第09話 葛藤
今朝あんなことがあったというのに、意外にもテストを解く手が止まることは無かった。それは決して適当に回答を埋めていったという意味ではなく、もちろん集中できた、ということ。
嫌なことからは目を逸らし、別のことに頭を使って忘れようとしているのかもしれない。
目を逸らした先がテスト、というのは常葉としてはなかなか不服ではあったが。
「おっす、テストどうよ」
昼休みに入ったので、涼が弁当と自分の席の椅子を持ちながらこちらへ歩いてきた。常葉の机の側に椅子を置くと、そのまま腰掛けた。弁当を常葉の机の上で広げ始める。
「どうって……まあ、そこそこかな」
「うわぁ、くっそムカつくわ、それ」
「思ったよりって意味だから。課題テストって去年の復習みたいなものだし、去年で言えば、真面目に勉強してた時期の方が長いから」
「さようでございますか、随分と楽そうなことで」涼が口に入る直前で箸を止めた。「あー、俺もそんな風にスラスラ解けたらなぁ!」
「勉強しないから」
「正論を言うな」
「そういえば、涼は進路どうするんだっけ?」
「あ? 何だ何だ? 成績でマウントとるだけじゃ足らんのか?」
「違う違う。単純な好奇心」
「あっそ……まあいいけど。ってか前に言わなかったっけ? 俺、うちの農家継ごうと思ってんだよ。お袋は自由にしなさいっつってるけど、親父が猛反対」
「え、反対されてるの?」
常葉もカバンから弁当を取り出して机に置く。いまさら今日の献立にわくわくするような歳でもない。至って無心で蓋を取ると、昨日の残りものが詰め込まれていた。
「お前には無理だって言われる。やってみなきゃわかんねぇのに。大体あんたら二人も年でそろそろ辛くなってきてる癖によ」
涼はキツイ物の言い方をしているが、どう捉えても家族想いなのは明らかだった。
「なるほどね。反対を押し切るつもりでいるわけか」
「そういうこった。そういうお前はどうなんだ?」
「いや、今はまだ何も……」
と、常葉が進路のことについてぼんやりと考えていると、突然涼が「あっ」と声を上げた。
「なに?」
「そういやぁ、今日は謎のヒステリック美少女転校生を見てねぇな」
思わず、常葉の持つ箸が一瞬止まるが、すぐに意識して動かす。
「その呼び方、長ったらしいし半分悪口だし、やめたらどう?」
「可愛いのは事実だろ? だから今日も楽しみにしてたのによ」
常葉は一度溜息を吐いて、涼に送っていた呆れの視線を引っ込め、自分の弁当へ逸らした。
「欠席したみたいだよ」
「え、マジ? 何で?」
「知らないよ。でも、それっぽいことを廊下で聞いた」
「あーでも、考えてみりゃそりゃそうか。始業式であれじゃあ、みんな面白がったり気味悪がったり、普通に友達になりたくて寄って来るやつ居なさそうだし、休みたくもなるか」
「そうだろうね」
あくまでも平静を装って、常葉はひたすら箸を動かし始めた。
ばれるわけないとは思うが、かといって気分的には落ち着かない。意識せずには居られない。
何せ、藍川を帰宅させたのは他でもない、常葉本人だったからだ。
黒河内との対峙が、彼女の体力を大きく消耗させたのは言うまでも無く、あそこまでの緊張状態から解放された藍川は、ほとんどフラフラと言ってよかった。
藍川自身は「平気」だの何だのとの強がろうとしていたが、そこで引き下がるわけにはいかないだろう。
また――大袈裟な言い方をすれば――「イジメ」があるかもしれない。そうなった場合、今の藍川に耐えられる力はないようにみえた。
先ほど欠席という言葉を使ったが、厳密に言えば早退だ。
「あの子、頭良さそうだな~」
「だろうね」
「少しは否定しろよ」涼は唐揚げを咀嚼している。「きっとお前より頭いいぞ」
「別に構わないよ」
「まあしかし、会長の方が頭いいだろうけど」
「学年が違うだろ」
会長という言葉を聞いたとき、一瞬体が硬直したのを常葉は自覚した。
今朝、もともと会長からの頼みだったダンボールの運搬はきちんと終わらせた。
しかし、きっと……いや間違いなく、黒河内は今朝の出来事を会長に伝えるだろう。
そうなった場合、会長はどういう反応をするのだろうか。
最悪の場合、信頼をすべて失うことになる。
「おい、急にぼーっとしてどうしたよ?」
「え? ああごめん、なんでもない」
思い出したように箸を動かす。
……でも、これは会長のためなのだ。
そう心の内で言い聞かせたが、仕方がないと言って収まるほど、常葉にとって簡単な問題ではなかった。
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