第04話 秘密

 あれから何事も無く、式が終わった後の教室は、例の女子生徒の話題でほとんど持ちきりの状態だった。まだ担任が戻って来ていないので、各々好きなように行動している。大体がグループを作り、興奮気味に喋り散らかしていた。

 本来は黒河内正利が、このような高揚したムードを起こすはずだったのだろう。

 ヒステリック女、情緒不安定、精神病。彼女は全くと言っていいほど、良い言われ方をされていない。しかし気の毒なことだが、あんなことがあれば当然の結果だと言えた。


「しっかし、マジでやばかったな」


 涼が体を揺すって話しかけてくる。その声音は弾んでいた。


「僕の机に座るな。自分の図体のでかさを考えてくれ」

「別にいいじゃねーか。それよりも、ヒステリック女だって」

「酷い呼び方をするのな」

「あれ見せ付けられたら他になんて呼ぶんだよ。お前もしかして、同情でもしてんの?」

「ちょっとだけ」


 おどけた様子で訊ねてくる涼に、常葉は真面目な顔で答えた。

 体育館での光景がまだ目の前にちらついている。あれは決して、馬鹿にしていい叫びではなかった。間違いなく、底知れない大きな感情が込められていたのだ。

 そう考えると、黒河内のあの「笑み」が何かを裏付けているようにも思える。


「何ムスッとしてんだよ。心配するあたり、やっぱお前主人公役に向いているぞ」


 常葉は涼の言葉を無視する。


「それより涼、いい加減に気付きなよ。今朝可愛いって叫んだあの女子生徒と、涼が言うヒステリック女、たぶん同一人物」

「えぇっ!? マジで」


 涼が大仰に飛び降りて、机がガタっと強く揺れた。


「まあでも僕としては、叫んだ女子生徒よりも新しく来た黒河内とかいう教師の方が、何倍も気になるけどね」

「謎のヒステリック美少女転入生よりもか?」

「んー、なんていうか、いまいち言っているに共感ができないんだよ。僕にはあの男が、胡散臭いことをばらまいている様にしか見えなかった」

「あーなんだ、俺てっきりお前が中年男性に目覚めたのかと思ったわ。安心した」

「ぶっ飛ばすよ」

「できんのか? 俺の図体のでかさを考えろよ」

「学園RPGの主人公なら造作もないでしょ?」


 そこで担任が教室に戻ってきたのでHRとなった。今日の日課は式だけで、そのまま下校という流れになる。

 解散が告げられて一気に教室内が賑やかになる。部活動がある者は弁当のふたを開けたり購買へ駆け出したりして、そうでない人はさっさと帰宅の準備をし始める。あるいは意味もなく居残ってだらだらと話をする人もいる。

 春休みでしばらく顔を合わせなかったとなると、やはり積もる話もあるのだろう。

 皆の笑顔が妙に眩しい。


「常葉、帰ろーぜ」

 

 カバンを担いだ涼がいつの間にか近くに居た。


「あれ、柔道部は? 今日は休み?」

「新入生勧誘のためにデモンストレーションとか言うのをやるんだと」

「で、涼はそれをサボるわけ」

「たりめーよ。俺は練習がしたいんだ。そんな茶番に付き合う暇はない」


 常葉は椅子から腰を上げ、軽いバッグを背負った。


「でも悪いね。これから生徒会の残業がある」

「帰宅部のくせに忙しいなお前。あ、もしかして会長のこと狙ってんな? 配信者スキャンダルだな」

「会長もスキャンダルも、どっちもありえないから」

「あーあ、会長可哀相に」

「こんなホラ吹きが先輩だなんて、柔道部の後輩にはほんと同情するよ。おまけにデモンストレーションに不参加とは、後輩思いの欠片も無いね」


 涼の肩にぽんと手を置いて、常葉はそのまま廊下へ出た。後ろから「ムキになるなよ」と笑い混じりの声が聞こえてきたような気がしたが、もちろんスルーが定石だ。



 

