第6話 わがままになれ。

筆者は。わがままです。

もちろん、各担当者が困っていることもわかっています。

神経難病。運動ニューロン病の重症者は。わがままになれないと生きていけないでしょう。

訪問看護師。訪問リハビリ。訪問ヘルパー。訪問入浴。等々、福祉制度でがんじがらめです。

もちろん、希望通りにいかないことの方が多いでしょう。

それでも、わがままを言うべきです。

普通の人間なら、自分の感情で、自分の能力で楽しめることなら、わがままでもやりましょう。

両手両足が動きません。

なまじっか、着いているから、動かないのが、悔しい歯痒い、自分の身体が、そこにある。

見えているのに、頭で考えても動かない。

動かなくても、道具を頼ってできることならやりましょう。

身体が寝たきりになっても、頭は、寝たきりになっていない。

だから、屈辱的で惨めになるんでしょう。

毎日、決まった時間に陰部洗浄をされます。

羞恥心が残っていたら、恥ずかしいですよね。

毎日、決まった時間に流動食を流し込んでもらいます。

自分自身ができることは、考えることだけになります。

こうなると、ろくなことを考えなくなります。

親しい友人との楽しいおしゃべりは、できません。テレビを見ることはできるのですが、寝たきりで、テレビの方向に顔を向けていられません。

介助が、大変ですので、しばらくすると見せてくれなくなってしまいます。

自分が置かれている世界が、自室の天井と壁だけになります。

筆者の知人は、かなりの人数がFMラジオに楽しみを見つけられていました。

FMラジオなら、病院でも、イヤホンを使って同じ番組を聞くことができます。

テレビ番組は、季節によって、楽しみにしている番組が放送されません。

高校野球・プロ野球・プロゴルフ等々、スポーツイベントに楽しみが奪われます。

スポーツ観戦が好きなら、良いのですが、他人が元気に跳んだり跳ねたり走ったりしていると、自分の身体をまた屈辱的で惨めな状態だと思ってしまいます。

テレビ画面を見ていても、数分もすると、視線が下がってしまい、見ていられません。

ヘルパーさんだって、そんなに首の向きにばかり注視していられません。

なぜ、こんなにテレビとラジオに執着するのかと言いますと。

ALSだけでなく。

ALSに似た難病がいくつか有って、ALSを含めて全ての難病で、最後まで目と耳は正常に機能するからです。

目と耳しか正常に動かなくなることは、ほとんどの患者が知っています。

ALSをはじめ、ほとんどの神経難病は余命数年以上ありますので、先生方も簡単に病名を告知してしまいます。

家族にしても、すぐに死ぬことがないと、患者の前でも平気で、難病の話しをします。

ところがです。

自分の身体が動かなくなるとわかっていて、その通り、少しずつ動かなくなっていく不安と恐怖のことは誰も考えてくれません。

自分の身体が、徐々に動かなくなるとわかっていて、どうすることもできないのです。

リハビリやトレーニングで、なんとかできると考えがちですが。

そんなことくらいで防げるのなら、難病とは言えません。

難病は、原因不明です。

治療方法は確立されていません。

したがって、手をこまねいて見ているしかできないのです。

患者本人は、自身の病状の進行をヒシヒシと感じとってしまいます。

そして、徐々に不安と恐怖が大きくなっていきます。

しかし、誰にも寄り添ってもらえなかったら。

独りで病気に立ち向かい、独りで不安や恐怖と闘っているのです。

そりゃ、安楽死したくもなります。

しかも、主治医に相談しても、生きていなさい。というだけなら、患者には、何を目標に、何を楽しみに生きていけば良いのですか。という疑問しか残りませんよね。

そうなってしまうと、常に死ぬことしか考えられなくなっていきます。

難病患者の集まりや、難病に関する手続きの会場等には、必ずと言って良いくらい命の電話の案内があります。

安楽死と自殺の願望を持つ患者が、それほど多いのでしょう。

しかし、難病患者の会や難病に関する手続きを自分で行うほど前向きな人が安楽死や自殺の願望など持ちません。

人間、死ぬまでしか生きていられません。

しかも、どんな偉い方でも1回しか死ねません。

安楽死や自殺の願望を持つと、その気持ちはどんどん大きくなっていくのでしょう。

患者さんには、寄り添うべき人が寄り添ってはじめて、癒しが与えられます。

訪問看護師・訪問リハビリ・訪問入浴・訪問ヘルパー等々。

数多くのプロがサポートしますが、所詮は他人です。

寄り添うべき人ではありません。

いや、患者は喜んでいます。

訪問看護師・訪問リハビリ・訪問入浴・訪問ヘルパー、皆さん、本当に一生懸命、患者に寄り添おうとしています。

目と耳が正常で、脳が正常なら、他人なのに寝たきりの患者の世話がどれほど大変なことかは、わかります。

ですから、感謝はしています。

いくら仕事とは言っても、寝たきりの難病患者のお世話等、大変きわまりないでしょう。

患者は、そのことをわかっているのです。

でも、彼等のために生きようとはなりません。

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