第22話 発覚②
森の中で藍川が先に待っていた。常葉を確認して顔を上げたが、よほど表情に出ていたのか、藍川が眉をひそめた。
「どうしたの?」
「いや……」常葉は無理に笑ってみせる。「やっぱり涼が、予想通りだったからさ」
藍川の目が鋭くなる。
「……じゃあ、盗聴器を入れたってこと?」
「入れてきた。ばれてないと思う」
先週から涼の様子が明らかにおかしかった。
それは黒河内が特別授業を行なった日から始まり、日を重ねるにつれて涼はどんどんらしくなくなっていった。そして今日、それは最高潮に達したといえる。
どう考えても、黒河内の影響を受けていることは明らかだった。
数日前にこのことを藍川に相談して話し合った結果、これからも様子がおかしいままであれば、盗聴器を忍ばせるべきではないか、という結論に至った。
要は、涼を利用することにしたのである。
気は引けたが、だからといって常葉に何か出来ることがあるかと問われたら、何も出てこないのだ。だったら――というわけだ。
とはいえ、このまま盗聴を続けても収穫が得られない場合は、もしかたら涼のカバンに忍ばせたもう一つの盗聴器が功を奏してくれるかもしれない。
そう考えれば、罪悪感も多少は消えるというものだ。
「……大丈夫?」
藍川があからさまに心配している。
涼が赤本を持っていた衝撃が未だに尾を引いていた。
表情を思うようにコントロールできない。
「まあ何と言うか、結構な衝撃を受けたからさ」
「だったら、無理せず休んで。別にレコーダーが勝手に録音してくれるんだし、私たちがわざわざ聞く必要なんてないんだから。回収役として私が一人いるだけでいい、でしょ?」
確かに、常葉たちが二人揃って聞く必要はない。藍川が言う様に、レコーダーが録音をしてくれているのだから、リアルタイムで聞かずとも、家で確認すればいいのだ。
それでも、常葉には聞き届けたいという気持ちがあった。合理的でないことは重々承知しているが、それでも不思議な意地があったのだ。もちろん、理由はそれだけではないが。
「いや、残るよ。まだ成果が挙げられて無いのに、一人だけ帰るわけにはいかないから」
「それはそうだけど……」
藍川が表情を曇らせて拳を強く握り締めたのを、常葉は見ていた。
おそらく、成果が挙げられていない、という言葉に藍川は反応したのだ。
「焦ってるね?」
「え?」
突然の言葉に、藍川は目を丸くした。
「藍川さんも、僕もさ、盗聴に期待しすぎてたんだ。すぐに証拠が出るだろうって思ってたけど、それが二日も何も無かったら、やっぱり焦る」常葉は自然な笑みを作った。「僕だって、焦ってる」
「……そうね」
「残っていいかな?」
「……分かった。でも無理はしないで」
「ありがとう」
お礼を言って、常葉は急いで準備を始めた。慣れた手付きでセッティングを行なう。
しかし。
――ジャリ。
という音が、突然道路側から聞こえてきたのである。
「っ!?」
常葉は反射的に顔を上げて、藍川を見た。藍川も同じように常葉を見て、目を見開いている。
……誰かが入ってきた?
ジャリ、ジャリ、ジャリ、ジャリ。
地面を踏みしめる音は鳴り止まず、かつこちらへすごい勢いで迫ってきている。早歩きだ。
驚きで身を硬直させる常葉がようやく我に返った頃には、もう何をしても逃れられないぐらい足音が間近で聞こえていた。
それこそ、数メートル先。
枝木の隙間から見える人影を常葉は凝視する。
白い何かが見えた。ブレザーかもしれない。
「……まさか、同じ学校の女子生徒?」
零れた呟きは藍川にも届き、その言葉にさらなる驚愕を示す藍川は、思わず後ずさって小さなジャリ、という音を鳴らしたが、すぐに、
「は、早く逃げないと!」
と叫んだ。
その言葉で常葉はようやく体を動かせるようになったが、もう遅かった。
目の前の枝木がガサガサと揺れ動く。
常葉たちの前に姿を現した人物は、常葉の思考を一瞬止めた。
それぐらい、ありえない相手だった。
「……会長?」
常葉はそう、呟く。
そこに立っていたのは紛れも無く日下部会長であり、しかしその表情は、今まで常葉が見たことの無いぐらい怒りに満ち満ちていて、常葉は、何が何だか分からなくなっていた。
「久しぶり、一之瀬くん」その表情に反して随分と低く落ち着いた声を会長は放つ。「それから、藍川さんも」
「……え?」
急に現れた人物に急に名前を呼ばれ、藍川は困惑の声を漏らした。
「か、会長……」常葉の声は震えている。「何でここに?」
「それはこっちの台詞だよ、一之瀬くん」会長は常葉を睨みつけた。「こんなところで何をやってるの?」
「そ、それは……」
言い淀んだ常葉の手元へ会長は視線を向けると、常葉の目の前へ一歩足を進めた。
「その手に持っているものはなに?」
「え、ええと……」
常葉の思考は動揺と困惑と驚愕でほとんど機能していなかった。
すぐ近くで藍川もただ棒立ちするしかなくなっている。
あの藍川も、今の会長の剣幕に気圧されていた。
「盗聴器、でしょう?」
「っ!?」
「今の今まで、全部外で聞いてたから。意外と聞こえるよ、君たちの声」
淡々と会長は告げる。
そうであれば、会長は常葉が森に入った直後からずっと外で聞き耳を立てていたことになる。こんなところへわざわざ生徒は寄らない。つまり、常葉はつけられていたということだ。一昨日も昨日も、誰にも尾行されていないか確かめていたのに、今日に限ってそれを怠っていた。涼のことで頭が一杯になっていたのだ。