 生徒会室の扉を開けて中を見渡す。中央に机がいくつか寄せて並べられており、ちょっとした円卓のようになっている。その上には綺麗に片付けられており、書類などは全て壁の棚に収納されていた。もちろん床にも目立つゴミは転がっていない。

 その整頓をいつも一人でこなす会長は今はいない。他の役員の姿も見当たらない。常葉だけが、放課後の雑用を頼まれたのだ。

 常葉は隅の方に置かれている使い古されたしわしわのダンボール箱を両手で抱え、教室を出た。中には資料がびっしりと詰まっておりそこそこ重い。何の資料かは分からなかった。

 今日の仕事はこれを校長室に運べば終わりだ。昨夜の配信を編集して一本の動画にしたいので、本当はさっさと帰りたかった。ただでさえ配信時間が長く、それに字幕をつけたりカットしていくとなると、どう考えても半日で終わる作業量ではなくなる。

 配信と録画を並行するスタイルは色々と大変ではあるが、楽しさが大きいため特に苦痛は感じない。少なくとも、学校の課題とは比べてものにならない。

 校長室の周りは使用頻度の低い教室が多くあるため、人通りが疎らである。日が落ちかけているときに訪れると絶妙な不気味さを醸し出してくれることで有名ではあるが、それは日中もあまり変わらないようだった。屋外から聞こえる喧騒がさらに疎外感を加速させている。

 階段を上がれば、校長室はもう目の前だ。高級そうな木製の外壁は明らかに他から浮いており、すりガラスの埋め込まれた扉も同様にセンスのなさを感じさせる。何代か前の校長が自腹を切って改装工事をした、という噂を聞いたことがあるが、たぶんこれは元からだろう。


「――!」


 扉へ近づくと、中から女性の声が聞こえた。くぐもっていて何を言っているのか全く分からないが、一先ず揉めていることだけは分かる。常葉はそのまま入室するわけにもいかず、ひと段落するまで廊下の壁にもたれて待機することにした。

 ダンボール箱を床に下ろして耳を澄ます。


「だから――っ!」

「……この声」


 始業式の例の彼女によく似ている。叫び声の特徴がそっくりだ。

 要するに(涼が言うところの)謎のヒステリック美少女転入生である。

 もちろん普段は盗み聞きなんて真似はしようとも思わないが、それでも今回ばかりは好奇心に勝つことができなかった。常葉には、どうして彼女があんな行動を取ったのか、その理由が酷く気になったのだ。

 揉めている訳なんて全く分からないが、それでも何か聞けるかもしれないと思った。

 あの黒河内とか言う男についてのことも、もしかしたら、多少。

 常葉は音を立てないようにそっと扉に耳を当てた。


「いいですか、藍川真歩あいかわまほさん」校長の声だ。「貴方の言うことが本当であるという証拠はどこにも無いんです。もし黒河内先生がそんな人であれば、私は絶対に彼を招いたりはしていない。そしてそもそも、そんな事件があれば、今のメディアは色々と敏感ですから、表沙汰にならないわけが無い」

「ですから、何度も申し上げるとおり、黒河内は隠蔽しているんです! ……いいえ、隠蔽しているのは指導を受けた生徒の方。黒河内は生徒の心をほとんど意のままに操る技を持ってるんです! だからどこにも明るみならない」


 藍川と呼ばれた女子生徒が相変わらず声を荒げている。


「出鱈目を言うのもいい加減にしなさい!」校長が声を張った。「生徒の心を意のままに……? どうやって、そんなこと。だったらその方法を具体的に言ってみなさい」

「それは……」藍川の声に勢いがなくなる。

「お兄さんが自殺されたことは、ええ確かに、気の毒なことだとは思います。ですがね、それをそんなわけの分からない理由をでっち上げて黒河内先生のせいにし、そればかりか私のところへこうやって先生を辞めさせるよう直談判しに来るなんてのは、流石に目に余る――いいえ、処罰ものです」


 なんだって? 兄が自殺……?


