第30話 始動①
急遽、藍川が部屋に上がることになった。
全く片付けも何もされて無い状態だったが、そこはもうどうだってよかった。
母に言って藍川を招き入れると、そのまま案内されて藍川がやってきた。
第一声は、
「久しぶり」
だった。
それだけ言うと、じっくりと部屋を眺め回した後でもう一度、
「思ったより綺麗」
と口を開いた。
常葉はベッドに腰掛けて、制服姿の藍川を見ていた。
随分と長い間見ていなかったような気がして、とても懐かしい気持ちになる。
これは、安心しているのだろうか。
よく分からなかった。
けれど少なくとも、何となく気分がいいのも確かだった。
「わざわざ、ごめん」常葉はゆっくりと話す。
「謝る必要無し」
ばっさりと切り捨て藍川は、適当なところにカバンを下ろすと、そのままカーペットの上で正座した。
正座して、常葉を真っ直ぐ見た。
「大丈夫ではなさそうだけど、でも、思ったより元気そうで安心した」
そう言って少し笑った。
藍川にしてはあまりにも無防備な笑顔だったから、不覚にも常葉はドキッとしてしまったが、すぐに平静を保とうとして目を背けた。
「心配かけて、ごめん、ほんとに」
「だから、謝る必要は無いって」
「……学校は、どう?」
言葉が足らない、と自分でも思った。
「相変わらず、一之瀬は有名人のまま。私よりね」
けれど藍川は聞きたかったことを的確に、隠さずストレートに答えてくれた。
「諏訪さんは?」
「色々と考えてくれてる」
「……じゃあ、藍川さんは?」
「私は……」藍川は一拍置いた。「私は、スッキリした、かな」
「スッキリ?」
「そう、スッキリ」藍川は立ち上がった。「難しいことはもう、考えないようにしたから」
そのまま藍川は、常葉の目の前にあるPCチェアに腰掛けると、くるっと旋回させて常葉と対面した。
「それは良かったね」
「もう少し自分のことを考えなさい」藍川の話し方が少しきつくなる。「私たちのことはどうだっていいから」
「自分のことの方がどうだっていいよ」
次の瞬間、俯いたままの常葉の頭が強制的に持ち上げられた。
物凄く近い距離に、藍川の顔がある。まつ毛の一本一本までもが鮮明に見えて、決意にみなぎった輝く瞳が、常葉の目に飛び込んできた。
「そういうこと、言わない」
藍川は強い口調でそう言うと、そっと常葉の頭を離し、自身の顔を遠ざけた。
「……ごめん」
「だから、謝らない」
少し雰囲気が変わった、と思う。
常葉に気を遣っているからだろうか。
それともしばらく会っていないというブランクが、妙な印象を生み出しているだけだろうか。
……けれど。
どちらにしても、優しい感じだった。
今の荒みきった常葉の心に、温かく浸透していくような、そんな感じ。
「大事な話がある」
藍川の言葉に、常葉はきちんと自分から顔を上げて、彼女の目を見た。
「なに?」
「実は、会長と会ってきたの。いや、会長が会いに来たの。私のところへ」
藍川は椅子から立ち上がると「それで」と自分のカバンの中をまさぐって、何かを取り出し、再びPCチェアのところに戻ってくる。
「これを渡された」
藍川が常葉に差し出してくるソレは、常葉が一番見覚えのあるものだった。
まさか、と。
常葉は声を失って、ただ藍川に疑問の視線を投げかけた。
「牧野君のカバンに入っていたのを、会長が見つけた。この中には、黒河内を脅せるぐらいの、強力な証拠が入っている。会長は、中身を聞いた」
「え……?」常葉は素っ頓狂な声を上げる。「それじゃあ――」
「でも、これは使わない」
さらっと、藍川はそう言った。
よく分からない。
「……ど、どういうこと?」
「そのままの意味。これを使って、黒河内を脅そうとは考えてない」
「全く理解できないんだけど」
「どうして黒河内がうちの学校に来たか、覚えてる?」
突然の質問に、常葉は頭を回した。
ここ数日間動いていなかった思考が、徐々に働いていく。
「えっと確か……入学者減少、じゃなかったっけ?」
