第03話 始業式

 教室へ到着すると、既に多くのクラスメイトが登校していた。新しいクラスに早速馴染んで駄弁っている者も居れば、慣れない環境の中を必死に耐えている者もいる。

 かくいう常葉は、涼がいるためあまり気にしていなかった。深く関わる友人は一人でいいというのがモットーで、その枠に涼を当てはめている。

 まあ、笑い話ができるぐらいの友人は、少ないながらに一応は居るのだけれど。

 常葉と涼の席はかなり離れていた。「一之瀬」はこのクラスでは出席番号の二番目、「牧野」は出席番号の最後の方だから当然だ。常葉の席は窓際の列で前から二番目の位置だった。

 早速カバンを机に置いて、ジッパーを開ける。

 仕舞い込んだクリアファイルからとある書類を取り出し、それを持って教室を出ようとする。


「あ、おい常葉! どこ行くんだ?」


 ちょうど廊下に出る寸前で涼に呼び止められた。涼の席は廊下側の一つ左の列、前から三番目だ。


「生徒会。始業式で仕事があんの」


 そう言って手に持った書類をヒラヒラさせる。

「ご苦労なこった」と手を上げる涼に同じく手を振り返し、常葉は始業式が行なわれる体育館へ急いだ。

 まだ人の入っていない体育館は結構寒く、落ち着かない開放感がある。下駄箱から取ってきた体育館シューズに履き替えて、常葉は舞台から体育館の全貌を眺めていた。


「一之瀬くん」


 舞台袖から声を掛けられたので、体の向きをそちらへ変える。

 眉尻の下がった優しげな瞳には大きな黒縁メガネが掛けられ、その顔立ちは知的で落ち着いた印象を受ける。それを彩るように束ねられたハーフアップの髪は、上品さや華やかささえをも感じさせた。

 きっと彼女には大半の人が気を許してしまうのではなかろうか。

 実際、彼女はこの実湯木高校で一番の有名人だった。

 何を隠そう、我らが生徒会長である。


「おはようございます、会長」

「おはよう。どう、春休みの課題は終わった?」

「いえ……まだです」

「もう……しっかりやらないとだめでしょ? 普通コースになったからって、流石にたるみすぎだと思うよ」会長は悲しそうな表情をする。

「それは分かってるんですけどね……」


 今は配信に対して真面目なんです、とは流石に言えない。


「私としては、そもそも特進コースから降りたってことに物申したいんだけどね」


 実湯木高校には普通コースと、入試で高得点を収めた成績優秀者で構成された特進コースなるものが存在する。想像の通り、国公立など難関大学への入学を目標としたコースなのだが、最近の常葉はあまり良い結果を残せていないのが現実だった。

 常葉が普通コースに移動したのは、そんな自分の実力に見切りをつけたからではなく、単純に配信に生き甲斐を見出してしまったから、という勝手極まりない理由である。

 もちろん、誰にもそれは言っていないが、会長には特にその真実を伝えるわけには行かなかった。怒られるに決まっているし、失望されて悲しまれるに決まってもいる。


「ま、別にそれはもういいんだけどさ」


 ところで、と会長は続ける。


「新任の先生の話、聞いてる?」

「え? 今年って確か異動だけで、新任教師はいないはずじゃ?」

「そんなこと、普通じゃ考えられないでしょ」

「いやまあ、そうですけど……」

「ちゃんと理由があるんだって」


 会長はニヤリと笑ってメガネの位置をくいっと直した。


「で、その理由とは」

「なんかね、実は一人だけ新任の先生を呼んでいるらしくて、そのせいで他が呼べなくなった……って話みたい」


 そのせいで、とは一体どういうことなのだろう。


「え、何ですそれ、そのたった一人の新任教師が金銭的に他が呼べなくなるぐらいすごい人、みたいな話ですか?」

「職員室でちょっと盗み聞きしちゃった話だから、残念ながら詳しいことはさっぱりだね」


 さらっと会長が言う。

 盗み聞きて……貴方って人は。

 まあしかし、生徒会長ということで職員室に入る機会も多いだろうし、そうやって偶然耳に入ってしまうこともあるのだろうけれど、それはそれとして教師はもう少し周囲に気を配ったほうがいい。

