エドアルトの依頼

 倒れて教会に運び込まれた人が出た以外、大きな事故もなく、ラベンダー祭りは無事に終了したけれど、アイリーシャの胸には重苦しいものがのしかかっていた。


(なんで、次から次に人が倒れていくのかしら……)


 何もできないのがもどかしい。

 それでも、自分の役目はきっちり果たさなくてはならない。いつもの通りに出勤して、異変に気付いた。


(あれ……ずいぶん、人の数が減ったような……?)


 王立魔術研究所では、百人近い人間が働いている。半数以上は貴族であり、社交上の付き合いなどが優先されるから、勤務するのは週に数日というところだ。

 だから、所内に全員いるというのはほとんどないのだけれど、それにしたって少なすぎる。


「お兄様、今日、何か大きな催し物とかあった? どこかの国の王族が、来るとか」


 廊下を並んで歩いていたノルベルトに問いかけてみる。


「それはないな。だって、それなら俺達今日は出勤しないように言われるだろ?」

「それもそうよねぇ」


 アイリーシャもノルベルトも、公的な行事があればそちらへの参加が優先される立場だ。

 どこかの国の王族がやってくるようなことがあれば、歓待する側として王宮に呼び出されるはずである。

 それに、ルジェクもいつも通り、父の代理としての仕事にいそしんでいた。となれば、皆がそろってたまたま休暇を取っているとかそんな感じだろうか。


(それにしても、ちょっと不自然な気もするけど……)


 いつもはたくさんの人の気配のある建物の中が、しんと静まり帰っているのは不思議な気分だ。


「昨日の祭りで皆二日酔いってわけでもないよなぁ」


 昨日のことを思い出し、ぽんと顔が赤くなる。幸いにも隣にいる兄は、それに気づかなかったようだった。

 エドアルトと過ごした時間はさほど長くはなかったけれど、楽しかった。生まれて初めての贈り物は、今もアイリーシャの左手首で揺れている。

 右手で左手首に触れそうになり、慌てて意識を戻した。


「皆が皆二日酔いになるの? そんなにお酒ばっかり出るようなお祭りではないでしょうに」


 ノルベルトが、顎に手をあてて思案の表情になった時だった。アイリーシャは、前方から歩いてくるエドアルトに気づいて足を止める。

 昨日のことなんてなかったように、エドアルトは無表情だ。昨日は、あんなにも笑顔を見せてくれていたのに。


(いえ、これが正解なんだろうけれど……)


 ちょっぴり面白くない、なんて思ってしまった自分に驚いた。


「……殿下、何かあったんですか?」

「しばらく、アイリーシャを貸してもらえないか。頼みたいことがある」


 アイリーシャを貸してもらいたいという言葉で、ノルベルトは盛大に眉を顰め、頼みたいことがあるでそれを解いた。


「リーシャを社交の場に引っ張り出そうって話ならお断りですよ? それなら、ヴァレリア嬢を隣に置いておけばいい」

「それは、誰にも頼まないから安心しろ」


 エドアルトはむっとした声音で返してきた。

 たしかにヴァレリアにそんなことを頼んだら面倒なことになりそうだ。

 前世でも、ああいった手合いは山のように見てきた。

 自分の目的を果たすためならば、どんなことをしても相手を蹴落とそうとするのだ。

 前世の"愛美"は人の恨みを買うほど能動的に行動していたわけではなかったけれど、蹴落とされかけたことなら何度でもある。

 そして、今、ヴァレリア最大のライバルと言えば、同じ公爵家の娘であるアイリーシャになるのは間違いない。

 そう言った目でヴァレリアを見るから、ヴァレリアに対しては、「面倒な相手」としか思えないのだ。


「じゃあ、俺の部屋で話をしましょう。リーシャ、お前もこっちに来い。急ぎのものはないからいいだろ?」

「それは、かまわないけど……」


 研究所内にある兄の部屋は、いつ来ても綺麗に片付けられている。

 ソファにノルベルトとアイリーシャが並んで座り、エドアルトは向かい合う場所に座った。


「時間がもったいないから、さっさと話をさせてもらうぞ。俺がアイリーシャ嬢に頼みたいのは、今、首都で流行中の謎の病についての調査だ」

「妹は医師ではないですよ」

「おそらく――だが、病ではなく呪いの類だろう、と先ほどミカルから報告があった」


 呪いという言葉に、アイリーシャは肩を跳ね上げた。


(そうよ、どうして今まで気づかなかったんだろう……)


 意識を失い、昏睡状態が続く。回復魔術をかけても戻らない。

 となれば、誰かが人為的に引き起こしている可能性の方が高いではないか。


「んでも、それなら教会の方が早く気付くんじゃないですか? 呪いの解除とかって、あっちが専門でしょうに」


 ノルベルトの言うことも当然だった。

 教会には、属性によって、どのように回復するかは異なるけれど、回復魔術を得意とする者が多く集まる。

 たとえば、水属性ならば傷口に魔力で作った水をかけるし、土属性ならば、薬草から作った薬に、回復魔術の効果を追加したものを飲ませる。

 その中には、呪いの解除もあるはずだ。残念ながら、アイリーシャは呪いの解除には詳しくないため、手を貸すことはできないけれど。


「――今の世に伝わる魔術では、どうにもならなかった」


 そう告げるエドアルトの声は重苦しい。


(今の世に伝わる魔術ではどうにもならないって……そんなのって……)


 この魔術研究所には、古の時代からの書物が残されている。


「もちろん、教会にもかけあってみたんだ。昔の記録を見ることはできないかと。呪いならば、教会が本領を発揮するはずだからな」

「殿下の依頼でも動きませんか。あいつら……本当にしかたないな」


 大げさに両手を広げて、ノルベルトは天井を仰いだ。


「しかたないって?」

「いや、回復魔術を受けるには、金銭をおさめなきゃいけないだろ。教会の側からしたら、そっちの方が都合がいいんだよ。幸か不幸か、今のところ倒れているのは、金持ちばかりだからなぁ……たしかにそりゃ、引き伸ばしたいだろ」


 倒れているのが金持ちばかり……そこにもアイリーシャはひっかかった。

 自分で呪いをかけておいて、自分で回復する。

 これ以上、金銭を引っ張れそうもなかったら、病が回復したとかなんとか言って、意識を戻すことができたならば。

 大切な家族のためならば、どんな犠牲を払っても惜しくはないという者は多いはずだ。


(まさか……そこまではしないわよね……)


 首を横に振り、嫌な想像を追い払う。


「そういうことだ。教会の協力は得られない」

「はあ?」


 思わず妙な声を上げてしまった。王太子殿下の前だというのに。


「王家に対する反発もあるんだよ。最近、税収で教会と王家でもめたからな。あー、やだやだ」


 ノルベルトは心底嫌そうに首を振る。


「ミカルにも協力を依頼してある。王立研究所の書物だけではなく、俺の方でも伝手を使って使えそうなものを集めてくるから、アイリーシャにはそちらを見てもらいたい」

「……わかりました」


 これは、責任重大だ。背筋が伸びるような思いで、エドアルトの依頼を引き受けることにした。

 

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