第29話 強引

 鬱ってきっとこんな感じなのだろうな。

 そんな風に、常葉は思った。

 ぐしゃぐしゃのベッドの上に部屋着のまま横になりながら、閉めきったカーテンから零れる細い明かりを眺めていた。

 かれこれもう、数日間引き篭もっている。

 確か今日は月曜日だったはずだが、それを確認しようと思っても、デスクの上に置かれたスマホを取りに行く気力さえ、常葉には無かった。

 何もしたくないし、何も考えられない。

 一日中ボーっと天井を眺めるか、壁紙を眺めるか――つまりは、何もしていなかった。

 非公開にした自分のアカウントの様子を見に行くこともさえもしない。

 ……そもそも、見に行ったところで?

 もう二度とあのアカウントでは活動を再開できないのだから、現状の把握をしたところで何の価値もないじゃないか。

 何の価値も無いアカウント。

 今や、人生にだって価値を見出せていない。

 このまま勉強だけやっていくなんてごめんだ。

 でもそれでは学校を卒業できない。

 卒業できなければ自分の将来に希望はない。

 そもそも動画投稿も配信活動もできない将来に価値はない。

 何もかもに、価値を感じない。意味を感じない。

 大人たちは、きっとこんな自分を笑うだろう。

 手を差し伸べることすらせず、今どきの若者は、と一蹴するはずだ。


「……くそ」


 ブー、ブー。

 ベッドの隣に置いてあるデスクの上で、スマホが五月蝿く震えた。

 誰かからメッセージが来たようだが、確認するのは面倒だ。

 無視して寝転がっていると、しばらくして家のインターホンが鳴った。

 常葉の体は、途端に強張る。


「何も……何も起きないでくれ」


 ガバッと布団を被り、暗闇の中で丸まりながら祈るように呟く。

 下の階で足音が聞こえた。母だ。

 少しの話し声が聞こえた後、足音が段々と近づいてきた。

 常葉の部屋の前で止まり、「コンコン」とノックの音が無音の部屋に響く。


「常葉?」


 母親が呼んでいる。

 常葉は頭だけを布団から出した。


「なに?」

「友達が来てるわよ」

「行きたくない」

「……本当にいいの?」


 身バレしたのだ。そう簡単に顔を出して堪るか。というより、友達って誰だよ。


「いいよ」

「……そう」


 母親の足音が遠ざかり、階段を降りていくのが分かる。

 いつ誰がこの家を訪れるか分からない。

 いざという時に母親を守れるのは自分しかいない。

 そんな子供じみた妄想が、常葉の中で引き篭もることへの正当性を得るために使われていた。

 もう一度布団を被って、暗闇に包まれる。

 これが一番落ち着くのだ。

 しかししばらくすると、またブー、ブーとスマホが振動しだした。

 常葉は鳴り止むのを待ったが、バイブレーションは収まる気配が無い。

 つまり、通話が掛かってきている。

 段々と常葉の中でイライラが駆け巡っていった。それは一瞬にして許容量を超える。


「ああっ! もう何だよ!」


 布団をガバッと跳ね除けて常葉は荒っぽく起き上がると、机に置かれたスマホをひったくるように手に取った。

 けれど画面に映った名前を見て、常葉の頭は急速に冷えていく。


「……藍川さん」


 出たくない。

 そう頭では考えていたのに、指はそれとは無関係に動き出し、いつの間にか「応答」をタップして、あろうことかスマホを耳にあてがっていた。

 そして知らず知らずのうちに、慎重に息を吸っている。


「もしもし」


 おそるおそる発した声は自分でも恥ずかしいぐらい震えていた。

 返答がくるまでの時間が、嫌に長い。


『やっぱり、全然大丈夫じゃ無いじゃない』

「え?」

『たった今、一之瀬家から追い返されたばっかなんだけど?』


 さっきのチャットも、インターホンも、どちらも藍川だったわけだ。


「あ、ごめん……」

『一之瀬』

「な、なに?」

『今すぐ会いたい』藍川の声は驚くほど真っ直ぐで、強い意志が見られた。『駄目かな』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る