「そう、その通り」藍川は指を立てた。「じゃあ、別の手段を使って入学者が増やせるとしたら? そうしたら、黒河内がいる必要は?」
「……確かに、必要なくなる」常葉は頭を振った。「いやでも、仮にそんな手段があったとして、黒河内の存在が消えるわけじゃない。学校側だって『じゃあ要りません』とはならないでしょ」常葉はそこで思い出したように藍川を見た。「……もしかして、そこでそれを使うの?」
常葉は藍川が手で握っている盗聴器を見た。
「まあ結局は……半分脅すような形になるけど、つまりそういうこと。今まで学校側の問題を全く考えていなかったでしょ? 元を解決しないとどうしようもないから」
つまり藍川は、その『別の方法』で入学者問題が解決する状況を作り、黒河内に自主的に手を退かせようとしているわけだ。自主的に、とは言っても、そこで盗聴器を使って脅すのだが。
「分かった、理屈は」常葉は前のめりになる。「でも、その入学者を増やせる『別の手段』なんて、そう簡単には見つけられっこ無いよ」
そういうと、藍川は勝ち誇ったような笑みを見せた。
常葉の心臓がドクッと、一際大きく脈打つ。
……その笑い方は、会長ととてもよく似ていた。
「実は、もう見つけてある。その方法ってやつ」藍川も前のめりになる。
「なに?」
「PV」藍川はニッと笑う。「学校宣伝用のPVを作る」
なんだって?
「……本気?」
「冗談言うと思う?」
「正直、勝算は低いと思う」常葉はキッパリ言う。
「そんなことない」藍川はすぐに否定した。「黒河内は『勉強』を推す。だったら私たちは『楽しさ』を推す。『楽しい』方が学生は食いつくに決まってる。で、その『楽しさ』を表現するために、動画を作るノウハウがある一之瀬の力が必要になる」
「え……?」常葉は目を丸くした。「僕?」
藍川は柔らかな笑みを浮かべた。
「それとも、もう何かを創ったり、みんなを楽しませようとするのは、嫌?」
嫌なもんか。
と、頭の中の別の常葉が即答した。
その通りだ。
「嫌なわけが無い」
「良かった」藍川はホッとした表情を浮かべながら、背もたれに深く体を預けた。「嫌って言われたどうしようかと思った」
「でも、こんなことよく考えたね。あ、もしかして諏訪さんの案?」
「違う」
「へぇ、藍川さんが」
「それも違う」
「……え?」常葉は小首を傾げる。
「会長さん。PV作戦に関しては、全部、あの人が考えた」
会長が……?
半ば信じられなかったが、藍川の言葉に嘘の気配は全く見られなかった。
涼のカバンから発見された盗聴器の件で、会長は黒河内サイドから離れたのだろうか。それでこちらに協力的になったいうのか。
そうだったら、良いと思う。
けれどそう思う一方で、まだ顔を合わせる準備はまるで整っていないのも事実だった。
そんな風に思う傍らで、作戦について考えていた別の思考回路が、重大な欠陥を発見した。
……なるほど。確かに爪の甘さは会長らしいと言える。
「藍川さん」
「なに?」
「そのPV作戦だけど、どの面子で作るわけ?」
「私と一之瀬と諏訪さんの三人」藍川は淡々と言う。
「PVってさ、要はものすごく人気にならないと駄目なわけだよね?」
「そうだね」
「そのメンバーで、大ヒットするぐらいのクオリティに仕上げられるとは、ちょっと思えないんだけど」常葉は真剣な表情で語る。「別に悲観的に見てるわけじゃなくて、割と現実的に」
「分かってるよ」
「いや、分かってな――」
「その件で、実はもう一つ、一之瀬に言って無いことがある」藍川は真顔になって、常葉の瞳をじっと見据えた。「私がずっと、秘密にしてたことがある」
先ほどまでやたらと笑みを浮かべていた雰囲気とは打って変わって、突然の物静かで真剣な藍川の表情に、常葉は思わず息を呑んだ。
だから、そっと耳を傾けることにした。
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