師匠の忠告

「――まったく、ひどい話じゃない?」


 ミリアムは憤慨していた。アイリーシャとヴァレリアが廊下でやり合ったという話は、あっという間に王宮中を駆け巡ったそうだ。

 あんなことがあったのは、昨日だというのに、もう王妃の耳にまで届いていた。


「私達が親しくしているのは王妃様もご存じだから、あなたの様子を見てくるようにと言われたのよ」


 王妃からの差し入れを差し出しながら、ダリアが気づかわし気な目をこちらに向ける。友人達だけではなく、王妃にまで心配をかけていると思うと申し訳なさが募る。


「――王妃様に申し訳ありません、とお伝えしてくれる? 私がお詫びにうかがうべきなのはわかっているんだけど、今、王宮に行ったらまた変に言われると思うのよ」

「王妃様も、そのようにおっしゃっていたわ」


 わざわざ友人達を研究所の書庫に送り込んでくるあたり、王妃も相当気にかけているのだろう。


「あなたのせいじゃないわよ。ヴァレリアも気が立ってるんでしょ。お母様が例の病気で倒れたというし」


 ミリアムは、三人の中で一番の情報通だ。三日ほど前に、ヴァレリアの母である公爵夫人もまた倒れたらしい。


「……そう。それは、心配ね」


 ヴァレリアも、気丈に振る舞っていたのかもしれない。アイリーシャに対するやり方は、洗練されたものとはいいがたかったが。


(エドアルト様がしょっちゅうこっちに来ているのも知られているんだろうな……)


 友人達を見送り、どんよりしながら、ルルを連れて歩く。

 師匠であり上司でもああるミカルのところに呼び出されているのだ。

 端の方に申し訳程度に置かれているソファセットに向かい合って座ると、ルルはアイリーシャの膝の上に乗ってきた。


「その後、ルルはどうですか?」

「特に問題はありません」


 顎に手をあてて思案の表情になったミカルは、ルルの顔をのぞきこんだ。だが、ルルは嫌がって顔をそむける。さらに手を伸ばすと、前回同様牙をむいた。


「やはり、嫌われているようですね」


 しかたのないといった表情で、ミカルは顔を上げた。


「――あの、先生」


 思いきって、アイリーシャはたずねてみた。


「先生は、どうお考えですか? 今回の事件……」

「浮かない顔は、そのせいですか」


 黙っていることもできたかもしれない。けれど、アイリーシャはそこまで強くない。

 ゆっくりと首を縦に振った。膝の上にいるルルが、くぅんと小さく声を上げた。まるでアイリーシャを慰めようとしているみたいに。


「私は、自分がまったく関係ないことを知っています。でも、今回の事件――私が、ここに戻ってから始まった、と。そんな風に見る人もいるから」

「……それは、そうですね。たしかに、アイリーシャ様が戻って来たのと、昏睡状態に陥る人が出始めたのは時期がかぶっていると言えばかぶっています――でも」


 ミカルもまた、アイリーシャを信じてくれている。首都に戻ってもよいと許可を出したのはミカル自身なのだから。


「問題は、あなたの立場でしょう」

「それもわかっているんです」


 公爵家の娘にして、天才とは呼べないにしても秀才と呼ばれる程度には魔術を使うことができる。容姿だってそこそこ――いや、控えめに言ってかなり優れた容姿の持ち主なのはわかっている。

 十五にして宮廷魔術師になったミカル自身から直々に教えを受けたというのも、妬みの対象になるだろう。


(ミカル先生に教わっておいて、この程度にしか育たなかったのか――そう言われているのだって知っている)


 三人の兄達も、国王や王太子に重用され、特に次兄のノルベルトは親友と言ってもいいほど親しくしている。

 なんだって、足を引っ張る理由さえあればいいのだ。

 アイリーシャを、今の立ち位置から引き落とすことさえできれば。


「それだけではないでしょう?」


 それでも、ミカルはとめようとしなかった。聞きたくないと、心の奥の方から声がする。

 それでも、師の言葉を中断することなどできるはずもなく、ミカルの言葉に耳を傾けるしかなかった。


「……殿下とあなたの関係です」


 それは、胸にナイフを突き立てられたようなものだった。

 エドアルトとアイリーシャの関係が、他の女性達とは少し違うのにはとっくの昔に気づいていた。

 他の女性には冷たいエドアルトの表情が、アイリーシャを見る時は、ほんの少し、ほんの少しだけど柔らかくなる。

 目つきの鋭さだってそうなるといくぶん緩和されて――それに、彼の心根には、他者に対する思いやりだってある。

 倒れていたアデルを見つけた時には、迷うことなく自分のマントを差し出し、応急処置を施していた。


(――たぶん)


 彼のあの対応は、余計な期待はさせまいというところからきているのだろう。王太子という立場上、特定の女性と親しくするのは好ましくない。

 もし、期待させてしまったら、大変な事態を引き起こしかねない。彼の縁談というのは、彼の一存では決められないだろうから。


「アイリーシャ様」


 気がついた時には、師匠の前ですっかり自らの思考に沈み込んでしまっていた。慌ててアイリーシャは居住まいを正す。


「ごめんなさい、ミカル先生。少し、ぼうっとしてしまいました」

「いえ――、あなたもとっくに気づいているのでしょう? 殿下と近づくのが好ましくない、と」

「それは……」

「今、あなたの周囲にある噂を考えたら、もう少し距離を置くべきでしょう。殿下に傷をつけたくないのなら」


 それは、アイリーシャ自身、考えていたことだった。

 だから、ミカルの部屋に来た時、こんなにも気分が沈んでいたのだ。

 ヴァレリア達から、あんな言葉を投げつけられるまで見て見ぬふりをしていたというのもあるのかもしれない。


「私はね、あなたに期待しているのですよ」


 ばたばたと人が続けて倒れる中、ミカルは残っていた。王宮魔術師は大半が倒れてしまい、現在残っているのはミカルだけ。


(先生は、魔力が少ないのを気にしている……のよね……?)


 日頃、言葉にはしないようにしていても、やはりミカルとしては気になるのだろう。


「――考えておきます。それで、所長、私をここに呼んだ理由は?」

「ああ、そうでした。殿下からお借りした書物の中に、探している品がありそうなんですよ。こちらに運んでもらえますか」


 そう頼まれたけれど、それはアイリーシャをこの部屋に呼ぶための口実だ。

 本当は、これ以上エドアルトに近づくなと言いたいのだろう。それを確信せずにはいられなかった。

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