第06話 生徒会長
常葉は昇降口を抜けて駐輪場へ歩き始めた。始業式が終わり、新学期が始まったばかりだというのに、グラウンドでは運動部がいつも通り活動しているし(新入生が見学していることを除いて)、ここへ来るまで文化部の活動も見た。なんだか、もう以前の空気と変わらないようにも思えてくる。
けれど、それはありえない。
以前の空気なんてものは、きっとこれからどんどん消えていくのだと、常葉は思う。
「黒河内……」
その名を口にしながら、常葉はポケットから自分のスマホを取り出して画面に視線を落とした。歩きながら、チャットアプリを起動する。
友達一覧をスクロールして、途中で指を止めた。
常葉は、親指の隣にある「藍川真歩」という名前を眺める。プロフィールのアイコンはフリー素材にしか見えない海の写真で、一言欄は真っ白だ。
結局あの後、絶対に写真は撮らないということと、必ず件の話をする、という約束付きでスマホを返した。後で連絡するから、ということで連絡先の交換をして、今日は解散となったのだ。
正直、校長室で聞いたことに尾ひれをつけて校内に拡散させようと思えば、簡単にできてしまう。けれど反対に、藍川だって、常葉の写真を撮ろうと思えばできるだろうし、加えて言っていた様に彼を貶めることだってできる。
フェアといえば、フェアだろう。
だからこそ、話が一先ずの着地点に辿り着けたとも言える。
常葉は藍川の話を聞きたいし、藍川は信じそうにない人に話すより、信じると言い張った人間に話した方がためになるはずだ。
突然、高らかな快音が常葉の思考を打ち切った。野球部がバッティング練習を始めたのだ。今のがホームランだったのかどうか、打ちあがった玉を青空が眩しくて見つけられなかった常葉には、残念ながら判断ができなかった。
「まあ、一先ずは落ち着けたし、考えるのも疲れるだけか……」
本当に思わぬイベントだったのだ。黒河内といい、藍川といい。
一旦、肩の力を抜こう。
――抜いた途端、
「痛った!」
左肩を思い切り叩かれた。
涼だったら一発殴る、なんて思いつつ、怒りを込めながら後ろを向くと、
「あ……」
常葉なんかより、よっぽど怒りの表情を浮かべた会長が、しかし笑顔で立っていた。
「一之瀬くん」会長はあざとく首を傾げる。「頼んだ仕事はどうしたのかな?」
「えっと……?」
「忘れたって言ったら殴ります」
思い当たる節は、すぐに見つかった。
つまり、
「校長室前に放置されている、ダンボールのことでしょうか……」
「誰も廊下に置いておけ、なんて言ってないんだからね」
藍川との一件があったせいで、すっかり忘れていた。いや、別に藍川のせいにするつもりは毛頭無いし、むしろ自分に全責任があることは重々承知ではあるものの、しかし、運びに行ったら校長室内で口論が展開されていた、ということを言い訳させてほしかった。
が、当然会長にそんなこと言えるわけもなく、
「すいませんでした……」
と、他生徒の視線が突き刺さる中、深々と頭を下げることしかなかった。
「歩きスマホなんてしちゃってさ。危ないからやめてね」
「はい」常葉は恐る恐る頭を上げる。「ひょっとして、尻拭いですか?」
「当たり前だよ、全くもう」
会長はそういってスタスタと歩き始める。その後を急いで追って、隣に並ぶ。
「申し訳ないです、ほんとに」
「反省してる?」
「そりゃもう」
「程度で言うと?」
「あー……一食分なら奢れますけど」
「ちょっと足らないかなぁー」
「え!?」
お釣りが出るぐらいだろうと思いながらの提案が、まさか足らないなんて言われるとは想像もできず、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「あのさ、肩を叩く前に、何回か後ろから呼んでたんだけど、気付いてた?」
「いや、全然知らないです……気付かなかったです」
「ほんとに? 意図的に無視してない?」
「神に誓って」
「ふーん。じゃあ何やってたの? ゲーム?」
呼びかけに気付かないぐらい熱中してたものが何なのか、会長は気になるようだ。けれど、ここで藍川の名前を出すわけにはいかなかった。
「えっと、黒河内先生について、少々……」
パッと思いついたその名前を口にして焦ったが、冷静になってみれば今一番ホットな話題と言えるし、そもそも会長は藍川の話を知る由もないのだ。
そんな風に安心したのも束の間、
「黒河内先生!?」
と、会長が弾んだ声で言った。
「え、何でそんな嬉しそうなんです?」
「私、黒河内先生のことすっごく尊敬してるんだよね。ファン……みたいな感じ」
「嘘ですよね?」
加えて、そんな言葉が驚くほど自然に出てしまった。ファンなんて言うもんだから。
「え?」
当然、会長もそのレスポンスの速さに困惑したらしい。
