第4話 本来は、国でコントロールして

筆者の場合は、外出支援のヘルパー業者さんが、福祉車両を所有して下さっておりますので、極端な話し、ドライブすら可能性があります。

近くのスーパーマーケットやコンビニに行くことは可能です。

近くの外食店には、数軒ですが車イスで入店できるお店があります。

屈辱的で惨めかもしれませんが、自分の紙オムツを自分で買いに行くという笑い話のようなことができるようになりました。

筆者は、身体障害者手帳で体幹と両手両足の障害2級を認定頂いております。

障害者自立支援法による、重度支援者福祉支援区分は、6階級の5という重い方から2つ目の認定を頂きました。

介護保険は、最上級の要介護5という重い認定を頂いております。

別に行政が間違っているのではありません。

筆者の病状は、そこまで悪化しているはずなのです。

本来なら、寝たきりでも、医療者の誰にも咎められない病状なのですが、筆者は我ながら強欲なもので、寝たきりになりたくないのです。

ヘルパーさんや介助者の労力迷惑を省みずにあちこち同行させてしまってます。

諸外国の状況は知りませんが、日本の道路は、付き添いがプロであれば、それほど危険ではないようです。

電動車イスで国道を渡るのです。

車イスでも、通行できるように段差は減らしてありますが、バリアフリーとまでは言えません。

だからこそ、プロの介助が必要になります。

中には、車イスで渡りきれない段差の交差点や車イスが転倒するほど傾いた歩道もあります。

筆者も、何回も電動車イスごと転倒してケガをして救急車のお世話になっております。

筆者の経験上、国道の歩道はバリアフリー化が進んでいるように思います。

だいたい、医療的にも、行政的にもほぼ寝たきりと判定されているにも関わらず、行動範囲が広過ぎるというお叱りは、甘んじてお受けします。

筆者の行動方法は、けっして他人におすすめできません。

危険過ぎます。

危険と恐怖心を克服してこその自由と考えております。

屈辱的で惨めと嘆いても、誰も助けてはくれません。

今回の安楽死事件にしても、行政も介助も介護も看護も主治医も寄り添っていなかったということでしょう。

家族でさえ、寄り添えなかったのでしょう。

当たり前です。

なぜ病気になって、これからどうなるのかすらわかっていないのです。

それが神経難病です。

寄り添いたくても、寄り添い方がわからないと思います。

患者に、生きる喜びや楽しみをお届けできていたなら安楽死という選択肢はなかったでしょう。

安楽死を含めて自殺という行為は、生きることが何よりつらくなければ実行しません。

死んでしまえば生きていられなくなりますよね。

死後の世界は、よほど良い所なんでしょう。

完全に死後の世界まで行って、帰ってきた方にお会いしたことがありませんので、生きているのがツラいから死ぬということが良い方法かどうかすら、筆者には判断しかねます。

でなければ、死んでいるのがツラいから生き返ったという方のお話しを聞きたいものです。

ただ、居住地域によって行政サービスの運用が違うというのは、なんとかならないのでしょうか。

地方自治体によって、力量が違いますよね。

福祉を担う業者の数が違います。

在宅療養ができる地方自治体とできない自治体があるようですね。


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