―第3幕―

第27話 落下

 翌日の金曜日、常葉は学校を休んだ。

 そうして土日を挟み、月曜日になった。

 放課後、藍川は2‐Fの教室を覗いてみたが、常葉の姿はどこにも見当たらなかった。彼の友人であるという牧野涼という生徒を探してみたが、如何せん名前以外はさっぱり分からなかった。加えて、校内屈指の変人として扱われている自分と関わりがあると噂されれば、最悪いじめにまで発展しかねない。そう考えると、うかつに人に尋ねたりもできなかった。

 藍川はスマホに視線を落とす。チャットアプリを開いて常葉のアカウントタップした。

 ――気が向いたらでいいから、連絡をお願い。

 今朝送ったメッセージには、既読すらついていない。

 その上に続く、金土日の三日間分のメッセージにも、途中まで「大丈夫」だの「気にしなくていい」だの返信が返ってきていたが、やがて既読だけになり、仕舞には読まれることすらなくなった。


「全然大丈夫じゃないくせに……」


 証拠に、今はメッセージを見ることすらなくなってるじゃないか。

 何を強がっているんだ。

 そんな風に、心の中で悪態をつく。

 けれど。

 少し前までは、自分も今の常葉と近い状態だったことを思い出した。

 一人で強がっていたところに、常葉が来てくれたんじゃないか。

 やはり、自分が何とかしなくちゃいけない。

 本来、常葉は何の関係も無かったのだから。

 彼は自ら進んで行動しているなんて言ったが、結局のところ、藍川は提案を拒否する事だって出来たはずだった。それを協力関係なんて結んで、私以上に被害を被っている。

 だから、自分が巻き込んだも当然なのだ。

 藍川は先週の木曜、常葉は公園で座り込んだときから、ずっとそう考えていた。


「あれ? 一之瀬ってヤツ来てねぇの?」

「アイツなら欠席してっぞ」

「何だよ、せっかく有名人の顔拝みにきたってのに」

「今頃引き篭もってるんだろうよ」


 突如聞こえてきた不快な会話の方へ、藍川は視線をやった。

 反対側の扉に、教室を覗き込む男子生徒とそれに答える別の生徒がゲラゲラと笑いあっているのが見える。

 藍川は、ギリギリと奥歯をかみ締めた。

 土日を挟んでもなお、生徒たちの会話には高確率で常葉の名が上がっていた。

 始業式にあれだけ派手にやらかした藍川の名前が、途端に出てこなくなったぐらいだ。

 まだしばらくは続きそうな予感がする。

 ブー、ブー。


「っ!」


 持っていたスマホが振動する。

 すぐに視線を戻し、確認してみる。

 けれど、メッセージは常葉からではなかった。


『先輩、いまどこにいます?』

『2‐Fの前』

『分かりました、すぐ行きますね』

『いや、いいよ。場所を変える。屋上の扉の前に集合ね』


 手早くやりとりを済ませると、藍川は自分が指定した場所へ向かった。初めて常葉とちゃんと会話した場所だ。

 会議室や職員室が集まっている、生徒たちにはあまり縁の無い棟へ移動し、階段を上がる。

 「この先立ち入り禁止」と大きく書かれたホワイトボードの脇をすり抜けて階段を登っていくと、途端に埃っぽくなり息苦しくなる。

 踊り場を折り返して見上げると、屋上の扉が見えた。

 そしてその前に、女子生徒が立っている。


「諏訪さん、下着見えるよ」

「ええっ!?」


 指摘された諏訪は慌ててスカートを押さえた。

 藍川は階段を上りきると、諏訪の横に立って肩に手を置いた。


「ま、見えて無いけど」

「せ、先輩!」諏訪の顔は真っ赤だ。「からかわないでください!」

「で、なに?」


 声音を真剣なものに変えて言うと、諏訪の表情もすぐに引き締まった。


「あの、私……会長に一言申そうと思うんです」

「一言って?」

「許せないんです。どんな理由があったとしても、常葉先輩にしていいことじゃないと思います」諏訪は拳を強く握り、鋭い目付きで藍川を見た。「藍川先輩も、会長に怒りを感じているはずです」


 藍川は一度俯いて、深呼吸をし、考えを纏めた後、顔をあげた。


「もちろん、許せないとは思う。でもそれって、一之瀬のためにはならない。諏訪さんは一之瀬に、配信活動を再開してほしいんでしょ? そのことと、会長に怒りをぶつけることと、何の関係があるわけ? 貴方が会長へ怒鳴ったところで、一之瀬が喜ぶとでも?」

「それは……」諏訪は俯いた。

「怒りで行動するのって、たぶん一番しちゃいけない」藍川も視線を落とす。「増してや復讐なんて、するべきじゃなかった。過去の穴を埋めようとしたって、今は変えられない。むしろ酷くすらなる。現に、私のせいで一之瀬が苦しんでるように」

「復讐って……黒河内先生のことですか?」

「そう。先週説明したでしょ? 私の家族が、黒河内のせいでどうなったのか」

「もちろん覚えてます。……でも、それで先輩は――」

「別に忘れようとしたり、無かったことにするんじゃない」藍川は顔を上げた。「それをしっかりと抱えた上で、前を向こうって話」

「前を向こうって……」

「つまり、私が今しなくちゃいけないことは、一之瀬が元通りの生活を送るためにはどうすればいいのか、考えることだと思ってる」藍川は微笑んだ。「諏訪さんも、同じだと思うけど。違う?」


 諏訪は顔を上げると、藍川の瞳をじっくりと見つめた。すると諏訪の目には段々と涙が溜まっていき、口はへの字に引き締まって、今にも泣き出しそうな顔になる。


「私、ちょっと頭冷やしてきます」

「そう」


 諏訪は震え声でそう言うと、階段をトントンと駆け下りてすぐに姿が見えなくなった。足音も聞こえなくなったところで、藍川もここを立ち去ることにする。


「……有言実行。私も考えないと」


 階段を下りてホワイトボードの脇を再び抜ける。自分の荷物を教室へ取りに行くため、渡り廊下のあるほうへ向かおうと、踊り場を右に曲がった。

 ここは三階で、並ぶ教室のほとんどは生徒が使わないものばかりだ。


「藍川さん」

「――っ!?」


 突然背後から名前を呼ばれ、藍川はすぐに振り返った。

 踊り場を挟んだ距離のところに、一人の女子生徒が立っている。

 多少距離があるものの、誰かはすぐに分かった。

 沸々と湧いてくる怒りを理性で抑え付けながら、藍川はすました声を発する。


「……私の名前、知ってるんですね」


 そこに立っていた日下部弥生――生徒会長は、藍川に対し深く頭を下げた。


「突然ごめんなさい。藍川さんに大事なお話があるんです。少しだけ、時間をくれませんか?」


 やけに切実なトーンで会長はそう言うと、ゆっくりと頭を上げた。

 そして、一切淀みのない瞳で、藍川の目を真っ直ぐに見つめた。


「……っ」


 無意識のうちに睨んでいた藍川の瞳が、少し、揺らいだ。

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