犬を拾いました

 ちらちらと、こちらを見ている人に気づき、ため息をひとつ。

 銀糸の髪に紫水晶の瞳。町娘とは明らかに仕立ての違う衣服とくれば、どうしたって人目につく。

 もう少し自由に街中をうろうろしたかったから、即座に存在感を消滅させた。ぶつかっては困るから、あくまでも人目につかなくなる程度。

 とたん、アイリーシャの存在は気にされなくなったようだ。これで、のんびりとすることができる――と思ったのだけれど。


「アイリーシャ嬢」


 名前を呼ばれ、アイリーシャは振り返った。相手が誰なのかに気づいて顔を引きつらせる。


(――ここで声をかけるとかありえないし!)


 アイリーシャに呼びかけたエドアルトもまた、自分の用を果たすために街に出たところだったらしい。

王族がそんなにふらふら街に出て大丈夫なのかと自分のことは棚の上に勢いよく放り投げた。

 ちゃんとした護衛をつけていれば、街に出るのは推奨されている面もあるのだ。街中の情勢を見ていれば、何か気づくことがあるかもしれないから。


「……殿下」

「――ここで何をしている?」

「……友人達と会って、今から帰ろうとしているところでした。殿下は?」


 別にエドアルトを忌避しているわけではないけれど、近づいたら何かと厄介な相手であることはわかっている。


「父上の用をすませるのに、出たところだったんだ。そこで君を見たから」


 エドアルトが目を向けたのは、アイリーシャが友人達と別れを告げた場所だった。

 それで首の後ろがちくちくしていたのか。

 通行人とは違う視線に、どこの誰だろうと思っていたから、逆に安心した。


「どうしたって、殿下には見つかっちゃいますね。いつも、気配を殺しているのに」

「もちろん、君のスキルが優れているのは知っている。だが、俺は君なら、どこにいても見つけることができるぞ。君の気配は、完全に覚えたからな」


 そういうものか。次に会った時にも首に剣を突き付けられてはたまったものではないから、その方がいいと言えばいいけれど。


「馬車を待たせているなら、そこまで送る」

「あー……ええ、ありがとうございます」


 エドアルト個人に、悪い印象があるかと問われれば、それはない。まあ首筋に剣を突き付けられたのは事実だが、アイリーシャの方に非があるし、彼からは丁寧に謝罪されている。


(できれば、あまり近づきたくはないんだけどなぁ……)


 と思ってしまうのは、公爵家の娘である以上、彼に必要以上に近づくと何かあると思われかねないからだ。

 できれば、今回は政略結婚は遠慮したい。


(それに、お兄様とのこともあるし……)


 ノルベルトとエドアルトは、エドアルトの剣の調整をしているということもあり、単なる友人以上の関係である。

 シュタッドミュラー家が、王家に必要以上に近づいていると思われるのも、あまりよくないことだろう。


(今回は、こういう面倒なことからは解放されると思っていたんだけど……)


 エドアルトと並んで歩きながらも、ちょっと遠い目になってしまう。

 できれば、家族にお土産を買って帰りたかったけれど、エドアルトに見つかったならあきらめるしかない。


「君の馬車はどこ?」

「もうちょっと行ったところです、その先で待ってもらっていて……」


 アイリーシャの手を引いて、エドアルトは歩き始める。

素直に彼に従って歩き始めたけれど、何を話しているのか、ろくに頭に入ってこない。


「……あっ」


 目を上げた瞬間、飛び込んできたのは小さな黒い犬だった。首輪はつけておらず、あちこち汚れている。

捨て犬――だろうか。


「殿下、ちょっといいですか」


 足を止め、子犬を怖がらせないようしゃがみこんだ。

真っ黒な犬は、つぶらな瞳でアイリーシャを見上げた。赤い舌がちろりとのぞく。手を差し出したら、尾を振って、手のひらをぺろりと舐められた。


「わあ、可愛い! ……君、いい骨格してるねぇ……きっと大きくなるわね。中型犬より、もうちょっと大きくなるかしら。大型犬、かなぁ……?」


 嫌がっていないと知って撫でてみると、骨格はしっかりしている。

 汚れてはいるが、さほど空腹を覚えている様子はない。母とはぐれたとか、捨てられて数日とかそんなものだろうか。

 目が合ってしまったら、捨てていくことはできなかった。公爵家は広いし、子犬の一頭や二頭、飼えないはずもない。

 後ろからくすりと笑う声がして、すっかりエドアルトのことを忘れていたのに気がついた。


「君は、そういう顔もするんだな」

「で、殿下こそ……!」


 こちらを妙に微笑ましそうな顔をして見ている。

 必要以上に近づいたら、面倒なことになるとわかっているのに。


「この子、連れて帰ります。放っておけないし……」


 ただ、ひとつ、問題があるとすれば、馬車を汚してしまうということだろうか。

 赤い舌をのぞかせながら、子犬はぱたぱたと尾を振り続けている。可愛らしいが、馬車に同乗させるには、あまりにも汚れすぎている。


「どうやって連れて帰ろうかしら……」

「タオルでくるめば馬車を汚さないですむんじゃないか?」

「あ、そうですね。そうします」


 あまり頑固にエドアルトの提案を断るのもどうかと思ったので、おとなしく送ってもらう。

 馬車には大きなタオルもあって、それですっぽりと子犬をくるむ。エドアルトに別れを告げようとしたら、彼はアイリーシャが抱いている犬の顔を真正面からのぞき込んだ。

 ばたばたとまた尾が揺れて、エドアルトの鼻の先が舐められる。彼が顔をしかめたので、思わずくすりと笑ってしまった。


「何がおかしい?」

「いえ――そういう顔もするんだと思って。殿下は、あまり表情を変えないようにしてらっしゃるでしょう?」


 かつて、アイリーシャもそうだったからわかる。日本で暮らしていた頃、天花寺愛美と呼ばれていた時代。

 両親は愛想よくふるまうことを望んでいたけれど、必要以上に気に入られたら面倒なことになると思っていた。


「父上は、もう少し笑えと言うんだがな」

「そうですね……」


 たしかに、もう少し笑顔を見せたら、大騒ぎになりそうな気もする。今だって、彼を囲む人の輪はとても大きいのに。


「笑おうとすると、ここが引きつるんだ」

「そんなものですか?」


 顔をさしたエドアルトは、少し困ったように見えるのはなんでだろう。

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