王太子殿下はお怒りの模様
「ど、どうやるつもりなんですか……?」
エドアルトと一緒に馬車に詰め込まれ、アイリーシャは困惑した。
ノルベルトは書庫での調査を続け、ルルも書庫で留守番だ。
「あの、私じゃなくて、兄の方がよかったんじゃ」
「いざとなったら、君にこっそり立ち回ってもらう必要がある。その時には、『先に帰ってくれ』と言うから」
「わかりました……」
たしかに、入り口から人目につかないようにして教会に入るより、中に入ってから姿をくらます方が楽だ。
エドアルトはそこまで考えてくれていたらしい。
(……私が、こんなんじゃなかったらよかったのに)
アイリーシャのせいで、エドアルトにも迷惑をかけてしまっている。
「私のせいですみません……」
「君は悪くない。君の周囲に、よくない噂があるのも事実だが、それは君のせいじゃない」
どうして、エドアルトはこんな風にアイリーシャのことを信じてくれるのだろう。
「殿下は、私が怖くないんですか……?」
「怖がる理由なんて、ないだろうに」
「だって、呪いは私が戻ってきてからだって」
くだらないと言いたそうに、エドアルトは唇を引き結ぶ。
(私って、嫌な子になりかけているのかも)
エドアルトが、そんな顔を見せてくれることにほっとするなんて。
このところ、宮中でささやかれる噂。
アイリーシャが、事件の黒幕だ、だとか。
アイリーシャの連れている犬が悪魔の化身だ、だとか。
エドアルトが、そんな噂をまったく気にしていないことにほっとするなんて、どうかしている。
「殿下、本当に行くんですか?」
そう声をかけてきたのは、アイリーシャの兄、ヴィクトルだ。近衛騎士として王宮に勤務しているということもあり、今日は彼がエドアルトの護衛についていた。
「証拠は、ここにある。神官長としても、これ以上はまずいと思っているだろう」
最近、街でも噂になり始めている。倒れているのは、裕福な者ばかり。そうではない者は、教会による回復魔術を受けることができないと。
「いつもより値を上げて、回復魔術を使っている。いつまでも、このような状況を許しておくわけにもいかない」
それが、エドアルトの言う交渉手段のひとつらしい。
「しかし、よくこれだけ調べましたよね……いつの間に、これだけ調べていたんですか」
ヴィクトルがそう言った。
首都デスキアに、警備組織は二つある。ひとつが王宮の警護及び王族の警護にあたる近衛騎士団。もう一つは、町中の治安維持に努める首都警備隊だ。
二つの組織は、時に反目し合うことはあるものの、それなりに協力し合ってやっている。
そして、教会の調査は、首都警備隊に任されていた。
「俺が直接動いた」
「殿下が?」
「そうだ。近衛騎士団を動かすと、俺の存在が気づかれる。首都警備隊に協力を依頼した」
エドアルトが直接問いただしたら、皆、実に気持ちよく教えてくれた。エドアルトににらまれるのと、神官長ににらまれるのとどちらがましかと考えたらしい。
正確に状況を判断できるだけの目があってよかったと思う。
「まあ、たしかに殿下に直接尋問されて口を閉じていられるやつはそうそういないでしょうけど……教会の殿下に対する心象が悪くならないかが心配ですよ」
すぐ上の兄のノルベルトが、わりとおちゃらけた感じなのに対して、ヴィクトルの方は心配性だ。
今も、エドアルトの行動が、教会に対する威圧にならないかを心配しているのだろう。
(お兄様が心配するのもわかるわ。教会を敵に回したら……エドアルト様の立場も悪くなる)
兄とエドアルトの会話には口を挟まず、アイリーシャはじっとしていた。自分にまかされる仕事は、これからやってくるのだから。
「今倒れているのは裕福な者ばかりだが、ここぞとばかりに価格を吊り上げるのは大問題だ。それは是正すべきだ。教会の俺に対する対応なんて、今考えてもしかたない」
教会だって、維持管理費用はかかるし、神官達の生活だって守らなければならない。
信者達の寄付金だけでおさまるわけもなく、治療をするのに金銭のやりとりがあるのも当然だ。
だが、限度というものがあるし、表向きはいつもと同じ価格でやっているとなると大問題だ。
(――よし)
もうすぐ馬車が教会につく。アイリーシャは気合を入れなおした。
「――神官長にお目にかかりたい」
教会に到着するなり、エドアルトは近くにいた神官をつかまえて言い放った。彼がこう高圧的な言い方をするのは珍しい。
慌てた様子で神官が奥に入っていくのを、エドアルトは悠々と追いかける。その後から、近衛騎士達がついていく。最後尾がアイリーシャだ。
エドアルトの警護に、ヴィクトルの他三名の騎士がついていたけれど、いずれも体格に恵まれている。彼らが教会の中を歩く姿は珍しくらしく、すれ違う者達がぎょっとしたような目をこちらに向けていた。
「神官長、入るぞ」
神官長の部屋は、一番奥にある。
(あ、あら……?)
入ったとたん、部屋の空気がひんやりとしている。
エドアルトが、剣に自らの魔力をまとわせる準備を始めたからだ。大きなデスクに向かっていた神官長は、こちらを見るなりたしなめるような声を上げた。
「殿下、失礼でしょう――何があったというのですか」
「幾度面会を申し込んでも断られたからな。強行突破させてもらうことにした」
「教会を敵に回すおつもりですか?」
「敵?」
エドアルトがじっと見ると、神官長の額に汗が浮かんだ。その汗を、神官服の袖で拭い、それでも神官長はエドアルトから目を離そうとはしなかった。
「ええ。王家としても、教会を敵に回したくはないでしょう? 祈祷が受けられなくなる」
「――別に」
ぴしゃりと言うと、神官長は顔を歪ませた。
エドアルトが、そんな反応を返すとは思ってもみなかったのだろう。
(祈祷を受けられなくなるって、本来ならものすごく大ごとのはずなんだけど……)
アイリーシャは、信仰心が篤いというわけではない。なにしろ、アイリーシャをこの世界に連れてきた神様が”アレ”だ。
だが、エドアルトまで、そんな風に口にするとは思わなかった。
「別に、あなたに祈祷してもらわなくともかまわない。この世の神官は、あなた一人というわけでもないだろう」
そう言うと、ますます悔しそうな表情になる。けれど、エドアルトは止まらなかった。
「話をするか、しないか。俺の話を聞く気がないのなら、この事実を公表させてもらうがかまわないな」
「……これは」
エドアルトの差し出したのは、彼自身が動いて、神官達から丁寧に話をした結果を書き記したものだった。そして、教会が不当に高く値を吊り上げた証拠も。
これが世の中に公表されてしまったら、神官長は今の地位にとどまることはできないだろう。彼についていく人間が、何人残るのかも不明だ。
「何が、ご希望ですか?」
「聖獣に関する書物を出せ。それと、回復魔術の価格は今すぐもとに戻せ」
エドアルトの言葉に、神官長は顔をしかめたけれど、王太子に逆らうのは得策ではないと踏んだのだろう。
「そちらの、ご令嬢は?」
それでも、アイリーシャの存在は気にかかったらしい。今まで口も開かずにいたというのに。
「彼女は、俺の協力者だ。ここに置いてある本の中で、何が有用なのか俺にはわからないからな。一緒に来てくれ」
命じられるまま、アイリーシャは奥へと足を踏み入れた。
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