ヴァレリアの糾弾
エドアルトの部屋を出て、馬車に戻ろうとした時、思いがけない人物に行き当たった。ヴァレリアだ。
(今日は、王妃様主催のお茶会とかあったかな……?)
アイリーシャにも招待状は普段なら来るところだ。
けれど、今は研究所の方を優先してほしいと王妃からも頼まれている。そのため、いつ、茶会が開かれているとかまったく把握していなかった。
ヴァレリアの周囲にいるのは、同じように招待されたのだろう、貴族の女性達がいる。皆、アイリーシャと同年代だ。
「――あら、アイリーシャ嬢。あなた、王宮にいるなんて図々しいのではなくて?」
ヴァレリアは、顔を合わせる度、アイリーシャに言い放った。
「最近、首都で流行っている病、あなたの仕業ではないの?」
「――なぜ、そんなことを?」
あまりな言いがかりに、思わず目を丸くした。
まさか、こんな風に糾弾されるとは思ってもいなかった。
(前世ではさすがにここまでの経験はなかったな……)
前世で蹴落とされそうになった時は、もっと陰湿だった。直接、こうやって食って掛かってきた人なんていない。
陰で噂を流されたり、自分の手は汚さず、他人を使用して"愛美"を傷つけようとしていた。
正面からぶつかってこられる分には、どうってことない。耐えられるはずだ。
――けれど。
その思いは、あまりにも簡単に打ち砕かれた。
ヴァレリアは、こちらを見下すように顎をそびやかした。赤く彩られた唇が、毒を吐き出す。
「あら、あなたが首都に戻ってきてから、あの病が流行り始めたんだもの。それに、あなたの犬。赤い首輪をつけた犬が被害者の側にいるのでしょう。あの犬、悪魔なのですってね?」
「――なんてことを言うの!」
アイリーシャの怒りにも、ヴァレリアは動揺した気配など見せなかった。
「赤い首輪をつけた犬なんて、世の中にはたくさんいる。そう言いたいのかしら? でも、貴族の屋敷の中、寝室でも見かけられているのよ。そんなところまで入り込むのだもの。悪魔の力が働いているのではなくて?」
「――それは、ルルが、"聖獣"の血を引いているからで……!」
「あら、そんなのあなたが勝手に言っているだけでしょう。聖獣の血を引いているか否かなんて、私達にはわからないもの」
他の娘達の前で、アイリーシャに対して優位に振る舞えるのが、そんなにも嬉しいのだろうか。彼女の唇は、とまることを知らなかった。
(何も知らないくせに……!)
頭がかっと熱くなっていくのとは対照的に、手の方は少しずつ冷たくなってくる。
初対面の時から、たしかにヴァレリアの印象は悪かった。仲良くなれないだろうなとも思っていた。
だが、お互い家を背負っている身だ。人前で相手を貶めるような真似だけはすまいと思っていた。
けれど、そのアイリーシャの想いは、一方通行でしかなかったらしい。
黙り込んでしまったアイリーシャの前で、ヴァレリアはなおも続けた。
「殿下と一緒にいるのも図々しいわ。身の程をわきまえなさいよね」
「身の程って――!」
「悪魔を飼っているくせに」
「そんなことない!」
思わず手を振り上げかけ――けれど、アイリーシャはその手をおろした。ここで暴力をふるっても何にもならない。
ぐっと手を握りしめていたけれど、周囲の空気が変わっていたのに気がついた。
アイリーシャの肩越しに、何かを見ているヴァレリアの顔が引きつっている。
「アイリーシャ、忘れ物だ」
背後から声をかけられ、アイリーシャはそちらを振り返った。
そこに立っていたエドアルトの手にあるのは、返しに来た本を包んでいたシルクだ。わざわざ、追いかけて来てくれたらしい。
「で、殿下……」
いきなりのエドアルトの登場に、ヴァレリアは言葉を失ってしまったようだった。
エドアルトは、ヴァレリアや、彼女を囲む娘達がまったく目に入っていないかのようにアイリーシャの前に回り込む。
「忘れ物だと言った」
「あ、はい……ありがとう、ございます」
布を渡された時、一瞬手が触れ合う。その一瞬の熱に、凍り付いていた気持ちが一気にとけたような気がした。
彼は、"絶氷"と呼ばれているのに――それなのに、こんなにも熱い。
くるりと向きを変えたエドアルトは、令嬢達に向かって低い声を放った。
「アイリーシャには、俺が頼みごとをしている。何か文句があるのか」
ヴァレリアが代表して、何か答えようとしている。けれど、彼女は口を開いて、閉じてとしたところで目を伏せてしまった。
アイリーシャからは見えていなかったけれど、彼の鋭い目つきに委縮しているようだ。
(そう言えば、いつの間に……)
エドアルトは、いつの間にアイリーシャを呼び捨てにするようになったのだろう。まったく気づいていなかった。
「――用がないなら、去れ」
これまたものすごい低音だ。ばらばらと頭を下げた彼女達は、逃げるように立ち去った。
「不愉快な思いをさせてしまった。すまなかった」
くるりとこちらをふり返ったエドアルトは、アイリーシャが恐縮してしまうほど深々と頭を下げた。今までとはまとう空気まで変わる。
「……いえ、少し驚きましたがそれだけです」
彼女達は、エドアルトとアイリーシャの接近が面白くないのだ。気持ちはわかる。
彼女達にとってアイリーシャはつぶさなければならない人材なのだろう。
愚かなのは、アイリーシャが、今、魔術研究所で必要とされている人材であるということを彼女達が忘れているというところか。
(魔術研究所で必用とされているから……)
自分で口にしておいて、胸がちくりとする。どうして、こんなに気分が沈むんだろう。
(わかってる。こんなことをしている場合じゃないって)
忘れてきた布を籠に入れ、ぺこりと頭を下げた。
「お騒がせしました。今後は、このようなことがないように気をつけますね」
「気を付けるって……」
「皆、気が立ってるんだと思います。病の原因がわからないから。私達がもっとしっかりしないと――」
こんなことを言いたかったはずではないのに、胸のあたりがますますぎゅっと締め付けられるような気がしてきた。
「悪かった」
「エドアルト様のせいじゃありませんから。大丈夫です、今度は目立たないように来ますね!」
どうしてそうしなかったんだろう。
完璧に存在を消すならともかく、目立たなくする程度ならお目こぼししてもらえる。そう言う自分の顔がまたひきつっているような気がして、視線をそらした。
「――馬車まで送る」
これ以上、近づいたら。
余計なことを口にしてしまいそう。胸が痛むのは、気のせいではない。
それなのに、差し出された手は優しくて、その手を拒むことなんてできなかった。
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