第20話 発覚①
初めのうちこそ分からなかったが、しばらくすると、自分が監視しているときにいつも同じ顔が視界の端に映っていることに気が付いた。
スリッパの色を見ると、彼女がまだ入学したての一年生であることが分かる。
彼女が自分と同じであると確信したのは、駐輪場で自転車を出そうとしている常葉に対し、あからさまにぶつかって、頭を下げ、逃げるように距離を取った後、彼の後姿をオーバーに隠れながらじっと見ていた、という彼女の一連の行動を、弥生自身が見たからだった。
何がおかしいかって、そもそも一年生と二年生の駐輪場は完全に分けられている、という点だ。普段の様子から見るに、彼女も常葉を監視――しているかどうかは定かではないが、彼に対して何かしようとしているのは明らかだったのだ。
そんな彼女は今も、上半身だけを廊下に出して忙しなく動かし、踊り場の内に隠れたままの足はつま先をピンと立てながら、彼の姿を見ようと必死になっていた。
彼女的にはコソコソしているつもりなのだろうけれど、挙動がどうみても不審者そのものなので、そこを通る他の生徒は皆、彼女を二度見、あるいはじっと見ながら後ろを通り過ぎていっていっている。
弥生が彼女のことを黒河内に報告しなかったのは、もちろんこれ以上二人の間に波を立てたく無かったからだ。
けれどこれ以上は、個人的に、放っておけない。
意を決して、弥生は一歩ずつ彼女の背後に近づいていった。
いつも2‐Fの前を通るとき以上に、ファイルを抱える手に力が入る。
いや、ちょっと待てよ。
一体、彼女になんて話しかければいいのだろう。
一之瀬くんを見てたよね? なんて直接聞いたら、自分も彼を見ていることを白状しているようなものじゃないか。
まるで考えが纏まっていかない中、お構いなしに足は動き、彼女との距離は近づいていく。
ああもうっ!
いざとなったら生徒会長だからという自分でも意味不明な理由を言ってやろうと、そう投げやりな気持ちになりながら、弥生はとうとう、彼女の背中の真後ろにたった。
そして、トントンと、肩を叩く。
「ひゃわっ!?」
アニメさながらの勢いでビクッと肩を震わせた彼女は、弥生が「ちょっといい?」尋ねるより先に、目をぎゅっと瞑ったまま体をこちらへ向けると、マシンガン謝罪を始めた。
「ああいえね、違うんですよ先生、私は別に怪しいものじゃなくて、というか別に怪しいことなんてしてなくて、つまりは私は、誰かをこの影から見ていたのではなく、冷たい壁に私の温かい生命力を分け与えようとしてですね、この壁に耳を当てても心音がしなかったので、これはいけないと思って、自分のエネルギーをこうして分け与えていたんですよ、こうやってね!」
と、今度は壁に大の字の張り付き「あったかくなあれ、あったかくなあれ」と呪文の様にモゴモゴと呟き始めた。
こんなことを見せられて、頭の回転が追いつくわけが無かった。いや、正しくは彼女が追いついていないのだろうけれど、流石に弥生だって訳が分からない。
頬に汗が伝うのだって無理はない。
しばらく弥生のアクションが無かったので、彼女の方も我に返ったのか、のっそりとした動きで壁から離れ、こちらに再び向き直った。ただし、顔は俯いたままだ。
自分から話す気力が無くなってしまったので、そのまま黙っていると、彼女は段々と顔を上げながら上目遣いでこちらの様子を伺い、弥生の顔を認識した途端、ガバッと急に顔を上げた。
「って先生じゃなかった!?」
「せ、先生じゃないです……」
彼女は完全にフリーズしてしまって、顔の前で手を振っても反応が無い。
やがて「はっ!」と動き出し、すぐに赤面するや否や、「お恥ずかしいところをお見せしました」と深々と頭を下げた。
真っ赤なお耳が可愛いなと思いつつ、そんなことよりとんでもなく忙しい子だなと、弥生は無意識の内に顔を引き攣らせていた。
「あ、あの、顔を上げてくれないかな?」
「は、はい……」
まだ顔は真っ赤で落ち着いた様子は微塵も見られなかったが、弥生は心を鬼にする。
「先生じゃないって言っておいてなんだけど、貴方、数日前からずっとそうやってるよね?」
「あ、え……ええと、はい、そうです」
「何をしてるの?」
もしまた意味不明なことを言い出したら壁ドンしてやろうと弥生は決めた。もちろん、恐怖を与える意味で。
「その……気になったことがあったので、一人の生徒を追っている、といった感じです……」
