隠れているのは腹立たしいけれど

 王立魔術研究所から、また一人消えた。自宅で倒れているところを発見されたそうだ。


「アイリーシャ様は?」

「こちらに来られるはずもないだろう」

「けど、あの犬は問題だろう……」


 そうやって、ひそひそとささやき合っている人達の側を、アイリーシャはするりと通り抜けた。


(いや、いますけどね、ここに! しっかりいますけどね! あなた達に見えてないだけで!)


 心の中でそう叫ぶ。

 アイリーシャの持つ能力は、こんな風に使うためのものではなかったはずだ。腕にしっかりと抱えられたルルが、情けなさそうに鼻を鳴らす。


「わかってるの。あなたのせいじゃないってわかってるから、安心して」


 ルルを強く抱きしめ、階段を登る。一番奥の書庫に入って、ようやく息をつくことができた。


(まさか、ルルに目をつける人がいるとは思わなかったわよね……)


 ヴァレリアの糾弾を、皆が皆、本気にしたとは思わない。けれど、アイリーシャの立場が非常に悪くなったというのは事実だった。


(もともと、魔力を暴発させたことがあるってだけで、イメージ悪いものね)


 あの時そうしなかったら、アイリーシャもあの男の子も助からなかった。あの時、本来使えないはずの魔術を行使したことは後悔していない。


「あなたが優秀過ぎるのがいけないのよね」


 ルルは、黙ってアイリーシャの目をのぞきこんできた。そう言えば、ルルが吠えるのは、ほとんどない。

 例外は、昏睡状態に陥った人を発見した時だけ。


「ちゃんとわかっているのよね、おりこうさん」


 それにしても、と部屋を見回す。

 先日、ミカルに言われたことにも衝撃を受けたけれど――周囲の人達にこそこそと言われるのにうんざりしてしまった。

 昔、神様直々に伝授してもらった"隠密"が、こういう風に役立つ日が来るとは思ってもいなかった。

 スキルを全力で発動すれば、人目につかずに移動することができる。


(だって、ルルを取り上げようとするんだもの。ルルは悪魔じゃないのに)


 公爵家の中にいれば、誰もルルを取り上げようとする人なんていない。けれど、外に出ればまた話は変わってくるのだ。

 アイリーシャからルルを取り上げようとする若い貴族の手をぴしゃりと叩き、ルルを連れて逃げたこともある。

 皆、不安に陥っている。この状況を解決するには、どうにかして呪いを解くしかないのだ。


(教会は、何か知っているのかしら……)


 倒れているのは、財を持つ者ばかり。

 今回の騒動が発見されてから、教会は潤っているという。だからと言って、こちらからできることなんて、何もないのだけれど……。

 はぁっとため息をつき、エドアルトが集めてくれた本に手を伸ばす。今は、この中から役立ちそうな知識を見つけ出すしかないのだ。


(もし、私が目覚めていれば話は違ったんだろうけど)


 姿を消した神様は、いつ、アイリーシャが目覚めるとか、どのように目覚めるとか。どんな修行をしたら早く目覚めるとか。

 そう言った話は何一つしてくれなかった。

 自分なりに研鑽を積んできたつもりではあるけれど、まだ未熟で無力だ。


「……殿下から、これ預かって来たぞ」


 王宮から戻って来たのは、ノルベルトだ。彼は、アイリーシャのこともルルのことも信じてくれている。


「お前、殿下にこっちに来るなって言ったんだって?」

「――だって。エドアルト様のためによくないでしょ。これ以上変な噂になったら……」


 ミカルに忠告されたことは、兄にも言えなかった。

 これ以上、エドアルトの側にいたら、彼にもよくない影響が出る。そんな気がしてならないのだ。


「殿下は、気にしないと思うぞ」


 兄の声は聞こえないふりをして、積み上げた本の山を指す。


「こちらの書物は、もうお返ししてもいいと思う。中は確認したけれど、役立つものはなさそう」

「わかった。残っている記録ってのもいろいろだからな」


 昔から体系的に資料をとりまとめるなどということはしたことがなかった。王立魔術研究所の資料でさえ、解読が終わったものから順に整備しているというところだ。

 エドアルトが地方の貴族達からかき集めてくれた資料の中には、民間療法だの、その地方の伝承をまとめたものなども含まれている。

 必要があれば、再び借りることもあるだろうと記録をつけてはいるが、今はここに置いておく必要はない。


「――あ、これは役に立つかも」


 先にそれに気づいたのは、ノルベルトだった。


「ほら、聖なる獣を呼び出す方法って。でも、その方法はここには書かれてないな……たぶん、首都の教会にあるんだ」

「……それじゃあ、教会の協力を仰ぐしかないってこと?」


 首都の教会は王家に非協力的であるけれど、地方の教会は協力的なこともある。首都の教会が非協力的な分、エドアルトは地方の教会から書物を集めてくれた。

 だが、それでは足りないと兄は言う。


「……ねえ、お兄様」


 こうなったら、アイリーシャが教会にこっそり乗り込むというのはどうだろうか。アイリーシャならば、教会の内部を誰にも見つからずに動き回ることができるだろう。


「そんな危険なこと、お前にやらせられるはずないだろ?」

「でも!」


 兄はそう言うけれど、このまま黙って見ていることなんてできない。自分には、それを乗り越えるための手段があるのだからなおさら。


「……それは、俺も賛成できないな」

「エドアルト様?」


 書庫には、兄とアイリーシャしかいなかったはずなのに、どこから入ってきたというのだろう。目を瞬かせているアイリーシャに向かい、エドアルトは言った。


「君一人に、危ない真似はさせられない。行くなら、俺も一緒だ――だけど、こっそり入るなんて真似はしなくていいぞ? 少々、手荒になるが」


 手荒? 手洗って、いったいどのレベル?


 アイリーシャが疑問に思っているうちに、てきぱきと教会に向かう準備が整えられてしまった。

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