 舞台でそんなやりとりをやっている間に、生徒たちがゾロゾロと体育館に集まってきた。静かだった体育館にはたちまちざわめきが伝播していき、舞台から見るその光景は、まるで細菌が凄まじい速度で増殖していくパンデミックのようにも見える。

 今回始業式でする仕事は司会進行役としてマイクを持つことなのだが、常葉の役職は書記だった。役職名通りの仕事なんてごくごく一部であることを、最近になってようやく思い知ったのは少々遅かったかもしれない。

 舞台袖に繋がる扉の前にマイクスタンドが立ち、常葉はその付近の壁にもたれていた。他の役員は会長を含めそれぞれ別の仕事があるのか、近くには教師しかいない。

 生徒が綺麗に整列して座っていく様子を何ともなしに眺める。するとその中に、落ち着きなくごそごそと動く涼の姿を遠くに見つけた。2‐Fだからか、場所はかなり後方だ。

 やがて整列指導を終えた先生方が、常葉と同じように壁付近に並び始める。


「ん……?」


 先生の中に、知らない顔があった。

 常葉より二回りも大きな肥えた顔と、感情の見えない細長い目。顔つきは明らかに中年のそれだが、髪の毛は不自然に若々しい。真っ黒なスーツと一際目を引く深紅のネクタイという主張の強いコスチューム。突き出た腹で背広の布が足らないのか皺ができている。

 あれが会長の言っていた、例の新任教師だろうか。

 しかし、初めて見るはずなのに、どこか見覚えのある容貌だ。

 小首を傾げていると先生に開始を合図されたので、何だか釈然としないままマイクの前に立った。


「これより、一学期始業式を行ないます」


 いつの間にかしんと静まり返っていた体育館に、常葉の声がゆっくりと響いた。

 始業式最初のプログラムは、生徒会長の挨拶になる。

 常葉のアナウンスで会長が脇に設えてある階段を上がって舞台に現れた。会長が演台のマイクにスイッチを入れたのを確認して、常葉はハウリング防止のため自分のマイクをオフにする。


「みなさん、おはようございます。生徒会長の日下部弥生くさかべやよいです」


 当たり障りない内容を、会長は柔らかな声音で淡々と話していった。特に気になることを話しているでもないのに、誰もウトウトしていないところを見ると、やっぱり人前に立って話すのが上手なのだなぁと思う。それに人望もあるだろう。

 日下部会長が来期も会長に立候補すれば、間違いなく当選すると常葉は確信している。

 演説が終わり、会長が礼をして拍手と共に降壇してくる。途中、会長がこちらへ向けてさりげなく微笑んできたが、反応に困ったので無視することにした。

 会長が常葉の後ろを通って所定の位置に戻ろうとするとき、


「無視は酷くない?」

「っ!」


 と、突然耳元で囁かれ、常葉は思わず背中を丸めてビクッとする。

 振り向くと、会長が勝ち誇った顔で常葉の後ろを早歩きで通り過ぎていった。

 そういう少しだけ面倒くさいところを直しさえすれば、もっと完璧なのだけどなぁ……と、常葉は内心で呟いた。

 もたもたとしていたら先生に早くしろと急かされたので、すぐにマイクをオンにして慌てて喉を震わせる。


「次に――」


 式はその後も順調に進み、後は校長の話、それと閉式の言葉を残すのみとなった。

 よぼよぼで髪の薄い校長が壇上でマイクを握る。こちらのマイクをオフにして校長の様子を眺めた。


「みなさん、おはようございます」


 後に続いて全校生徒も「おはようございます」と返す。全員にしては声量がない。


「えー、みなさんも薄々気付いているかもしれませんが、ここ私立実湯木高校は、数年前から入学者減少に悩まされてきました。少し前からは定員割れは当然のことになり、それでも毎年入学者が減り続けています。 

