犬の面倒はちゃんと見ます

 エドアルトに別れを告げ、家まで戻る。


(お土産は、今度ゆっくり探したらいいわね)


「リーシャ、遅かったな――って、何抱えてるんだよ!」


 出迎えに出てきた長兄のルジェクが、アイリーシャの腕の中にいる子犬を見て、声を上げる。


(勝手に連れて帰ってきたのは、まずかったかな……)


 どうしようかと思っていたら、ルジェクはアイリーシャの方へ手を伸ばした。


「ちっちゃいなあ、可愛いなぁ。俺にも抱かせてくれよ」

「ルジェク兄様、犬が好きなの?」


 犬も、ルジェクを見て怯えている気配はない。

 おとなしく差し出された手の匂いを嗅いでいる。安心してもいいと判断したらしく、ぺろりとルジェクの手を舐めた。


「今まで、飼う機会がなかったけどな。よしよし」


 ルジェクの方も目を細め、子犬の頭をなでたり顎の下をくすぐったりと忙しい。こんなに犬を歓迎してくれるとは思わなかった。


「街で拾ったの。飼い主が見つからなかったら、家で飼ってもいい? お父様とお母様、許してくれるかしら。ちゃんと面倒は見るわ!」

「もちろんだとも! リーシャの願いをだめとは言わないだろう。今まで、わがままを言わなかったんだから」


 ルジェクの言葉に、少し、申し訳ないような気がしてきた。

 アイリーシャが領地で暮らすことになったのは、アイリーシャが不必要なところで魔力を使ってしまったから。

 兄達は幼い頃から母と引き離されることになってしまったのに、文句も言わなかった。


「ノルベルトお兄様と、ヴィクトルお兄様はどうかしら」

「二人とも犬は好きだぞ、なあノルベルト」

「俺にも抱かせてくれ!」


 二階から降りてきたノルベルトも、アイリーシャの腕の中にいる子犬にメロメロになった。

 手を伸ばして、アイリーシャの腕から取り上げようとするので、慌てて背中を向ける。


「――もー、お兄様達あとにして! 綺麗に洗って、ご飯をあげてからよ!」


 くぅんと小さく犬が鳴く。

 浴槽に浅く湯を張って、そこに犬を入れた。泡立てた石鹸で、汚れた毛並みを洗う間もおとなしくされるままだ。


「いい子ねー、名前は何がいいかな」


 尾が揺れると、水しぶきが跳ねる。その様子を見ていたら、先ほどのエドアルトの顔を思い出した。

 あまり表情がないかと思っていたけれど、ちゃんと年相応の表情もする。

 深くかかわり合ったわけではないけれど、彼に表情があるのを見て、ほっとしたというかなんというか。


(……別に、だからどうってわけでもないんだけど)


 思いがけない表情を見せられて、どきりとしたとか――そんなことはない。頭を振って、エドアルトの顔を追い払った。


「うん、綺麗になった。君の名前は――ルルにしよう!」


 それは、アイリーシャが前世で買ってもらったぬいぐるみにつけた名前だった。特に、意味のある言葉ではない。

 ただ。

 前世の両親は、愛美のことを政略結婚の道具としてしか見ていなかったけれど、時々、気まぐれのように遊園地に行ったり、動物園に行ったりと普通の親子らしい行動をとることもあった。


(夏休みの宿題のネタ探し……だった気もするけれど)


 小学生の頃は、夏休みの宿題に絵日記や写生を提出することもあった。その時に、何も提出できないでは外聞が悪いとか、そんな理由だったと思う。

 それでも、両親と出かけることができた――子供の頃は、それを大切な思い出として抱え込んでいた。

 その熊のぬいぐるみを買ってもらったのは、最後に三人で出かけた時の夏休みだったと思う。動物園で飼われていた熊をモチーフにしたものだった。

『そんな安物買わなくても』


 そう言ったのは、たぶん母だ。母からしてみれば、愛美はつまらないものを抱え込んでいるようにしか見えなかっただろう。

 それでも、父は買ってくれて、帰りの車の中でずっと大切に抱え込んでいた。


(ルルには、なんでも話すことができた)


 親に弱みを見せるのはいけない、と。

 そう思い始めたのがいつのことなのかはもう覚えていない。

 学校で友達と喧嘩したこと、宿題を忘れてしまって、慌てて授業の始まる前にやったこと。

 そんなことを夜寝る前、ベッドの中でぬいぐるみに語りかけていた。

 今にして思えば、"友達"としてぬいぐるみを見ていたのだろう。自分には、心から打ち解けることのできる友人はできないと思っていたから。


「うん、君の名前はルル。決定! 首輪もちゃんとつけようね」


 綺麗に洗って、艶々の毛並みになったルルを連れて階下に降りる。階下の居間には、王宮の騎士団寮で暮らしているヴィクトルをのぞき、家族全員が集まっていた。


「まあ、可愛い!」


 ここでもルルは両親に愛想を振りまき、母はルルを見るなり目尻を下げた。ソファに座っている母の側に駆け寄ったルルは、膝の上に座りたそうに母の膝に手をかけている。


「大きくなりそうだな。毛並みもいいし……ちゃんと面倒を見るんだぞ」

「いいの?」


 まだ、話をしていないのに、もう許可が出ている。


「ルジェクとノルベルトから聞いている。二人に感謝するんだな」

「お兄様達、ありがとう!」

「リーシャが飼いたいというんだから、いいだろう。飼い主が見つからなかったら、だぞ」

「あと、ちゃんと世話をしないと」

「頑張ります!」


 生まれて初めてペットを飼う。

 尋ね犬の張り紙を広場に出したけれど、結局誰も名乗り出なかったので、ルルはアイリーシャのペットということになった。

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