……あぁ、そう言っていた」


 被害者が人影を見たとなると、リディの見立てと話が変わってくる。

 ニケの村を襲ったヤツが犯人だとすると人影など見られるはずもない。

 襲われた被害者が混乱していたかあるいは……。


「ポリム殿」

「なんだ」

「その生存者がいたという村と以前の、そうだな、犯行に雑さが出る前に被害にあった村の場所を教えてもらえるだろうか?」


 滅ぼされた村の現場を見れば何かわかるかも知れない。

 だが――。


「それはできない」


 ポリムから返ってきたのは不承の返事だった。


「君のことは先程も言ったとおり善人だと思っているが、捜査に関することは機密情報だ。おいそれと人に教えることはできない」


 素人にむやみに現場を荒らされても困るし、リディから犯人に捜査情報が漏れる可能性もある。


「そうか、では少し話を変えよう。例えば王都の騎士、そうだな……近衛騎士隊の隊士が、協力すると申し出た場合はどうだ?」

「ふむ、近衛騎士といえば王族の警護にあたられる騎士だろう?貴族出身者も多いと聞くし、捜査協力してもらえるというならこちらとしてはありがたいが……」

「わかった。では協力しよう」


 リディはポリムに向かってニヤリと笑った。


「……何を言っているんだ、君は?」

「ポリム殿が言ったではないか、王都の近衛騎士が協力してくれるとありがたいと」

「それと君が協力するのと何の関係が……」

「だ・か・ら、近衛騎士である私が事件の捜査に協力したいと申し出ているのだ」


 リディの言葉を聞いてポリムはぽかんとしたまま、リディを見ている。


「近衛騎士?……君が?」

「あぁ、そうだ。まぁ正確には休業中だが、そこは問題ないだろう」


 ポリムはまだ現実を受け入れられないのか、リディの方を呆けた顔で見ている。

 それもそのはずだ、王都の近衛騎士いえば王族を守るための精鋭部隊。リディの若さで所属しているとなればそれは異例なことだった。


「しょ、証拠はなにかあるか? ほ、本当だとしたらぜひ協力してもらいたいが、すまない、まだ君のことが信じきれない」

「まぁ、そうだな。こんなうら若き乙女が近衛騎士とか、簡単に信じられないだろうな。実際私以外はむさ苦しい男たちばかりだし。それで、えっと証拠、しょーこ」


 リディは自前の巾着袋を開き、手を突っ込むと、あれでもないこれでもないと、ゴソゴソと中身を漁った。


「これでどうだろうか」


 リディがポリムに差し出したのは剣と竜があしらわれた徽章だった。

 王都の近衛騎士だけがつけることを許される、近衛騎士であることを証明するものだ。


 ポリムはリディの差し出した徽章をじっとみつめる。

 その指は少し震えているようにも見えた。


「……本物だ、間違いない」

「そんなに簡単に信じて大丈夫か? 偽物かもしれんぞ」

「いや、間違いない。近衛騎士は私のあこがれでね。昔はこれをつけることを夢に生きていた。残念ながら夢は叶わなかったが、今でもあこがれは変わらない。見間違えようもないさ」


 ポリムは瞳に光を灯して、じっとリディの徽章を見つめていた。


「それで、例の被害にあった村を教えてもらえるだろうか?」

「あ、あぁ。そうだったな。あぁいや、そうでしたね」

「言葉遣いは今までどおりで」

「は、はい……」

「……」

「い、いや。わかった」


 リディが近衛騎士であることを知ってポリムはなんともやりづらそうな雰囲気だ。

 子供の頃から憧れた近衛騎士だったが、まさかこんな小娘が自分がそうだと名乗り出るとは思っていなかったことだろう。

 憧れの近衛騎士に出会えた喜びと、その実像が年端も行かぬ小娘という乖離をうまく飲み込めずにいるように見えた。


「地図は持っているか?」

「持ってはいるが、この地域の話をするには縮尺が小さいと思うな」

「そうか、ではこちらの地図を貸そう、ちょっと待ってくれ」


 ポリムは部屋にある棚へと向かい、その中から地図を取り出した。


 そして、机の上に広げリディたちの前で被害にあった村や集落の位置を説明する。

 最初に被害が確認された村が一番北にあり、被害は徐々に南下し、イダンセの手前あたりで、被害が広くなっていることが地図に印をつけることで、わかりやすく把握できた。

 全部で10と少し、小さな集落ばかりだとしても被害者の数は相当なものだ。


「たしかに、わかりやすくイダンセ周囲で被害が増えているな……」

「それで、犯行に雑さが出る前後の村だったな、ここから近いのだと……ここと、ここだな」


 ポリムは地図上の被害にあった村の印のうち2つに丸を書いた。

 一つはこの街から1日ほどの距離にあるダーロンという村、もう一つはこの街から3日ほどの距離にあるルナークという村だ。


「明日から私達はこの2つの村へ向かう。現場を見れば何かわかるかも知れない」

「あぁ、わかった。何かわかったら教えてくれ。警備を強化してはいるが、いつイダンセで被害が起こるとも分からない」


 ポリムから聞いた話では事件の間隔は徐々に狭まっている。現状では犯人も犯行の目的も特定できておらず、イダンセに被害が及ばないという保証もなかった。

 だから憲兵隊としては一刻も早い、犯人及び犯行目的の特定が急務だった。


「あ、そうだ」

「何かね?」

「憲兵隊は街に入るものを警戒しているのだったな」

「あぁ、そうだが」

「それなんだが、街から『出るもの』にも注意を向けるように指示してもらえるだろうか?」

「それは一体……」

「まだただの推測なので詳しい説明は省くが、特徴的な者がいたらメモして記録しておくようにしてもらってくれ」


 リディはポリムにそう伝えると、互いにそれぞれの情報提供を約束し、この場はお開きとなった。

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