「あ、いや……だって会長、そんな話一度もしたこと無かったから」
「あー……言われてみればそうかも。言う機会、そもそもなさそうだし」
「尊敬って、どんなところにですか?」
「調べてたんじゃないの? 分かりそうなものだけど」
「人の口から聞いたほうが、説得力ってあるじゃないですか」
「……まあ、確かに」
会長はしばらく黙った後、唐突に口の端を上げて話し始める。
「その一」会長は人差し指を立てる。「黒河内先生は全ての科目を担当できる」
そんな馬鹿な、と心の中で呟く。
「その二。今まで国立進学が一切無かった学校で、一クラスまるごと国立か医学部に進学させたこと。……その三」会長は三本目の指を立てた。「それら全てを鼻に掛けず、謙虚な姿勢を保ち続けていること」
すると、何故か勝ち誇った表情の会長が、「ね、すごいでしょ?」と微笑みながら言ってくる。
敵だと思った人のことを、守りたい人が尊敬しているとは。
常葉の頭は、一瞬真っ白になった。
どうして、そんな楽しそうに語るんだ……。
「……何だか、突飛な話ですね。現実味が行方不明というか」
「全部本当のこと。だからこんなに有名なの」会長が笑う。「あー、映画楽しみだなぁ」
「映画?」
「一クラスまとめて進学させたっていう実話が、映画になるの。知らない?」
駐輪場が目の前に迫ったところで、突然校内放送のチャイムがピンポーンと鳴った。
周りの生徒は放送の合図を気にもせず歩き回る中、二人は立ち止まって耳を傾けた。
『生徒の呼び出しをします。3‐Aの日下部弥生さん、至急、職員室まで来てください。繰り返します――』
「あれ? 私だ……」
「何かやらかしたんですか?」
「そんなわけないでしょ。どちらかといえば、やらかしたのは一之瀬くん」会長は回れ右をする。「多分、生徒会のことじゃないかな……」
「大変ですね」
「他人事だと思って」会長は無邪気に笑いながら歩き出す。「さよなら、一之瀬くん」
遠ざかっていく会長の背中を見る。
何だか、変な使命感に体が支配されていく。
「会長、ちょっといいですか」
口が勝手に呼び止める言葉を放つ。
「ん? なに?」
振り返った反動で髪がふわっと揺れた。
「会長は、黒河内先生が来て良かったと思っていますか……?」
一体何を訊いているのか、自分でもよく分からない。
「もちろんだよ」会長は優しく微笑んだ。「だって私、受験生だから」
一陣の風が吹いて、二人の髪を大きくなびかせる。
常葉は会長の言った言葉を何度も頭の中で反芻した。
「……そう、ですよね。じゃあ、最高のタイミングなわけですか」
「んー、まあ、そうとも言うかも」会長は不思議そうに首を傾げる。「どうしたの? 急に」
「いえ、何でもないです……。呼び止めてすいませんでした」
「よくわかんないけど……まあいっか。それじゃあね」
小さく手を振って走っていく会長を、常葉は呆然と眺めた。
しばらくして、常葉はスマホで「黒河内正利」と検索を掛けた。ウィキのページを開き、その場で突っ立ったまま文章を読み進める。
書かれていた文章は、会長が言っていたことと全く、これっぽっちも相違なく、真実そのものとして綴られていた。少し驚いたことといえば、四十歳にしてまだ独身ということだ。これだけ成功しているのなら、相手がいるものだと勝手に思っていた。ワーカーホリックというやつだろうか。
しかし常葉は、唐突にスクロールする指を止め、眉をひそめた。
――退職。
その二文字は、常葉をぎょっとさせた。
文字通り、黒河内は教師を一度やめているらしい。時期を見てみると、まさかの去年の話だった。実湯木高校にいることはまだ書かれていなかったが、時間の問題だろう。
「えっ」
さらに読み進めて、思わず二度見する。
――退職理由、教え子の自殺による心的なショック。
教え子の自殺……?
常葉の中で、藍川の話が鮮明に浮かんでくる。
あの話が真実なら、彼女の兄は自殺しているのだ。
タイミング的なものもあるが、どうも偶然とは思えない。
しかし如何せん、自殺した生徒の名前はどこにも明記されていなかった。
ウィキにこれ以上の情報が無かったため、常葉は別のまとめサイトを点々と移りながら、詳しい退職の事情を調べた。
「ん……?」
ようやく辿り着いた一つのサイトに、こんな長文が書かれていた。
「あの子は私の前では常に明るく、あったはずの心の変化にまるで気付けていなかった。報告を受けたときは頭が真っ白になり、同時に自分の力不足を嘆いた。親族の方には改めてお悔やみを申し上げると共に、私も教育の場から一旦身を引くことにする」
どうやら黒河内は退職について、これとほぼ同様の旨を述べているらしかった。
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