第26話 撤退
常葉はブランコを立ち漕ぎで乗り、一人でシーソーを平均台の様にして遊んで、ジャングルジムの狭い隙間に体が入るのか確かめた後(無理だった)、砂場で意味もなく穴を掘っていた。その途中で、藍川が姿を見せた。
すっと心が軽くなったような気がして頬が緩んだのも束の間、常葉はすぐに小首を傾げた。
藍川が自転車を降りて公園内に入り、こちらへ近づいてくる。
「ごめん、遅くなった」藍川が無表情で言う。
「いや、別に遅くは無いと思うけれど……」常葉は砂場から離れて藍川の前に立つ。「ところで、その……後ろに居る人は誰?」
常葉は藍川のシルエットからはみ出たくせ毛を指差した。するとくせ毛はビクッと震えた後、完全に藍川に隠れて見えなくなる。
「ほら、前に出なさい」
藍川が低い声で言うと、ソロソロと背後に居た人物が姿を見せ、藍川の右隣に立った。
女子生徒だ。
同じ制服を着ているが、彼女のものは新品に近い状態に見える。顔は俯いているのでよく分からないが、くせ毛の多い茶色いショートヘアを同級生の内で見た記憶がないので、おそらく一年生だろう。
「えーっと……?」常葉は頬をかく。
「あ、あのっ、私」女子生徒は声は酷く震えており、それに加えて鼻声だった。「私、諏訪朱音って言います……一年生です」
「は、はあ……」
常葉は説明を求むという視線を藍川に送った。
それに気付いた藍川が諏訪を見ながら一度溜息を吐き、おもむろに口を開く。
「彼女――諏訪さんが今回の件の元凶だったの」
「え、どういうこと?」
「わ、私がっ……自分で、自分で説明します!」
突然大声を上げたので常葉は驚いて肩をビクッと震わせ、それに気付いた諏訪が
「すみません」と大袈裟に頭を下げた。
が、すぐに顔を上げて常葉の目を見る。
諏訪の目の周りは赤く腫れていた。
「昨日、生徒会長に常葉先輩の配信活動のことを話したんです――」
諏訪は時々泣きそうになりながら、事の顚末を語った。
元々、諏訪は常葉の――つまりは「ばんぶー」のファンだった。
そして驚くことに、彼女は始業式で司会を務めていた常葉の声を聞いて、常葉がばんぶーであることを確信したらしかった。その日から諏訪は常葉の姿を影からこっそりと見るようになり、半ば常葉のストーカーになっていた。
しかし先日、そのストーカー行為を居合わせた生徒会長に指摘されたのだ。
諏訪は常葉を盗み見ていたことを正直に語り、さらに理由を尋ねられたらしい。
同じ生徒会役員として、きっと会長と常葉は仲が良いだろうと推測し、その質問にも会長が「すごく仲が良い」と答えたこともあって、諏訪は会長なら常葉の活動を知っているだろうと考えた。
だからつい勢いで、本当に常葉の正体が「ばんぶー」であるかをその場で訊ねたのだ。
動画サイトやSNSのアカウント突きつけながら、訊ねたのだ。
すると会長は顔色を急変させて、どこかへ行ってしまった。
そして今日になって、常葉の配信活動の件が大々的に校内に広められていた。
ということらしい。
「……なるほど」
諏訪の行動について突っ込みたいところはあったが、本筋はそこではない。
考えなければならないのは、会長の行動だ。
やはり、会長が別の誰かから常葉の情報を得たという推測は正しかった。
会長は、偶然ではあるが諏訪から常葉の配信活動のことを知り、そのまま常葉を尾行したのだろう。そうして最終的には森の中にまで侵入し、昨日、常葉に直接問い詰めるまでしたのだ。
そうであるならば。
黒河内に常葉のことを伝えたのは、会長の可能性が高いことになってしまう。
他に誰がありえる?
「常葉先輩と会長は、仲がいいじゃなかったんですか?」
「え?」
常葉の体は突如ピンと強張った。
「どうして会長はこんなことをするんですか? こんなことしたら常葉先輩が困るって、分かりきっているのに」諏訪は常葉を真剣な眼差しで見ていた。声は震えていない。「おかしですよ、こんなの」
「どうして、だろうね……」
顔に変な力が入っているのを自覚する。無理やり笑顔を作ろうとしている自分が居た。
どうして?
よく分からなかった。
自分が無意識の内に考えようとしなかった――あるいは考えたくなかった事柄を、たった今、第三者の手によって目の前に突きつけられている。
会長は、常葉の敵になってしまったのか? という問い。
答えによっては、常葉の活動理由に矛盾を生むであろう、問い。
「一之瀬……」
藍川が心配そうに常葉を見る。
「私、会長のことは、好きになれそうにありません」
諏訪がはっきりと言い放つ。
その言葉を受けて、常葉の頭の中はさらにグチャグチャになっていく。
もし会長がネットリテラシーに疎かったとしても、常葉が配信活動を隠していたことは会長からしてみれば明白だったわけであり、だとするならば、会長は意図的に、もしくは悪意的に黒河内に告げ口をしたとしか思えない。
あの大喧嘩の後であれば、そうとしか思えない。
グチャグチャの思考が、常葉の最も望まない形へと姿を変わり、固まっていく。
けれどそんなものは、頭のどこかで常に思っていたことだったし、想像もできていたはずだった。それなのに。
「どうして……」
どうして自分は、こんなにも頑張っていたのだろうか。
誰のために盗聴なんてやったのだろう。
全部、無駄になったのか?
「と、常葉先輩?」
常葉は地べたに胡坐をかいて座り込んだ。一瞬の思考の中で常葉が見たものはどこまでも真っ黒で、光なんて無く、どこにも希望など存在しなかった。
「一之瀬」
そう言って、藍川は足を折り、常葉と視線を合わせた。
「……」
常葉はゆっくりと顔を上げて、藍川の目を見る。
彼女の目は、今まで常葉が接して来た中で最も温かかった。
いつも鋭く攻撃的な視線を常としていた藍川にもこんな目が出来るのだなと、常葉はぼーっと感心する。
そんなことを思うのも束の間。
藍川はまるで別人の様に柔らかく微笑むと、常葉の手に、そっと自分の手を重ねる。
そして、
「もう、やめよっか」
と、優しすぎる声音でそう口にした。
ああ――。
藍川は、とてつもなく優しい人なのだ。
常葉はただ呆然と、そう思った。
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