「気になったこと?」弥生は見せ付けるように大げさに腕を組む。「生徒って誰のこと?」
「ええと……」彼女はこっそりと廊下を見た。「あれ……もう行っちゃったかな」
弥生も見てみると、確かに常葉の姿はもう無かった。当然だった。
こちらに顔を戻して彼女が言う。
「たぶん駐輪場にいるとは思うんですけど……名前がはっきりとはわかっていなくて。というか、それこそ貴方――」彼女は初めて弥生のスリッパをちゃんと見る。「あ、三年生、先輩なんですね」
「そうです。日下部弥生です。生徒会長やってるんだけど、覚えないかな?」
優しく問いかけると、彼女はパッと顔を明るくした。
「あ、なるほど! 見覚えはありました。生徒会長だったんですね」
「名前は?」
「1‐Dの諏訪朱音です」
「諏訪さん、続きをお願いできる?」
「はい」朱音そこで考える仕草をする。「あれ、でも生徒会長ってことは……」
「どうかしたの?」
「私が追っている先輩も、生徒会なんですよ。始業式の時に司会進行をしていた人なんですけど、名前って分かりますか?」
「っ……」
分かってはいたのに、いざ本人の口から常葉を探していたことを告げられると、不思議なショックに襲われる。
「たぶん、一之瀬常葉くんだと思う」
「一之瀬常葉……常葉先輩ですね、分かりました。ありがとうございます」
いきなり下の名前? と弥生は心の中で驚く。
「で、諏訪さんはどうして一之瀬くんを追っているの?」
「あー……」先よりも深く考え込んでいる。「ちょっと言い難いんですけど」
「やっぱりやましいこと?」
「いえ、違います」きっぱりと朱音は言う。「どちらかというと、常葉先輩の方がやましいというか……いや、全くそんなことはないんですけど」
「え?」
「日下部先輩は、常葉先輩と仲が良いですか?」
不意な質問に、弥生は思わず口をつぐんでしまった。
けれど、すぐにそんな自分が嫌になって、勢いで口をあける。
「いいよ、とても」
朱音の目が心なしか輝いたように見えた。
「なら、たぶん知ってると思うので、真実かどうか聞きたいんですけど……」朱音はポケットからスマホを取り出して素早く指を動かすと、弥生の方へ画面を向けた「これ、常葉先輩ですよね?」
弥生は向けられた画面を注視した。
けれど、朱音が言わんとすることが分からなかったので、しばらく考え込んだのち、ようやく意味が分かったところで、弥生は思わず目を見開いた。
見開いて、脈が早くなるのを感じた。
「これが……一之瀬くん?」震える指先が、画面すれすれの空を撫でる。
「えっと、違うんですか?」
そこには、とあるツイッターのアカウントと、そのタイムラインが表示されていた。
開始時期の表記を見て、さらに息を詰まらせる。
成績が落ち始めた頃と、そっくり当てはまるではないか。
「なんで……」
これは、黙る必要があったことなのだろうか。
どうして、話してくれなかったのだろう。
どうして。
「あ、ちょっと、先輩!」
理由も分からないままわきあがってくる怒りに身を任せて、弥生は突然駆け出した。
自分の教室へ脇目も振らず向かい、血相を変えてどうしたのかと声を掛けてくる友人たちを無視して、自分のカバンの中からスマホを取り出した。
そこで、少しだけ冷静になる。
弥生は教室から出て、普段使わない特殊教室の集まった棟まで行き、周りに誰もいないことを確認した後、スマホに視線を落とした。
先ほど見た名前で検索を掛けると、ツイッターのアカウントと、動画サイトにアップされた幾つかの動画が検索結果に出てくる。
「……っ」
自分が何故息切れしているのかも分からないまま、震える指を動画まで持っていく。
タップすると、動画の読み込みが始まった。
弥生は唾を飲み込んだが、口の中はカラカラに乾ききっている。
再生が始まる。
流れ出した音声は、どう聞いても一之瀬常葉だった。
それも、弥生の知らない声のトーンで、弾んだように話す常葉だ。
すぐにホームボタンを押して動画を閉じる。スマホを胸ポケットに仕舞って、弥生は踵を返して歩き出した。階段を一段飛ばしで駆け下りて、下駄箱へと一直線に向かう。
もしかしたら、まだ駐輪場に居るかもしれない。
居たら、一言物申してやろう。
気付けば、弥生は走っていた。
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