第16話 手段

 藍川との話し合いの結果、数日間、黒河内の動向を監視しようという話になった。

 表向きの黒河内を見たところで仕方がないため、裏の顔をどうにかして見れないかと、いわば潜入調査というか、スパイというか、そういったことに近い行動をとることになったのだ。

 もちろん、今は歩くだけで注目を集める藍川にその役を任せられるはずもなく、必然的に常葉が請け負うことになった。


「私の問題なのに、任せっきりで、ごめん」


 藍川はそう謝ってきたが、常葉には藍川の問題に付き合っているという感覚はほとんどない。あるのは、会長の無事のために動く意志だけだ。

 その意志の基、常葉は数日間、黒河内の後を密かにつけ、どうにかして秘密を探れないかと躍起になった。

 しかしこれもやはり、常葉たちが如何に楽観的かを思い知らされるが如く、何も成果を得られないまま、ただ時間だけが無慈悲に過ぎていった。

 ただでさえ焦る常葉の耳に、


「そういや、普通コースの何人かが黒河内先生の指導を受けてるらしいな。学年? いや、知らんけど、全校生徒のうち一握りだけって感じじゃねーの? いやまあ、ただの噂だけどよ。……もし受けてたとして、どんな指導受けてんだろうな」


 なんて涼が言うものだから、さらに焦燥を加速させるハメになっていた。もちろんだが、涼が悪いと言っているわけではない。加えて言うなら、その噂は他の生徒の口からも聞こえてきた。なぜ噂であり、明確な情報が出ていないか、という疑問は、やはり黒河内が何かを企んでいる証拠なのだろうか。

 そんなことを悩んだところで、常葉と藍川のやることは変わらない。

 現状を打破するために、二人は茶々堂にまたもや訪れていた。もはや常連である。

 黒河内の行動を監視し始めてから――特別授業の日を含め、既に四日が経っていた。

 入学式の日から、早くも六日立っていることになる。今日は休日だ。


「やっぱりさ、もうなりふり構っていられないと思うんだ」


 常葉は藍川の目を見てはっきりと言った。


「じゃあどうするっていうの? なりふりって言うけど、今だって十分なりふり構ってないと私は思うんだけど」

「いや、まだまだ全然甘いと思う」

「とりあえず、聞くだけ聞くけど……」藍川は少し眉間に皺を寄せている。「何をやるつもり?」


 常葉は一拍置くと、ゆっくりと口を開いた。


「盗聴」

「ぶっ!」


 藍川が吹き出し、咳き込む。咳き込みながらも、常葉の目を鋭い視線で見つめていた。


「だ、大丈夫?」

「あ、アンタ一体何考えてんの!?」口元を隠しながら、藍川が抗議する。「そんなの、犯罪じゃない!」

「藍川さんのお兄さんの話が本当ならさ、黒河内だって犯罪者になる。目には目を、なんていうつもりはないけど、それでも、こっちだって相応のことをやったっていいんじゃないかなって、そう思ったんだ」常葉は首を振った。「いや、やったっていい……なんて消極的なもんじゃない。やらないと駄目だ。黒河内には、それしかない。この数日間で、そう確信した」


 藍川は咽が落ち着いたのか、口元から手を離して、常葉の話に耳を傾けていた。

 しかし、相変わらず表情はしかめっ面で、少なくとも今の話を肯定的に捉えるつもりはない、という意志表示は明らかだった。


「理屈はもちろん、分かるんだけど……。それでもやっぱり、私はあまりやりたくない」

「どうして?」

「そっちがそんな危険を背負う必要はないから」藍川は視線を落とした。「これは元々、私だけの問題だった。あなたを巻き込んだのは私。そんなあなたに、犯罪行為をやらせるわけにはいかない」

「前にも言ったけど、僕は自分の意志でやってる。藍川さんを手伝おう、っていう感覚もないわけじゃないけど、結局いつも前に出てるのは、自分の意志なんだって」

「そうは言ってもさ……」


 常葉は少し、苛立ってきた。


「何でそんなに弱気になる必要がある? 藍川さんの目的は何なのさ。僕は会長の無事を手に入れたいと思うから、黒河内がまず危険な存在なのかどうか、藍川さんの話を元に判断しようとしてるんじゃないか」

「……」


 ここまで言って、藍川の視線がずっと上がっていないことに気付いた。同時に、自分が冷静でないことも自覚する。頭に血が上っていると分かる。

 一度深呼吸をした。


「……ごめん」

「……こっちこそ、ごめん」

「危険な行為だっていうのは、もちろん分かってる。でも、それくらいしないと、きっと事態は動かないと思うから」

「私が拒否しても、一人でやるつもりなのね?」藍川はようやく顔を上げた。

「……やらない理由がない」


 二人はしばらく視線を交わし続けると、藍川がふと目を逸らした。

 彼女はそのまま天井を見上げ、目蓋を閉じて肩で大きく呼吸する。

 葛藤が生じているのだろうか。

 もし、覚悟を決めてくれているのなら、常葉としてはありがたい。

 けれども正直、YESとNOのどちらの答が飛んできても、常葉は動じない自信があった。

 常葉の覚悟は既に、そう簡単に崩れるものではなくなっている。


「分かった」藍川は目蓋を開けて、視線を常葉に戻す。「私もやることにする」


 常葉は、ほっと胸を撫で下ろした。深く安堵の息を吐く。


「……良かった」

「何だか、びっくりする」

「何が?」

「……ううん、何でも」藍川は少し微笑んだ。「で、盗聴器なんて私は持ってないんだけど?」

「大丈夫。それなら宛てがある……というか、たぶんもうあるから」

「どういうこと?」

「僕の父親がさ、カメラマンなんだけど、そういった類のアイテムも持ってるんだ」

「え、えぇ?」藍川が目を丸くする。「それはその……つまり、怪しいお仕事をやってるってこと?」

「いやいや、それを使う場面があるってだけで、仕事自体は健全なものだから……たぶん」

「たぶんって……まあ、それはいいとしても、使い方は分かるの?」

「大丈夫、なんとなく分かる」常葉は人差し指を立てた。「最悪、父さんに聞けばいいし」


 常葉はつい得意げな気分になるが、何が得意なのかよく分からなかった。


「今すぐ帰って、盗聴器を探してもいいかな?」常葉は立ち上がりながら言った。「黒河内の指導が始まってるって噂が広まってるし、時間に余裕はあまりないと思うから」

「ええ、もちろん」藍川も立ち上がる。「私も行くわ」

「え? 何で?」

「実物を見ておきたいもの。あなただけが使うわけじゃないでしょ? 学校で使い方を教わるわけにもいかないし」


 常葉は「なるほど」と頷くと、財布だけ取り出して、カバンを背負う。


「今日は僕が奢るよ。こないだのお返し」


 前回の藍川を見習って、なるべく有無を言わせないよう、さっさと翻ってレジへ向かった。

 何も言ってこなかったので、成功のようだ。

 そんな常葉の背中を見て、藍川は何故か安心した気持ちになる。

 同時に、根拠のない自信がどんどん心から滲み出てきているのが分かった。

 理由は分からない。分からないけれど。

 ――彼となら、何とかなるかもしれない。

 そんな楽観的な考えが、先ほどから頭の中をグルグルと回り続けていた。

 それを思慮が浅いなどとは、何故か思えない自分がいる。


「……悪いけど、頼りにさせてもらおうかな」


 藍川は頬を緩ませながら、そう、小さく呟いた。

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