第6話 同行

 空が白み、小鳥の声が聞こえる。遠くでは鶏が早すぎる朝を告げる声を上げている。夜露に濡れた草に頬が当たり、リディは目を覚ました。


「ん、んん」


 目を覚ますと、自分でかけた覚えのない毛布が掛けられていた。周りを見ればグリフォンの翼を布団に寝る少年の姿。どうやらいつも使っている毛布をリディに譲ってくれたらしい。

 立ち上がり、体を伸ばして朝の冷たい空気を大きく吸い込む。強い痛みは感じない。おおむね回復できたようだ。

 振り向くとソファ代わりにしていたケルベロスの頭の一つが目を覚ましてリディを見ていた。朝の日の下でその目は透き通るような青い色をしていた。


「暖かかったよ。ありがとう」


 リディが彼の頭をひと撫でして礼を言うと、彼も『ウォン』と返礼して、再び目をつむった。


 目が覚めても、体の動きがぎこちない。体を起こすために節々を伸ばしていく。一通りストレッチが終わるころ、回復に体力を使ったからか、今度は空腹が主張の声をあげていた。


「そういえば昨日の昼から何も食べてない。何か捕ってくるか」


 リディは昨日外したプレートを身に着け、毛布を手に取ると、グリフォンに寄り添って眠る少年へと近づいた。


「暖かそうだし、これはいらないか」


 毛布を畳み、少年の近くへ置くと、リディは森の中へと入っていった。



 パチ、パチとはじける、昨日消したはずの焚火の音で少年は目を覚ました。目を開けると、金髪の女性が焚火のそばで胡坐をかいていた。『まだかな、まだかな~』というのんきな歌が聞こえてくる。


「お、起きたか、おはよう少年。もうすぐ焼けるぞ、君も食べるだろ?」


 焚火の周りには串刺しにされた魚が並べられていた。あぶられた魚から油が滴り、香ばしい香りを周囲に振りまいている。


「……どうしたのこれ?」

「……」


 リディは少年の問には答えずに、何かを気にして少年の方を見ていた。


「少年、朝起きたらおはようだ」

「あ、……お、おはよう」


 少年が素直に朝の挨拶をすると、リディは再び焚き火に目を向ける。


「朝の運動がてら近くの川でとってきたんだ」

「……素手で?」

「乙女はそんなことしない。魔法でビリっとね」

「ふーん」


 魔法はほとんどの人が使えるが、その力の大きさはピンキリだ。大部分の人は日常生活をちょっと便利にする程度の魔法しか使えない。

 戦いに使用できる程度の力となると十人に一人ぐらいだ。その力は希少であるため、王都にある王立の士官学校では魔力が大きいものは入学試験が一部免除になったりもする。有用な力を育て、国の力とするためだ。


「少年も魔法が使えるのか?」

「うん……。でもビリッとはできない」

「そうか、まぁ魔法には相性があるからな」


 この少年は雷を出す魔法は使えないということだった。


 リディは受け答えをしながら、魚を刺した串に手を伸ばすと、『いただきます!』と言って魚の横腹にかぶりついた。皮が破れるとほくほくとした白い身が現れる。調味料がないので味気なかったが、リディはむさぼるように食いついていた。


「それが、……乙女の食べ方?」

「串焼きを上品に食べろというのはなかなかの無理難題だな。今は乙女は休業だ。ほら、少年も食べていいぞ」

「うん」


 少年はリディから魚を受け取りかぶりつこうとする。


「ちょっと待った」


 すぐに魚に食いつこうとした少年をリディは止めた。


「少年、『ありがとう』と『いただきます』、だ」


 リディはそう言うと、少年の動きを待つ。


「あ、ありがとう。……いただきます」


 少年は小さい声でそう言うと、リディは『召し上がれ』と言って少年を促した。

 促された少年はリディから渡された魚にかぶりつく。しかし、一口が小さく、食べ方はリディよりも上品に見える。リディはがつがつと、少年はもそもそと朝食代わりの川魚の串焼きを食べ続けた。


「はー、食べた食べた。味付けがないのがいまいちだが、新鮮さに勝る調味料はないな」


 二人で5,6匹の魚を平らげ、リディが腹をたたいた。少年も満足したのか、昨晩と同じ体勢で炎を見つめていた。


「少年、改めてお礼を言わせてくれ、昨日は介抱してくれてありがとう」

「お礼、言わなくてもいい……。怪我させたの、こっち、だから……」

「そうかもしれないが、君は気絶した私をそのままにしていくこともできただろう? しかし、君は私を安全なところまで運んでくれた。それに対しては、やはり礼を言うべきだと思ったんだ。まぁ、お礼なんて半分は言う側の自己満足だ、適当に聞き流してくれ」


