あまりよく思われてはいないらしい
アイリーシャの最初の仕事は、書棚の書物の中から、現在役立ちそうなものを見つけ出すことだった。
(……たしかに、普通の人じゃ開けない書物もいっぱいあるみたい。どうして、こんな保護をしているのかしら)
書棚に並んでいる書物は、いずれも複雑な保護魔術がかけられている。
とりあえず求められているのは、中に何が書いてあるのか記録することだけれど、難解な古語で書かれているので、それだけで時間を食ってしまう。
アイリーシャと違い、ノルベルトは二階に個室を持っている。昼食は一緒に食べようと言われていたから、食事休憩の時間に、兄の部屋へと向かった。
廊下を歩いていると、ひそひそとささやき合う声が聞こえてくる。
(……身を隠しておいた方がよかったかなぁ……)
心の中でぼやいた。
先日、王宮で大変な目にあったばかりだし、ここは王宮の敷地の中にある。むやみやたらにスキルを発揮するのはよくないだろうと思っていたけれど、こうもひそひそ言われるものだとは思ってもいなかった。
「……アイリーシャ様が、今日からこちらに来るのですって」
「殿下の婚約者でしょう?」
「いえ、そういうわけでもなさそうですよ。魔力を暴発させたことがあるそうなので、殿下のお相手には不向きなんじゃないかしら」
この研究所にいるのは、基本的には貴族が多いはずだ。
たしかにこの研究所で行われているのは国家の緊急事態に対応するための研究ではないにしても、そんなお喋りで時間をつぶして許されるほどこの国の貴族は暇か。暇なのか。
貴族達って、どこでも変わりないんだろうか。アイリーシャが前世で囲まれていたのは、貴族そのものではなかったけれど。
幸いなことに、先方はまだアイリーシャに気づいていない。
(……隠れよ)
よくないのはわかっていて、アイリーシャはこっそりスキルを発動した。
エドアルトとの一件があるから、パーフェクトに身を隠すような真似はしない。ちょっぴり、存在感を薄くするだけ。
先方には、「誰かが向こうから歩いて来た」が、あえて目をとめる必要もない存在として認識されているはずだ。
たぶん、使用人程度の認識だろう。貴族達は、いちいち使用人のことなんて気にしないものだから。
「やっぱり、アイリーシャ様は難しいんじゃないかな。魔力の制御ができないだろう」
「所長が、完璧に制御できるように指導したと聞いているが」
「ああ……週の半分は、公爵家の領地の方に行っていたのは、それが理由か。正直、けっこうな迷惑だよな」
「しかたないだろ。相手はシュタッドミュラー家だぞ」
アイリーシャが目の前にいるのに、存在感を消しているから周囲の所員達は、口を閉ざすことはなかった。
(……あんまり、いい気持ちはしないけど!)
自分の噂話を目の前でされるというのは、めったにない経験だろう。
本人の目の前で、よくもまあここまで悪口が出てくるものだ。存在感を消しているから、今さらだけれど。
(……早く行こうっと)
アイリーシャがこの場にいると知られるのは、お互い気まずくなるはずだ。アイリーシャがそそくさと立ち去ろうとした時だった。
「見て。エドアルト殿下よ」
「今日も素敵ねぇ……」
たしかに見栄えはいい。彼女達に心の中で同意する。
今日は紺の衣服を身に着けているが、彼のすっきりとした美貌にはよく映えていた。
「殿下、今日は、どのようなご用件でいらしたのですか? よろしければ、ご案内いたしますが」
今の今までアイリーシャの噂話をしていたのを忘れたかのように、女性所員のうち一人がエドアルトに近づいた。まだ若いので、独身の貴族令嬢なのかもしれない。
「案内は不要だ」
ぴしゃりとエドアルトは、彼女の言葉をはねつけた。
(うわぁ……)
それを見ていたアイリーシャはちょっと引いた。
たしかに、これは絶氷だ。もともとの顔立ちが整っているだけに、じろりと見られるとものすごく怖い。
壁に張りつくようにして、完全に空気と化していたアイリーシャも怖かったのだから、当事者はさぞ恐怖を覚えたことだろう。
(……場所、移動しよ)
兄が待っているし、この場にいつまでもとどまっていたくない。
この間は気づかれたけれど、他の人も同じ場にいるからエドアルトはアイリーシャに気付かないだろう。
なんていう期待は、あっさり打ち砕かれた。
「アイリーシャ嬢、ここにいたのか」
「……へ?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
やっぱり、気づかれた。他の人に紛れていたから大丈夫だと思っていたのに。
「え? アイリーシャ様、いつからそこにいたんですか?」
アイリーシャを話のネタにしていたということもあって、所員達は気まずかったようだ。アイリーシャは笑ってごまかそうとした。
「い、今、たまたま通りがかったところで……兄の部屋で一緒に食事をするんです」
言葉の後半はエドアルトに向けてのもの。
「ノルベルトのところか。俺もそこに用がある。一緒に行こう」
「……え?」
また、間の抜けた声が出た。一緒に行こうと言われても。
ものすごい視線を感じて、そちらに目を向ければ、エドアルトに案内を拒否された職員がこちらにすさまじい目を向けている。
(あぁ……やってしまった)
内心でため息をつくものの、こればかりはどうしようもない。
王太子殿下を追い払うなんてできるはずもなく、しぶしぶ並んで歩き始めた。
「昨日は、お花をありがとうございました」
なぜ、ピンクのスイートピーを選んだのかまでは聞けなかった。たぶん、父にでも聞いたのだろう。そういうことにしておく。
もちろん、すぐに謝礼の手紙は送ったものの、直接顔を合わせたのだから、今、もう一度御礼は言っておいた方がいい。
「怖がらせた謝罪だ」
「あれは……私がいけなかったんですよ。でも、今はよく気づきましたよね? 他の方の気配に紛れると思っていたんですけど」
「アイリーシャ嬢の気配は、もう覚えた」
「お、覚えたって!」
「また、同じことがあったら困るだろう?」
そんなことを言われても。
たしかに、今後も人前に出る時には、全力で身をひそめるつもりであるけれど。
「人の目にさらされるのが嫌になるというのはよくわかる。魔力暴発の件だろう」
あの一件、エドアルトの耳にまで届いていたのか。まあ、あれだけ騒がれていたのなら当然か。
「――あの事件はまったく関係ありませんよ?」
「関係ない?」
「ええ、まあ」
どちらかと言えば、前世での経験が問題なわけで。だが、そんなことをエドアルトに言うわけにもいかなかった。
「たしかに、人前に出るのは好みませんが……それは、殿下も同じでしょう?」
たった今、見かけたばかりの職員に対する対応。あれを見ていれば、よくわかる。
「そう……かな」
エドアルトは、考え込む表情になった。
「では、俺達は友人になれるだろうか」
「友人、ですか……」
アイリーシャは固まってしまったけれど、エドアルトの友人になることには同意した。
花をもらっておいて、断るなんてできるはずもない。
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