「……どうして信じてくれないんですか」藍川の声に覇気がなくなっている。「私だって、こんなことしたくない。けど、やらなきゃ駄目なんです。兄が死んだのも、それででお母さんがおかしくなったのも、全部、黒河内せいなんですから」


 ……母親にも何か影響があったというのか。


「それは先生に対して失礼だ! 藍川さん、言葉には気をつけなさい」

「……」


 返答はなく、しばらく沈黙が続く。扉越しにも気まずさが伝わっており、まるで扉の隙間から重苦しい空気が滲み出てきているようなものだった。


「……藍川さん、貴方が私的に黒河内先生を嫌っているにしても、このようなことは絶対にしてはいけない。確かに、好かない教師の一人や二人はいるものでしょうし、加えて転校後の高校でも再び顔を合わせるともなると、その辛さは私にも分からないわけではありません」


 やはり藍川という女子生徒は転入生のようだ。校長はそのまま続ける。


「今回は……まあ、藍川さんのそういった事情を知らなかったということもあり、大目に見ることにします。本来なら職員会議に掛けられて然るべきことですからね。とはいえ幸い、黒河内先生は特進コース担当ですし、藍川さんは普通コースなのであまり関わることは無いでしょうから、藍川さんならきっと大丈夫だと思っています。もし辛いようであれば、スクールカウンセラーに相談してください。話は終わりです」


 校長はそう捲くし立てた。面倒ごとを終わらせたいように聞こえる。


「……校長先生」藍川が力なく声を発した。

「なんですか?」

「通うだけ無駄です、こんな学校。失望しました」


 直後、足音がどんどん常葉の方へ近づいてくる。藍川が部屋から出ようとしているのだ。

 慌てて顔を離し、スリッパを脱ぐ。ほとんど足を運ぶことのない教室が並ぶ廊下を、常葉は昇降口から離れるようにして全力で走った。基本的に生徒はこの廊下を歩く必要が無いから、校長室から出たら絶対に目の前の階段をそのまま下りていくはずだ。

 ある程度距離をとったところで、微妙に凸になっている壁に身を隠してやり過ごす(凸と言っても身の幅ほども出ていないため「身を隠す」とは到底言えなかったが)。

 息を殺してじっとする。汗が体をじんわりと覆っていき、とにかく気持ちが悪かった。

 しばらく経ち、頭を出して校長室の方を見る。廊下にはダンボール箱がポツンと置かれているだけで、人の姿はなかった。

 どうやら、何とかなったらしい。

 別にばれたからと言って、常葉には生徒会の仕事というちゃんと理由があるのだから、何もやましいところは無かったのだけれど、しかしどういうわけか、咄嗟に体が動いていた。

 とはいえ、あの言い争いに第三者として介入する勇気が微塵もないのも事実である。

 そう考えると、無意識だったとはいえ己の判断は正しかったのだと思えた。

 なんてことを思いつつ、常葉は本来の仕事を果たすべく再び校長室の方へ歩いた。

 そして、ちょうどダンボール箱の前まで来たとき、


「っ!?」


 突然廊下の角から人がこちらへ向かって飛び出してきた。

 声をあげる前に口元を抑え付けられ、先ほどの緊張と全力疾走、そして予期せぬ事態から常葉はろくな抵抗もできずに階段の方へ引きづられて行き、無理やり上の階へ上らされる。校長室がどんどん離れていく。足がもたついて色々なところにぶつかる。痛い。

 ……上の階って確か、屋上じゃあなかったか。

 そう思った途端、視界に落書きだらけのホワイトボードが割り込んでくる。それは、たった今常葉が引きずられている階段へ、生徒が入らないように通せんぼしているものであり、ボードの向こう側の面には、「立ち入り禁止」とデカデカと書かれているはずのものだった。

 しかし如何せん、階段を隙間無く塞げるほど、ホワイトボードは大きくなかった。

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