王宮への初出勤
王宮の舞踏会に参加した翌日は思いきり寝坊してしまったが、寝坊したのは一日だけだ。その次の日には、王宮に出仕することになっていたからそれどころではなかった。
王立魔術研究所に初めて出勤する日、アイリーシャは顔をこわばらせていた。仕事に行くのだからと、飾りの少ない地味目のドレスを選んでいる。
アイリーシャと次兄のノルベルトは、王立魔術研究所に一緒に通勤することになっている。父は何かと忙しいので別行動だ。
三男のヴィクトルは、王立騎士団の寮に住み込みである。勤務時間が不規則で、真夜中の見回りなどもあるためだ。
馬車のところに行ったら、ノルベルトは大きなバスケットを手にアイリーシャを待っていた。
「緊張しているのか?」
「緊張はしていないと思うわ。お兄様と一緒に行けるから嬉しい」
「俺も、リーシャと一緒に行くことができて嬉しいよ。可愛い、自慢の妹だからな」
家族はアイリーシャのことをリーシャと名で呼ぶ。離れていた期間が長いから、まだ小さな子みたいに思われているようだ。
ごとごとと揺れる馬車の中、アイリーシャは考え込んだ。
(……なんで、ピンクのスイートピーだったんだろう)
昨日、思いきり寝坊して昼過ぎに起きたら、王宮から花籠が届けられていた。ピンクのスイートピーをメインに、何種類かの花を組み合わせたものだった。
添えられていたのはエドアルトの手紙によれば、剣をつきつけてしまった詫びらしい。そこまで気にするほどのことではないのに。
(たしかに、完璧に気配を消していたら、何かあるんじゃないかと思われるわよねぇ……)
あまりにも一度に多数の人と会って緊張していたからか、あの時はどうかしていた。
厳重に警護されている王宮の中なのだから、あそこまで完璧に存在感を消す必要もなかったのに。存在感を多少薄くする程度だったら、きっとエドアルトも見逃してくれた。
(というか、貴族の執着が思っていた以上の方が驚きよね……!)
日本で、それなりに人の目にさらされるのに慣れたと思っていたけれど、甘かった。アイリーシャの考えはめちゃくちゃ甘かったのである。
彼ら、獲物を逃す気皆無であった。
真正面からかかってきたヴァレリアは、まだましだった気がしなくもない。両親と一緒にいる間、どうしたって聞こえてしまった声。
過去、魔力を暴発させた娘。そのレッテルは、もう一生ついて回ることになる。
(だからって、あの時、他に何かできたわけでもないんだけど)
そう言えば、ひとつ気になるのは。
あの時、一緒に誘拐された男の子はどうなったんだろう。
あの人達の話を聞く分には、誘拐されたのはアイリーシャ一人みたいな話になっていたけれど。
「やっぱり、緊張してるんだろう」
「していませんよっ!」
こちらを見ながら、にやにやしてくるノルベルトから、ぷいと視線をそむける。
そんなことをしている間に、馬車は魔術研究所に到着していた。
魔術研究所は、王宮の裏手にある建物だった。昔は、離縁して戻って来た王女が生活していたという立派な建物だ。
アイリーシャとノルベルトが馬車を降りた時には、ミカルが外に出てきて待っていた。よく知っている顔を見つけてほっとする。
「――先生!」
「挨拶をすませたら、最奥の書庫に来てください。あなたに見てほしい本がたくさんあるんですよ」
「わかりました。すぐに伺います」
「アイリーシャ。先に挨拶をして回ろう。では、所長、またあとで」
ノルベルトに連れられ、研究所に足を踏み入れた。
ここは、アイリーシャがミカルとの訓練に使っていた訓練所とは違い、魔術の影響を外に及ぼさないような工夫がされているわけではなさそうだ。
どちらかと言えば、皆、資料室から持ち出してきた古文書の解読にいそしんでいて、図書館のような雰囲気の方が近い。
「妹のアイリーシャだ。今日から、ここで世話になる」
「よろしくお願いします」
アイリーシャが頭を下げると、集まっている研究所員達がざわりとする。それから、皆をまとめているらしき年配の男性が、口を開いた。
「我々は、アイリーシャ様を歓迎いたします。四つの属性を等分に持ち合わせている方というのは、今までに例がないので今まで開くことすらできなかった文書が開けるようになる可能性もありますから」
「できる限りの協力はさせていただきますね」
一応、歓迎はされているようだ。シュタッドミュラー家からここに来るのが二人目なので、実は少し心配していた。家族で同じ職場にいるというのは、避けた方がいいケースも多いから。
一番奥の部屋に保管されているのは、今まで開くことのできた人がいないという書物だ。
四方の壁は、みっしりと書物が詰め込まれている。部屋の中央には広いテーブルがいくつか置かれていたけれど、その上にも本が重ねられていた。
(……この中に魔神との対決方法があればいいんだけど)
ここは、アイリーシャの知る世界から三百年前。まだ、魔神の存在は世には知られていないらしい。
ここにはその資料もあるのではないかと期待しているけれど、どうだろうか。
「アイリーシャ様、どうでしょう?」
「先生――じゃなかった。ここでは所長、でしたね。こんなにたくさんの研究書があるとは思っていなかったので、どこから手をつけたらいいのか考えてしまうくらいです」
「そうですねぇ……」
書棚にずらりと並んだ背表紙を眺め、ミカルも考え込む表情になった。それから、彼はアイリーシャを部屋の左手にある棚の前へと連れていく。
「この棚から調べてもらえますか」
「この棚に置かれている書物は、そんなに大切なのですか?」
首をかしげるアイリーシャの方へ身をかがめ、ミカルはぼそぼそとささやいた。
「ここにあるのは、かつて、この国を襲った災厄について書かれたものと推測されています。いずれ、またこの国は災厄に見舞われる可能性が高いと、先人が残してくれた記録ではないかと」
「災厄、ですか……」
ひょっとすると、その中に魔神に関する情報もあるかもしれない。アイリーシャはうなずいた。
「わかりました」
ミカルがそう言うのなら、まずはこの棚から調べてみよう。背表紙をじっと眺め、かつての大魔術師の名が記された本を手に取ってみる。
「開けますか?」
「いえ……これは、無理そうです」
書物にはたしかに防御の魔術がこめられている。だが、今は開くことができなそうだ。
(神様がいてくれたら、開き方を聞けたかもしれないのに)
とはいえ、それはないものねだりというものだ。アイリーシャは、頭を振って神様のことは頭から追い払うと、次の書物を手に取った。
午前中は記録保管庫で過ごし、昼食には外に出る。
昼食は各自好きなタイミングで取ることができる。自宅から持参する者もいれば、研究所内の食堂ですませる者もいる。
(お兄様が一緒に食べようって言ってたから……)
ノルベルトは、そこそこ偉い地位についているらしく――家柄のせいもあるかもしれない――独立した部屋を持っている。そこに昼食が届けられるそうだ。
兄の部屋に向かって廊下を歩いていると、ひそひそとささやく声が聞こえてきた。
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