しかし、後悔したところでもう遅い。
会話を聞かれてしまったのであれば、もう、認めるしかない。
「そうです……これは、盗聴器です。黒河内先生の悪事を掴むための」
「――っ!」
会長は常葉をこれでもかというぐらい睨み付けると、わなわなと震える拳を振りながら一瞬にして数センチの距離にまで詰め、常葉の顔を見上げた。
よく見ると、会長の目は少し潤んでいる。
「そんな言葉、聴きたくなかった……っ!」
一文字に結んでいた口を開け、会長はそう叫んだ。
直後、会長の目には涙が溜まり、潤みがみるみる増していく。
常葉はハッと我に返る。今の言葉が会長を悲しませたことが明白だったからだ。
「でもそれは、黒河内先生の潔白を示す手段でもあるんです……会長」
「そういう問題じゃないの! 何でこんなことするの!? 正気じゃないよ! 盗聴なんて、下手したら捕まっちゃうんだよ!?」会長は声を荒げる。「何で……何でこんなこと」
「それは……」
会長のため、と出てきた言葉は、いま目の前で涙を溜めながら叫ぶ会長を見ていると、何だか違うようにも思えてきてしまう。
常葉は、こんな風に会長に悲しい思いをさせるつもりはなかった。
だったら、何のためだろうか。
今やっていることは、間違っているのだろうか。
「あと、これも何なの……?」会長はポケットからスマホを取り出すと、液晶を常葉の前に突きつけた。「私ずっと、一之瀬くんが何かに悩んでるんだと思ってた。でも、違ったんだ。特進コースを自分から降りたのだって、これが理由なんでしょう?」
そこには、常葉の動画が一覧になって表示されたページが映っていた。
「な、何でそれを……」
別に、悪意があって黙っていたわけではなかった。
それを言ったら、きっと会長は常葉に嫌な顔をするだろうから、そんな顔をされたくなかったから、黙っていたのだ。それに、他言して身バレのリスクをいたずらに高めることになる、という理由もあった。……いや、それはもっともらしい言い訳で、無理やり自分を正当化しているだけかもしれない。
「どうして言ってくれなかったのかな……。そんなに頼りなかったかな……」
「ち、違うんです……そういうわけじゃあ」
「じゃあ何だって言うの!?」会長は常葉のブレザーの裾を掴んで引っ張った。「もう、全部わけわかんないよ! 一之瀬くんと黒河内先生には仲良くして欲しかったのに、こんなことになっちゃうし! ……どうしてっ!」
「いい加減にしろよ!」
途端、鋭い声が響いた。
常葉の声ではない。
近くでずっと黙っていた、藍川の声――叫びだった。
常葉と会長は豆鉄砲でも食らった顔で、揃って藍川の方を見る。
「藍川さん……?」
「さっきから黙って聞いてれば、随分勝手なこと言うんだね、会長さん」
藍川は会長に近づいてくと、何の前触れも無く、会長の肩をドンと押して突き飛ばした。
会長は地面に尻餅を付く。
「ち、ちょっと藍川さん」
制止を求めて肩に手をかけようとしたが、藍川の――先ほどの会長を超えるような――それこそ蛇のような鋭く冷徹な目付きに、常葉の動きは思わず止まってしまった。
まるで、人が変わっている。
「一之瀬はずっとアンタのためを思って行動してきたのに、アンタはそれを裏切るのかよ」
「え……?」
藍川の言葉に、会長は尻餅をついたまま顔を上げる。
「アンタの身を案じて、自分からこんな危ない橋を渡った一之瀬を、アンタは信じることもしないのかよ!」藍川は声をさらに荒げていく。「それどころか、アンタは黒河内の言葉を信じた。黒河内の側についたから、アンタと一之瀬はこんな風に滅茶苦茶の関係になってる。それなのに、それを全部一之瀬のせいにするなんて、アンタ絶対おかしいよ!」
「藍川さん!」常葉は藍川の肩を掴んだ。「違う、それは違う……。会長は悪くないよ、藍川さん」
「……っ! でも!」
藍川は振り返って常葉を見たが、
「藍川さん、もういいんだ」
という常葉の言葉で、すっと目付きが元に戻っていった。
「……っ!」
すると、会長が立ち上がって、たちまち背中を見せて外へ駆け出していく。
ジャリ、ジャリ、ジャリと、どんどん音が遠ざかっていく。
「追わなくていいよ」
「……うん」
会長の姿が見えなくなるまで見届けて、常葉は藍川の肩から手をどけた。
同時に、緊張が一気に抜けていく。ようやく息が深く吸えるまで戻った。
「……その、ごめん」藍川が唐突に呟いた。
「ん?」
「会長に酷いこと言っちゃったから……。勝手なこと言うなって言っておきながら、自分も勝手なこと言いすぎた……ごめん」
「謝ることないよ。むしろお礼を言いたい」
「え?」
「会長のために動いているってことを、僕の代わりに言ってくれたから」
悲しい思いをさせるつもりはなかったと、あの時一瞬でも揺らいだ心を、藍川の言葉が繋ぎとめてくれたから。
「……そう」
常葉は空を見上げる。葉の隙間からなんとか見えるのは、灰色だった。
確か今日は、晩から雨が降るんだったか。
「今日はもう、解散にしようか」
「……そうね」
幸い、受信機とレコーダーを繋ぎ終えていたため、家でも今日の録音は確認出来る。
しかし結局、今日も収穫が得られることはなかった。
得られたことといえば、黒河内が真面目に指導をしていることぐらいだろう。
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