 リディはそう言って、少年に向かってほほ笑んだ。


「そういえば、自己紹介がまだだったな。私はリディ、少し前まで王都で騎士をしていて、今は国中を回る旅をしている。君は? 君もこの子らと旅をしているのか?」


 リディは、少年にも自己紹介を促した。


「旅、……かな? わかんない。けど……たぶん、旅」


 少年の口からは歯切れの悪い答えがこぼれる。魔獣と旅しているというだけで、かなり訳ありだ。しかし、一晩一緒にいただけだが、少年が悪人ではないことはわかる。少年が悪人であれば、リディは気絶したままほっとかれていただろうし、さらに言うなら、連れている魔獣たちのエサにされていてもおかしくはない。

 しかし、少年はリディを介抱し、リディが寝ている間に金品、装備がなくなっているということもなかった。少年が普通の人間であればリディを油断させるためという意味合いも出てくるが、魔獣3体を従える少年と圧倒的な力の差がある今、そんなことは無意味である。欲しいものがあればリディを簡単に殺して奪うことができるのだから。

 そうしないということは少なくとも少年に悪意はない。だから、リディは少年と意思疎通を図ろうと思ったのである。


「なにか、言いにくい目的があるのか?」

「捕まえたい……殺さないといけない、やつが……いる」


 少年の言葉を聞いて、リディは押し黙った。

 復讐というと身内や親しい人、あるいは自分自身が盗賊団の被害にあったというところだろうか。

盗賊団に村が襲われるという話はさして珍しい話でもない。王都近辺や大都市では騎士団や憲兵が目を光らせていることもあり比較的被害は少ないが、王都や大都市から離れるほどこの手の被害は増えていく。騎士や憲兵も好きで放置しているわけではないが、国中の被害を収めるためには人手も足りず、辺境の多くの村々はヨルクル村のように自警団に頼っている。

 しかし、普段農作業をしている自警団と人々から奪うことを生業とする盗賊団との勝敗は火を見るよりも明らかだろう。周辺の村にとって自警のための最優先手段は盗賊団に目を付けられないことなのだ。


「村を盗賊に襲われでもしたか」


 騎士団に所属していた時にその手の事情を把握していたリディは、憚られながらも復讐の理由を尋ねた。この少年に害をなした者たちが今も世にのさばっているのであれば、騎士の端くれとして捕縛し、憲兵へ突き出すことをしなければならないからだ。しかし、少年の事情はそうではなかった。


「盗賊……じゃない……」

「じゃあ、君が復讐したい相手は誰なんだ?」

「……『黒き竜』。おとぎ話にでてくる……やつ」


 『黒き竜』と『白き竜』はこの国にいるものであれば知らないものはいないほどの有名な物語に登場する存在である。

 はるか昔、この国が成立する以前の話。この国には『黒き竜』と『白き竜』がいた。『黒き竜』は破滅の竜であり、村や街を襲っては、破壊の限りを尽くした。また、世界に魔素を撒き散らし、生き物を魔獣化させた。

 これを憂いた『白き竜』はある人間と共に『黒き竜』を滅ぼすための戦いを起こし、七日七晩にも及ぶ戦いの末、『黒き竜』を滅ぼしたという。

この『白き竜』とともに戦った人間こそが、リディたちが暮らす国の初代国王であり、ともに戦った『白き竜』はこの世界を救った存在として今も崇められている。

 初代国王は『白き竜』を寵愛し、絶対的な権限を与え、史実なのか、架空の伝説なのか、もはや誰にも分からない今日でも国法には立法に際して「議会の三分のニ、または竜の承認を得ること」という節が残っている。

