第28話 真実
案内されたのは生徒会室だった。
当然初めて入ったが、中はとても綺麗にされており、ファイルの整理整頓はもちろんのこと、埃っぽさを全くと言っていいほど無かった。
中央には机が口の字型に置かれており、普段はここで会議や話し合いを進めているのが想像できた。
「今日は生徒会の仕事も無いし、誰も来ないはずです」
会長は訊ねてもいないことを言って、適当な席に腰掛けた。
藍川もそれに倣い、会長の対面の位置に座る。真ん中の空洞部分で妙な距離が空いているせいか、少々会話しづらい。
「話、聞きましょうか?」
会長はブレザーの内ポケットに手を伸ばすと、中から何かを取り出して、机の上に置いた。コツン、という硬い音が静かに響く。
距離があるせいで何かよく分からない。
「なんですか、それ?」
「盗聴器です」さらっと会長は口にした。
「えっ?」
「牧野涼くんのカバンに入っていました。心当たりがありませんか?」
先週、常葉が忍ばせたと言っていたものだ。今まですっかり忘れていた。忍ばせるだけ忍ばせて、回収する暇が無かったのだ。しかし、だとしてもまさか会長に気付かれるとは。
「……」
藍川の頬に汗が滲む。
これ以上、常葉に罪を負わせるわけにはいかない。
いざとなったら、自分が盗聴器を入れたことにするべきだ。
藍川はそう覚悟を決めたが、しかし。
「別に、これで脅そうなんて、これっぽっちも思ってません」会長は机に視線を落とした。「むしろ、謝らないといけないと思います」
会長の声が、途端にしおらしくなる。
「もしかして……」藍川は言及する。「聞いたんですね? 中身を」
「……はい」
藍川の問いに、会長は俯いたまま返事をした。
「何が録音されていたんですか?」
会長は話す前に、一度大きく息を吸った。
「黒河内先生が牧野くんに指導している一部始終です」会長の声は震えている。「牧野君は、一之瀬君と友達だったんですね。録音の中で、黒河内先生は何度も一之瀬君のことを悪い例として紹介していました。その度に牧野君が反論する、というやりとりが何度かあったんです。それに飽き飽きしたんでしょう、牧野君が『もういいです』と言って席を立つと、突然大きな音がしました――たぶん、机か椅子かが倒れる音だと思いますが――そうです、ここで黒河内先生が、おそらく手を挙げました。証拠に、次に黒河内先生は『突然打ってすまなかった』と謝罪してます。牧野君は驚いたと思います。私だって、耳を疑いましたから」
――そこからは、黒河内先生の身の上話が展開されて、次第に牧野君は絆されていきました。
と、会長は続けた。
「先週の水曜日……私と、貴方と、一之瀬君が、森の中で会った日に、私がこれを見つけました。水曜日、私はあの後、盗聴の件や動画の件を、全て洗いざらい黒河内先生に話すつもりでした。資料室に先生がいることは知っていたので、向かったんですけど、いなかったんです、誰も。あったのは、指導がまだ途中である痕跡と、牧野君のカバンだけ。そこでたまたま、これを見つけたんです。たぶん、牧野君のために保健室に行ったんだとと思いますが……」
「それで、貴方はそれをこっそり抜き取って、中身を聞いたってことですね?」
「……そうです」
会長の瞳から零れたものが、机に何粒かの水滴を作っている。
「そこまで分かっておきながら、どうして一之瀬の配信のことを、黒河内に話したんです?」
「それは……」会長はほとんど涙声だった。「まだ、黒河内先生を信じようとしてたから」
「え?」藍川は眉間に皺を寄せた。
「こんなことをする人だと、思ってなかったんです……! その時は、思ってなかった。私はこれで、黒河内先生の白黒をはっきりさせようって、そんな風に考えてたんですっ……」
「アンタね……っ!」
藍川は勢いよく椅子から立ち上がった。ほとんど無意識の行動だ。
ガタン、と後ろで椅子が倒れる音がする。
そんなことで。
そんなことで、常葉をこんな目に遭わせたのか。
大してリスクすら考えずに、黒河内に話したのか。
やったのは黒河内だが、アンタも十分同罪だ。
そう言ってやりたかった。吐き出したかった。
けれど、それらを何とか抑え込む。
大事なのは、そこじゃない。
「それで会長さんは……」藍川は意識して平静を保つ。「盗聴器を私に見せて、そんなことを私に話して、どうしてほしいわけ?」
「もう、訳がわからないんです……。私はもう、黒河内先生を普通には見られない。かと言って、一之瀬君にどう顔を合わせればいいかも分からないっ!」会長は声を張った。目からは大粒の涙が幾つも零れている。「こんな私が、この盗聴器を持っていていいはずがない。だから、貴方に託します。そのために私は今日、貴方と話をしようと思ったんです……」
