第19話 監視

 放課後のチャイムが鳴った途端、すぐに一つ下の階へ行って、目立たないように何気なく廊下を歩く。

 日下部弥生は、そんな生活をかれこれもう一瞬間近く行なっていた。

 そう……もう一週間以上経ってしまうのだ、常葉との間に途方も無く深い溝が出来てから。

 始業式が、もう九日も前のことなのだ。

 その翌日から今日に至るまで、弥生の緊張が緩んだことは一度も無いといってよい。土日の休日を挟んでもなお、それは変わらなかった。むしろ休日でさえ落ちつくことが難しかった。

 生徒会の書類が詰まったファイルを胸の前でそれっぽく抱えながら、澄ました顔で二年生だらけの人混みを進んでいく。

 2‐Fと書かれた札を確認し、少しだけ手に力が篭る。

 札との距離が縮むにつれて体の緊張が増していくが、初日と比べたらもうほとんど慣れたようなものだった。

 札の下――教室の前を通るとき、開かれたドアから中を横目でちらと見る。

 窓際の一番前の席で、荷物を纏めている一之瀬常葉を発見する。

 そのまま2‐Fの教室を通り過ぎた後、弥生は廊下の突き当りまで進み、非常階段に繋がる扉の前で足を止めた。わざとらしくファイルの中身を確認するような動作をいれつつ、回れ右をして、一直線に伸びる廊下を端から眺める。

 帰宅や部活に急ぐ二年生たちが、忙しくなく廊下で入り乱れている。たった今帰りのSTが終わったのか、別の教室でゾロゾロと生徒が吐き出され始めた。

 自分は一体何をやっているのだろう。

 弥生はこの時間になると、毎度つくつぐそう思っていた。


「しばらく、一之瀬くんと関わるのは禁止だ。会話も、連絡を取るのも控えるように。そして、その上で日下部くんには、彼、あるいは彼女の監視をしてほしい。まあ、どちらか一方を見ていればおそらく大丈夫だとは思うが、もし、怪しい行動があれば、迷わず私に報告すること」


 始業式の翌日、ちょうど八日前に言われた、黒河内の言葉を思い出す。

 監視したって何の意味も無い。絶対に怪しい行動なんてありやしない。

 しかし、他でもない黒河内の頼みだったから、弥生は喉まで出掛かった言葉をぐっと奥まで押し込み、従う他なかった。

 きっと何か盛大な勘違いがあって、それが原因で常葉と黒河内は対立をしてしまったのだと、弥生は思っていた。そうであれば、問題を解決できるのは、きっと自分だけであるとも思う。

 だから弥生は、一之瀬常葉、あるいは藍川真歩の潔白を証明できるものを見つけるために動こうと決めていた。

 ……けれど。

 常葉と弥生が二人でこそこそと黒河内をつけたり、普段使わないような教室にやたらと赴いているところを、漏れることなく、弥生は全て見つけてしまっていた。

 見つけて、後ろから密かに眺めていたのだ。

 やっぱり、黒河内の言うとおりなのだろうか。

 そう思わずにはいられなかった。

 それと同時に、そもそも藍川真歩とは何者なのか、常葉は彼女に誑かされているだけじゃあないのか、なんて考えが幾度と無く頭を巡った。

 そんな自分が嫌で仕方が無い。にも関わらず、藍川がいなければ弥生は常葉と予期せぬ仲違いをすることもなかったはず、と思ってしまって、一度も話しことの無い、しかも一方的に知っているだけの藍川真歩へ、謎の苛立ちが湧いてしまうのだ。

 ファイルを抱える手に力が篭る。

 二人の行動については、まだ黒河内に報告していない。黒河内と常葉には、是非仲直りしてほしいからだ。ついでに言うなら、自分との仲直りも。

 とはいえ、休み明けの月曜日から、急に二人とも目立った行動をしなくなったみたいで、これを良い兆しと捉えるには、いささか弥生には無理があった。少し不自然だからだ。

 何か企んでいる場合の可能性の方が高そう、というのが弥生の見立てだった。


「あっ」


 そんなことを考えているうちに、2‐Fの教室から常葉が出てくるのが見えた。以前から人ごみの中でも彼を見つけることができていたが、ここ数日でさらに得意になったかもしれない。

 他の生徒も大勢廊下へ現れて、常葉の背中が一瞬で見えなくなる。

 追いかけないと、とつい足が勝手に駆け出そうとするが、弥生はそれをぐいと堪えた。

 一之瀬常葉の監視、というだけで頭を抱えそうな問題であり、それは一筋縄でいかない複雑な問題だけれど、最近、もう一つの新しい問題が浮上したのだ。

 弥生は、すぐ右隣にある踊り場の角に目をやる。

 そこには、一人の女子生徒が居た。

 踊り場の角に身を隠しながら、廊下をちらちらと見ているのだ。


「この子、今日もいる……」


 そう、新たな問題とは、

 ――弥生の他に、常葉を監視している者がいる。

 ということに他ならなかった。

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