 竜が現れなくなった今、この物語が史実だと思っているものはいない。しかし国民はこの話を英雄譚として、おとぎ話として、寝物語として語り継いでいる。


「信じない……よね」


 少年は焚き火を見つめたまま寂しげにつぶやく。

 リディは正直少年の話を信じることができなかった。騎士団にいた頃、魔獣の退治には何度も駆り出された。しかし、騎士団をやめるまで竜にまつわる話は聞くことがなかった。

 リディの中でも竜の存在はおとぎ話の存在。現実にいるとは思っていなかった。


「アレ、は……黒い霧をまとって、黒い炎を吐いてた……」


 ――そして、村を焼き尽くした。


 村で生き残ったのは、少年のみ。村は管轄していた領主のもと放棄され、今は誰も住まない廃墟となっているはずだと少年は語った。


「本当に『黒き竜』か分からない……。でも、僕の村を襲ったのは……いる。それを、ずっと探してる……」


 子供が両親を失い、一人で生き抜くなど並大抵ではない。

 聞けば『黒き竜』に関する手がかりもなく、国中をあてもなく彷徨っているという。


「そうか、大変だったな……」


 今日この日までの少年の苦難を想像し、リディは胸を痛めた。

 そして、目を覚ましてからずっと気になっていることを少年に聞くことにした。


「この魔獣達は何なんだ?魔獣が人になつくなど聞いたこともないぞ」

「僕の住んでいた村はちょっと……特殊……だった」


 少年の住んでいた村は王都から遠く離れた北方にあった。村自体の標高も高いが、村の周囲を更に高い山々に囲われ、訪れるものも少ない隠れ里のような村だった。

 村の人々は農業を基本としながら、北方に生息する強大な魔獣を狩り、そこで得られた牙や皮などを加工し、王都や麓の村で商人に売ることで生計を立てていた。


「北方の魔獣を……、北に住む魔獣はとんでもない強さだぞ、君の村の人たちはそんなに強かったのか」

「ううん、人並外れた強さを持った人はそんなにいなかった……と思う」

「なら、どうやって北方の魔獣を狩るというのだ。北方の魔獣の強さなどブータを狩るのとは訳が違うぞ」


 リディの言うことはもっともだった。

 だが、少年の村が魔獣退治を生業とすることができたのには、少年の一族の力が理由だった。少年の一族は魔獣を従えることができた。そして、魔獣の力を借りて他の強大な魔獣を狩っていたのだ。


「なるほど、強力な魔獣には強力な魔獣で対抗していたわけか」


魔獣と呼ばれる獣が生まれるのは2つのパターンがある。

一つは世の中に普遍的に存在している魔素が集まり自然発生的に生まれる場合。特に何らかのきっかけで魔素溜まりと呼ばれる魔素が集中してしまう場所ができると、多くの魔獣が生まれたり強大な魔獣が生まれる場合もある。

 もう一つは、元来普通の動物だったモノが徐々に魔素に染まり、魔獣化する場合だ。生まれてから世に撒かれた魔素を吸い続けることによって魔獣化し、凶暴性を持ってしまう。稀に飼育している場所の近くに魔素溜まりが生まれ、家畜が魔獣化する例もある。


「この子たちの目、見て……」


少年に促され、リディはグリフォンの目を見てみた。グリフォンの右目は傷跡によって潰されていた。そして左目には魔獣特有の赤い目ではなく、透き通った青い目があった。


「青い、目?」


 そういえばと思い、リディはさっき見たケルベロスの目を見る。こっちも青い。

 人を襲うような凶暴な魔獣は、その全てが赤い目を持っている。ヨルクル村で退治したブータも、リディが以前騎士団に所属していたときに退治した魔獣の目も赤かった。


 しかし、このグリフォンの、いやケルベロスの目も、バジリスクの目も赤くはない。


 つまり――。


「この子たちは魔獣じゃ……ない。僕の、友達……」


 少年はそう言ってグリフォンの頭を優しく撫でた。



 朝食と話を終えてリディは出発の準備を整えた。

 昨日グルザと別れた場所に置いたままだった荷物も回収してある。


「さてと、私はそろそろ出発するが、少年はどうする?」

「お姉さんは……どこに行くの?」

「私か?私はこの先の町に向かうぞ、手紙も出さねばならんしな」

「手紙?」

「あぁ、ヨルクル村の人たちに私が無事なことを知らせないといけないからな。短い間だがずいぶん世話になったし、その私が自分たちのせいで死んだと思っていたら寝覚めも悪いだろう」


 リディがグルザを村に戻した後、リディはバジリスクの一撃をくらい気絶してしまったため、ヨルクル村の人たちと連絡を取ることができていない。

 商隊のグリフォンを見たという知らせを受けて村民たちはより守りの固い隣の街まで避難したはずだし、グルザ達にリディの無事を知らせてやらねば、村のことに巻き込んだせいでリディを死なせてしまったと気に病んでしまうだろう。

 そう思わせないためにリディは次の町から手紙を出そうと思っていた。


「ついていっても……いい?」

「私は構わないが……いいのか?」

「もともと、どこに行けばいいのか……わからないから……」


 少年は当てもなく『黒き竜』を探していると言っていた。

 自身と違って社交性のあるリディと共に行けば、何か手がかりが掴めるかもしれないと考えたようだ。


「わかった。私もお前の竜探しを手伝ってやろう」

「……いいの?」


 ここまでずっとうつむきがちだった少年が、顔を上げてリディと目をあわせた。


「あぁ、私の旅もあてのある旅ではないしな」


 リディももともと国を見て回るという、特に目的のない旅をするために王都を飛び出した身だ。そこに意味を与えてくれる少年と出会ったのも何かの縁だと思った。


「ただ、一緒に行く前に一つ教えてくれ」

「……何?」

「名前だ、少年の名前。私の名前はリディ。キミの名前は?」


 村を失ってから、少年はずっと一人で旅をしてきた。その間名前を名乗る必要などなかった。少年が自分の名前を口にするのは、旅を始めてから初めてのことだった。


「ニケ……僕の名前は、ニケ」

「そうか、よろしくな。ニケ!」


 リディは太陽のような明るい笑顔で、手を差し伸べた。


「うん、よろしく。……リディ」


 ニケは夜を静かに照らす月のような穏やかな笑みを浮かべて、リディの手を握った。

 ニケが名前を誰かに呼ばれるのも、旅を始めてから初めてのことだった――。


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