藍川は会長のところまで歩き、机に置かれた盗聴器を手に持って、眺めた。
「私に、これを使って黒河内を脅せとでも?」
「……それが、貴方の望みのはずです」
「ふざけないで。自分だけ勝手に解放されようとしないでくれる?」
「……」
「それにね、黒河内がどうとか、もうどうだっていいの」
「え?」会長は顔を上げた。その顔は涙で濡れ切って、目は真っ赤だ。
藍川は盗聴器を机に置いた。
「いや、ちょっと違うわね。どうでもいいわけじゃないけど、脅したんじゃ、一之瀬のことが何も解決しない。私の問題だけが解決されるのは、全然ハッピーエンドなんかじゃない。別の形が、必ずあるはず」
「別の、形……」
「今一番考えるべきは、一之瀬のこと。アイツが今まで通り過ごすためにはどうすればいいか考えることだと、私は思ってる」
盗聴器が手に入ったことで、本来の目標であった黒河内の件は解決されたに等しいだろう。
何も無ければ、常葉もこれで安心できたはずなのだ。
でも、そうではない。
もう問題は別のところへシフトしている。
否、何が問題なのか判断するセンサーが、変わったのだ。
従って、昔のことはもう大した問題ではない。
今、仲間が困っていることこそが、藍川にとっての大きな問題なのだ。
「一之瀬くんのために、できること……」
「大体ね、一之瀬はアンタを黒河内の手から救うために、あそこまで躍起になってきたんだからね? あの森の中で私が言ったこと、忘れたとは言わせないから」
「そっか……そうだったね」会長の頬が少しだけ赤くなるが、すぐに元に戻った。「一之瀬君は今、どんな感じなんですか?」
会長の雰囲気が、急に変わった。と、藍川は感じた。
開き直った風ではない。
現状を、受け入れたのだろうか。
何にせよ、驚いてはいられない。
「意気消沈って感じ。連絡しても既読もつかない」
「そう、ですか……。やっぱり、それぐらい一之瀬君の中で動画や配信というものが大きかったということなのかな」
「当たり前でしょ」
「それを私が奪ったんだ……」
また落ち込むのはやめてほしい。
そんな風に藍川は考えたが、すぐにそれが杞憂だと分かる。
「あっ!」会長が急に声を上げて、藍川の目を見た。会長の瞳は赤くはあるものの、芯のある強い視線だった。「私に、良い案があります」
「良い案?」
「はい。盗聴器で脅したところで、何も解決しない……藍川さんの言うとおりだと思います。一之瀬君のことだって、もちろん解決しない。そしてもう一つ、この学校入学者問題も解決しない」
「……確かに、そうね」
そういえばそんなこともあった、と藍川は今更になって思い出した。この学校が黒河内を教師として招いたのは、入学者減少問題を解決するためだったのだ。
「一之瀬君の大好きなものを奪ったしまったのなら――ちょっと違うかもしれないけれど――同じものを与えればいいんだと、私は思います」
「え? どういうこと?」藍川は小首を傾げた。
「黒河内先生が居なくても、入学者が増やすことができればいいんです」会長は少々勝ち誇ったような顔で藍川を見た。「この学校は、または黒河内先生は、勉強や進学実績で入学希望者が増えると思っているようですけど、私はそれ以外の方法でも可能だと思います」
「というと?」
「つまり、楽しさをアピールするんですよ。そうですね、青春とでも呼びましょうか。この学校でなら楽しい学生生活が送れそうだと感じさせればいいわけです」
「……なるほどね」
黒河内とは正反対のベクトルで攻めるということらしい。
勉強ではなく、楽しさ。
しかし具体的には、どうするのだろう。
そんな疑問が顔に出ていたのか、会長はさらにも増して勝ち誇った表情を浮かべた。
「だから、PVを作りましょう! この学校のPVを!」
「P……V?」藍川は目をぱちくりさせる。
「一之瀬君は動画作りをしてたんでしょう? 私はあまり動画のことには詳しくないけど、それでもこれで、かつて一之瀬君が楽しんでいたものの代わりに、多少はなりませんか?」
常葉も多少そうだったが、会長はそれよりもさらに頭の回転が速い。
藍川も必死に頭を回して、つまり会長が何を言わんとしているかを考えた。
「えっと……じゃあそのPVが話題になれば、黒河内がいる必要もなくなって、学校も救われて、もしかしたら一之瀬も……ってこと?」
ひねり出した藍川の問いかけに、会長は何も答えなかった。
答えなかったが、「ニッ」と無邪気に笑って見せた。
なるほど、これが常葉の知る生徒会長か……。
そんな風に、藍川は思った。
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