 その原因として、有名大学への進学率が落ちていることや、部活動の成績が芳しくないことが挙げられます。我が校は他校と比べ校則が著しく緩く、自由で和やかな校風で知られています。私も、それ自体が悪いことだとは決して思っていません。ですがその半面、学業や部活動などが疎かになっているのもまた、事実なのです。

 我が校はこれを解決し、ひいては入学者不足問題を終わらせるべく、一つの対策を講じることにしました。えー、では、黒河内くろごうち先生、壇上へどうぞ」


 体育館内が途端にざわつき始める。

 常葉にはその理由が分かった。

 黒河内。この名前には聞き覚えがある。メディアに日常的に触れている者ならば、一度は目にするか、耳にしたことのある名前であり、おそらく多くの人――特に学生が揃って尊敬の言葉を口にするはずだ。そういった場面を、常葉は何度かバラエティ番組や情報番組で見たことがあった。


「はい」


 左の方から野太い声が上がり、一人の中年男性がドシドシと歩き始めるのが見えた。

 式が始まる前に見た、知らないはずなのにどこか知っている顔。そして腹の突き出た特徴的な体格と、黒と赤のコスチューム。

 やはり、あの既視感は気のせいではなかったのだ。

 黒河内と呼ばれた男が、常葉の前を右から通り過ぎていく。


「……!?」


 その男の顔を見て、常葉は思わず目を見開いた。

 何なんだ、あの表情。

 脂肪で肥大化したその顔には、何故だか不敵な笑みが浮かんでいたのだ。

 あまりの不気味さに寒気が走ったが、常葉は何とか落ち着こうと胸に手を置く。

 何なのだろう、この押し寄せる不安は。

 異様に嫌な予感がする。

 常葉は黒河内の後ろ姿を眺めながら、ただただ「何かがマズイ」と考えた。

 しかしその「何か」の正体は、常葉にはまるで実態が掴めなかった。


「もちろんみなさんも知っている、あの黒河内先生を、我が校にお呼びすることに成功したのです。それでは黒河内先生、自己紹介をお願いします」


 校長は壇上に立った黒河内を紹介し終えた後、そのままマイクを彼に手渡した。

 体育館はざわめきが収まらず、しかもそれは次第に大きくなっていく。皆が彼を見て少なからず興奮していた。なにせテレビにも出演する有名人なのだ。そんな人物が今、自分たちの目の前に居ることだけでなく、これからこの高校の職員として働くと言っているのだから、気分が昂ぶるのは致し方ないことのように思える。

 あまりテレビを見ない常葉でさえ、彼のことを知っていたのだ。しかし常葉が今、他生徒と同じ気持ちかと言われればきっとNOになるだろう。

 常葉の頭には、先ほど黒河内が浮かべた酷く歪んだ笑みが、ずっと映し出されていた。


「どうも、黒河内正利くろごうちまさとしと言います。みなさん、こんにちは」


 その低くねっとりとした声に、体育館のざわめきが小さな歓声に変わる。

 これがもしアイドルグループだったりしたら、もっと喧しくなるだろう。


「自分がここに来た理由は、先ほど校長先生が仰られた通りです。えーっと、自分を

知ってるって人、どれくらいいます?」


 片手を挙げながら、黒河内は全校生徒にそう問いかけた。

 挙がった手はここからざっと見て、九割ぐらいと言ったところだろう。ほぼ全員に近かった。それほどこの男は皆に知られているということになる。


「あ、結構いるんですね。はいはい、分かりました。確かに私には、メディアで報じられているような実績が一応あるわけですが、それを鼻に掛けるつもりはありません。全く、ありません。」


 黒河内はハッキリとした口調言い切った。

 常葉はその「メディアで報じられているような実績」を基にして現在進行形で映画が作られている話を思い出したが、一体どんな内容なのかまるでよく知らなかった。


「ここではただ単純に、自分が呼ばれるに至った原因を全力で解決していくのみです。それはつまり、この学校に数多くの輝かしい成果をもたらすこと。具体的にいえば、多数の生徒を有名大学に進学させること。そしてそれは、決して自分だけで成せることではありません。皆さんの協力が必要不可欠になります。自分と皆さん。この二つが歩み寄ることで初めて、この学校は評価されるようになり、やがて全国的に見てもレベルの高い新学校になると思います」


