アイリーシャの葛藤


 神官長の部屋の奥が昔からの記録が残されている書庫となっていて、アイリーシャとエドアルトは、迷うことなくそこに足を踏み入れる。


「私、これを見てみます。殿下の方は、王家に関連した記録がないか見てください」


 二人がてきぱきと残されている書物や、代々の神官が書き残した資料を調べていくのを、扉のところから苦々しい顔で神官長は見ていた。


「――こんなところを見て何になる」

「教会に収められる寄付金が減ったら困るという以外に、邪魔をする理由があったのか?」

「べ、別に、そういうわけではありませんぞ」


 神官長は、そわそわとしている。


(……何かやましいことでもあるのかしら)


 この人は、やましいことがたくさんありそうな気がする。と身も蓋もないことを思う。その間も手は止めなかった。


「君の方にはなんと書いてある」

「聖なる獣を呼び出し、契約をすることができれば、その者は呪いを解除する力を持つ、と。エドアルト様の方は?」

「聖獣との契約の結び方だな。王宮の奥に、日頃は王族しか入れない場所がある。そこで契約を結ぶ儀式を行ってきたそうだ」


 ならば、なぜ、その書物が王宮ではなく教会に保存されていたのだろう。

 その時には、まだ、王族と教会の仲はさほど悪くなかったということだろうか。


「でも、誰が契約を結ぶかが問題ですよね……それに、聖獣なんていないし」


 アイリーシャは考え込んだ。


「聖獣はいるだろう。ルルだ。ルルと信頼関係を結んでいる君がやるのが一番いい」

「でも、ルルは聖獣の血を引いているかもしれない、というだけで……」

「やってみる価値はある。それが、呪いの解除につながるというのなら」

「では、誰が契約者になるんですか?」


 この場合、契約を結ぶのはアイリーシャ以外いなそうではあるけれど。だって、ルルの飼い主なのだから。

 気が進まないのは、アイリーシャの身勝手というものだ。

 ルルは誰にでも懐くが、エドアルトに契約者になれというわけにもいくまい。


(となると……いろいろと大変なことになりそう)


 つい先日だって、ヴァレリアからひどい言葉を投げつけられたばかりだ。呪いを解く力を手に入れたなんてことになったら、ますます悪意を向けられる可能性が高い。


(……でも)


 それは、わがままというものではないだろうか。

 今、ここに誰かを助けることのできる力を持っていて。それでも、その力を行使したくないというのは、アイリーシャのわがままではないだろうか。


「君に無理強いをするつもりはない――もし、ルルが許してくれるなら俺が契約者になってもいい」


 聖獣の契約者になるには、特に資質のようなものは必要なさそうだ。大切なのは、聖獣と強い信頼関係があること。

 飼い主であるアイリーシャと同じくらい、エドアルトのこともルルは信頼している。それから、アイリーシャの家族達も。

 アイリーシャが頼むと言えば、家族全員ルルと契約してくれるに決まっている。


(――本当に、それでいいの?)


 前世ではどうなった?


 自分の頭で考えることなんてしなかった。ただ、両親に言われるままに、命じられた会に出席し、命じられた人と会った。

 学業もおろそかにせず、部活動も全国レベルの結果を残すほどに頑張った。

 唯一の息抜きは、寝る前にほんの少しだけ楽しんだゲーム。

 まさか、あんなことで死んでしまうと思っていなかったけれど、自分が愛した世界を守ることができるというのに、何を恐れるというのだろう。


(――まずは、私がやってみるしかない)


 だって、アイリーシャが契約をすることができるとは限らない。


「まずは、私がやってみます。私がだめなら、家族に頼んでみます。それでもだめなら……エドアルト様にお願いしてもいいですか?」


 きっと、このまま何もしないでいたら、後悔すると思った。何もできず、文句だけ言っていたあの頃には戻りたくない。


(だって、私は、"アイリーシャ"になったんだから)


 今から三百年先なんて、ずいぶん遠い未来だ。それまでの間、人間としての生を全うしなければいけないというのなら。

 後悔するような決断はしたくない――いつの間にか、そう思うようになっていた。


「それでいいのか? 君は、人と関わりたがらないと聞いている」

「それは否定しません。でも、思ったんです――それは、私の一方的な思いかなって。だって、私にも友人がいるんですよ。もし、彼女達が、今回の事件に巻き込まれて、私が何もできなかったとしたら、きっと後悔すると思うんです」


 アイリーシャのことを、家柄や財力だけで見ている人ばかりではない。

 ダリアやミリアムという友人もできた。もし、彼女達や家族が倒れるようなことがあれば、迷わずにエドアルトの提案にのったはずだ。


「できることをやらないで、後悔したくないんです。それに、ルルが私と契約してくれるかどうかはわかりませんよね」


 そう言ったら、エドアルトはなんだか微妙な表情になった。


「私、間違ったことを言っていますか?」

「いや、言ってないよ……そうだな、そういう考え方もあるか」


 たぶん、こういう風に考えるようになったのは。


(あなたのせいでもあるんですよ、エドアルト様)


 心の中でそうささやいてみる。

 エドアルトが、アイリーシャを守ろうとしてくれたから。だから、アイリーシャも返せるだけのものを返したいと思ったのだ。

 最初に差し出せるのは、この首都の平和を取り戻すための手段。


(そうよ、今の私は――"玉"になる前の聖女なんだから!)


 まだ目覚めていないけれど、聖女になって、魔神を倒して。

 そして、三百年先にその役を伝えるのだ。こんなところで、へこたれている場合ではない。

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