少しだけ、楽しんで
「……これは、間違いなく今首都を騒がせている奇病です」
「どこの住民かわかるか。わからないようならば、首都警備隊の者に探させるが」
「では、警備隊の方にお願いします」
医師の他、何人かの神官がやってきて、あっという間に患者を運び去る。
「――殿下」
アイリーシャは不安を覚えた。
(あの人達、何か隠しているんじゃ……?)
"奇病"と言っていたけれど、神官達は事情を知っているようにも見えた。
「ルル、あなたが話すことができれば、どうしてここに来たか教えてもらえたのにねぇ……」
患者が運ばれていくのを見送ったルルは、おとなしくアイリーシャの足元に座っている。先ほどまで騒いでいたのが嘘のようだ。
「そうだな、ルルが話すことができれば一番早い」
長身を折り曲げるようにして身をかがめたエドアルトは、ルルの頭をなでる。申し訳なさそうに、ルルはぱたぱたと二度、尾で地面を叩いた。
「それにしても、すっかり予定が狂ってしまったな」
「そうですね……なんだか――くたびれちゃいました」
十年ぶりに首都の祭りに参加した。
アデルへの見舞いの品を探す予定が、ここまで崩されるとは想像もしていなかった。
(私が、公爵家の娘だっていうのも、あの人達には気づかれていたし……)
アイリーシャの容姿は、目立つものだし、身に着けているのも町民しては上質過ぎる。おまけにエドアルトと一緒にいたとなれば嫌でも素性が知られてしまうわけだ。
ひそひそと何事かささやき合いながらこちらを見ている人達に、雰囲気の悪さを覚えずにはいられない。
「俺も、もう少しあちこち見て回るつもりだったんだけどな。そろそろ、迎えが来るだろう」
「そうですね。遠巻きに護衛はついていると思うんですけど……」
アイリーシャが一人で街中に出かけるのを、両親がいい顔をするはずもない。ダリアやミリアムと出かけるのだって、実はこっそりひっそり護衛がついているのだ。
「それって、問題になりません?」
「昔やった時は、怒られたな……十年前だ」
十年前と言えば、エドアルトもまだ子供だった。
王太子殿下が護衛をまいただなんて、たぶん、当時の護衛もめちゃくちゃ怒られただろう。
「今回も、帰ったら叱られることになるな」
「どうして、今日に限って護衛をまいたんですか?」
「自分の目で、祭りの様子を見てみたかったから。護衛がついていると、どうしてもだめだと言われる場所も出てくる。ここは祭りの会場から離れているが、入ることは許されないだろうな」
エドアルトは、周囲を見回した。ここは教会の裏手、人の少ない場所だ。おまけに治安のよろしくない地域もすぐそこにある。
護衛が側にいたら、とめられること間違いない。
もっとも、ルルが鳴かなければ、こちらに来ることもなかっただろうけれど。
(……そうよね、王子様なら自由なんてあるはずもない)
アイリーシャは、エドアルトに向けて手を差し出した。
「お帰りになる前に、護衛に見つからず、見て回り……ます……か……?」
勢いよく差し出したものの、言葉の後半はゆらゆらと不安定に揺れてしまった。
よく考えたら、こちらから手を繋ぎましょうと言っているようなものだ。
(わ、私、何を言ってるんだか――!)
エドアルトは、女性の方から迫られるのは好まない。それは、彼に撃沈してきた他の令嬢達を見ていればすぐにわかる。
「あ、あのですね! 他意はないんですっ! ただ、その……私の、"隠密"は、手を繋いでいないと他の人まで効果が及ばなくてですね……」
慌てて手を引っ込めようとすると、その手を取られた。
「そういう厚意なら、ありがたく受け取る!」
彼の声が少し弾んでいるのは、アイリーシャのうぬぼれか。
「こら、足にじゃれつかないの」
「ルルは、俺が抱こうか」
片方の手でエドアルトがルルを抱き上げ、もう片方の手はアイリーシャとつなぐ。
ゲームの中では、スキルを保有している本人しか使えなかったけれど、ここはゲームと同じ世界ではあっても、ゲームそのものではない。
(……なんだか、ドキドキしちゃう)
別に、他意があるわけではないのに。
他に、"闇夜"というスキルもある。
これは、アイリーシャを中心とした一定距離の暗闇に紛れさせるというものだ。そちらは手を繋がなくてもいいのだが、まだ昼間なので、逆に目立つ。
(他の手段がなかっただけ……だから)
自分でも、言い訳がましいと思う。
「エドアルト様は、何が見たかったんですか?」
「祭りそのものを――皆が、どのように楽しんでいるのか見たかったんだ。いつもは、馬車から見て終わりだから」
そう言えば、王族は馬車で市中を見回りするだけであって、実際に街中に降りることはない。
「私も、十年ぶりなんですよ! 前回屋台を見逃したので……そこまででよかったらご案内します」
「よろしく頼む」
つないだ手が、妙に温かく感じるのは気のせいだろうか。
鼓動が、いつもより速く感じられるのも。
(……こんなことを、している場合じゃないのに)
もうすぐ、魔神がこの世に姿を見せる。
――でも。
今日、夕方までの数時間。そのくらいなら許されるだろうか。
繋いだ手に少しだけ力を込めて、エドアルトの顔を見上げてみる。こちらを見下ろした彼の顔を見ていたら、なんだかすごく安心した。
(少し、街の中を歩くだけ)
甘いのかもしれないと、耳の奥で声がする。その声は聞こえないふりをして、エドアルトの手を引いて歩き始めた。
行方不明になったと思われるのも問題なので、通りすがりの屋台で紙とペンを借り、その場で手紙をしたためる。王宮の門番に、エドアルト自身の手でそれを託してから、改めて散策に向かった。
「そう言えば、ラベンダーの色を身に着けるんだったか」
「そうですよ。私は、今日はこれです」
髪に結んでいるのは、ラベンダー色のリボン。エドアルトの方は、胸ポケットのチーフだ。
「ルルは、赤い首輪だけだな」
「留守番の予定でしたから」
ルルの首輪は、赤くて目立つ。
エドアルトは思案の表情になったけれど、屋台に並べられているアクセサリーに目を止めた。
「ルル、これはどうだ?」
真顔でルルに問いかけている。ルルが鼻を鳴らした。
「気に入らないか。では、これは?」
別のアクセサリーをまたルルに指さしてみる。今度は小さく鳴いた。
「よし、じゃあこれにしよう」
選ばれたのは、樹脂の中にラベンダーの花を閉じ込めたブレスレットだった。
「これは、君に」
「わ、私に?」
「それから、こっちはルルに」
店先でひらひらと揺れていたラベンダー色のリボンが、ルルの首に巻かれる。
「わ、わ、私……どうしましょう――!」
樹脂のアクセサリーだから、高価な品ではない。
けれど、異性からの初めての贈り物だ。
いや、誕生日には山のように贈り物が届けられたけれど、それはアイリーシャに贈られたというよりは、公爵家とつながりを持ちたいからという理由で贈られたものだ。
(こ、こんなことをするなんて……!)
「夕方まで、付き合ってもらうお礼だ」
そんな風に言うから、ますます耳が熱くなる。
そんなたいしたことをしたわけじゃないのに。
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