 つまるところこの実湯木高校は、入学者減少問題を解決するために進学で学校の名を上げることを目論見、それをサポートする形で今話題の黒河内正利を呼んだ、という経緯になる。

 有名人物を招いただけでも十分な宣伝効果に繋がるとは思うが、きっとそれだけでは足らないと判断したのかもしれない。

 常葉自身も生徒会に身を置く者として、入学者減少問題については何度か小耳に挟んでいたけれど、まさかここまでするとは思ってもみなかった。

 どうやら学校は、想像以上に本気らしい。


「私は特進コースを受け持つことになります。しかし、良い大学に進学したいと思っている人は、きっと普通コースにもたくさんいますよね。そういう人でも、可能な限りサポートしていきたいと思っているので、安心してください。

 これからはきっと、今までの学校生活とはガラッと変わってしまうかもしれないですが、それは仕方の無いことです。嫌だなと感じた人は多いでしょう。

 けれど考えてみてください。

 自分は生徒一人ひとりの力を見極め、常に傍に寄り添うことをモットーとしているので、勉強が嫌いにならないよう最善を尽くせるのです。楽しんで成績を上げることができる……これほど良いことが、他にありますか?」


 先ほどまでそわそわしていた生徒たちは愚か、教師たちまでもが彼の話に真剣に耳を傾けている。

 そんな中、体育館全体を見渡す常葉の視界の端に、小さな動きがあった。

 


 ――一人の女子生徒が突然、その場に立ち上がったのだ。


 

 それはあまりにも唐突で、目立ち過ぎた。

 立ち上がった彼女は何かするでもなく、俯いたままでいる。たった一人、ポツンと。

 それに気付いた生徒がざわつき始め、次第に体育館全体へ広がった。教師たちもどうしたらよいか分からないのか、注意するのを躊躇っているようだ。

 彼女の位置は中央の前寄りなので、おそらく2‐Bあたりだろうと予測する。

 いや、それよりも……。

 彼女の佇まいは、今朝ぶつかった女子生徒にとてもよく似ていた。

 あの黒髪、間違いない。


「えーっと、君、どうしたんだい? 何か質問が?」


 壇上の黒河内が機転を利かせて発言した。他の教師はほっとしたのか、二人の会話に集中し始めた。

 すると、彼女は――、



「いい加減にしてっ!」



 マイク越しでない、間違いなく彼女自身の華奢な体から放たれた肉声が、体育館の空気を盛大に震わせた。

 全員が驚愕に目を見開き、言葉を失っている。沈黙が流れ、それは妙に長く感じた。

 それを破ったのは、黒河内だった。


「どういうことかな?」


 その問いかけに彼女はためらわずに首を上げると、壇上の黒河内をその鋭い目付きで睨んだ。

 黒河内が少しだけうろたえた。よほど攻撃的な表情だったのだろうか。

 大きく息を吸い込んだ彼女は、先ほどとほぼ変わらない声量で、叫ぶ。


「アンタの言ってることは、全て嘘っぱち!」

「ど、どういうことかな?」

「アンタのせいで私は――」


 彼女はそこで言葉を止めると、思い出したかのように辺りを見渡し始めた。胸に手を置いたかと思うと、まるで殺人でも犯したような悲惨な表情になっていく。

 次の瞬間には、彼女はその場に支えを失ったかのように、ガクッと跪いた。

 どよめきが走り、体育館後方にいた養護教諭が慌てて彼女の元に駆けつける。そのまま肩を支えられながら二人は体育館から姿を消した。

 教師も生徒も、全員があっけにとらえて顔が固まっている。無理もない、突然立ち上がった女子高生が激昂し、何かを叫んだと思うと、最後まで言い切ることなく途中で倒れてしまったのだ。大半の人間が現状を把握しきれていないだろう。

 我に返った教師に「続行を」と指示され、常葉はマイクに声を通す。

 ようやく式を再開することができたものの、その後は夢でも見ていたかのように曖昧な記憶しか残らなかった。

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