そう言えば、婚約者候補でした……

「そうだな、たしかに、持っているスキルについては、内密にしておいた方がいいな」


 こちらを見る彼は、令嬢達に囲まれていた時とは、まったく違う。少しだけ口角が上がって、柔らかな笑みをアイリーシャに向けていた。


(氷の……貴公子……? 違う、絶氷の貴公子って、そう呼んでた人達、何を見てるのかしら)


 ひょっとしたら、彼のことをそう呼ぶ人達は、彼の本質を見ていないのではないだろうか。


「殿下、そろそろ中に戻らないと……」

「そうだな、手を」


 いつまでも、ここで落ち込んでいてもしかたないだろう。立ち上がったアイリーシャは、素直にエドアルトの腕を借りる。


(……ん?)


 その時、気がついた。自分達の周囲に多数の人の気配があることに。


「あの、殿下」

「なんだ?」

「私達、囲まれている気がする……のですが」


 ここは王宮だ。だが、こんな風に囲まれているということは――まさか、盗賊が侵入してきたというのだろうか。

身体を固くし、襲撃に備えようとする。一番得意なのは、隠れることだけれど、逃げるための時間を稼ぐくらいならなんとかできる。

 けれど、エドアルトはけろりとして言い放った。


「あれは、王宮の警備兵だ」

「……は?」

「あんなに派手に悲鳴を上げたんだ。王宮の警備兵が駆けつけなくてどうする」

「は、は、派手な悲鳴って……!」


 アイリーシャは声を上げた。

たしかに、派手に悲鳴を上げた。

 その悲鳴を聞きつけて、王宮の警備兵が駆けつけてきたのは、職務に忠実で実にけっこうなことだ。

だが、ずっと囲んでいる必要もないではないか。


「なっ……なっ……」


 アイリーシャは、言葉を失ってしまった。


「……それに、俺の警護もしているからな」

「ソ、ソウデスネ……」


 そう言えば、今腕を貸してくれているのは王太子殿下だった。

 首に剣を突き付けられるという経験をしたばかりで、すっかり頭から飛んでいたけれど。

そしてもうひとつ。アイリーシャはとんでもないことを忘れていた。


(……し、しまった……! 殿下と一緒じゃ目立つことこの上ないじゃないの……!)


 今日の主役であるエドアルト。

彼の腕を借りてテラスから中に戻ってくる。

 そんなことをしたら目立つに決まっている。というか、目立たずにいたいのなら、今すぐ彼の腕を振りほどいて逃げ出すべきだ。


「殿下、そろそろ……両親のところに戻らないといけませんので」


 王と王妃が入室したら、両親と共に挨拶をしなければならない。笑顔で、エドアルトから離れようとするけれど、彼は両手でアイリーシャの逃走を封じ込めた。


「また、あとで」

「は、はい……!」


 あとでと念を押してから、ようやく解放される。


(ものすごく疲れた……!)


 なんとかエドアルトと一緒に中に戻るのだけは免れたが、アイリーシャは、ぐったりとしてしまった。

 ここに来てからまだ一時間程度のはずだが、この一時間でいらない経験を山ほどしてしまった気がする。

 同年代の令嬢に喧嘩を売られたりとか、王太子殿下に、首に剣を突き付けられたりとか。


「アイリーシャ、お前、どこに行っていたんだ?」


 両親の顔を見て、ほっとした。


「ちょっと、外に涼みに行っていただけ」


 なんでもない様子を装って、肩をすくめる。


「ほら、殿下にご挨拶に行かないと……」


 エドアルトもいつの間にか中に戻ってきたようだ。


(もう、顔は合わせたけどね……)


 なんて言えるはずもなく、両親に連れられて国王夫妻と王太子のところまで赴く。

マナー教師に全力で叩き込まれた美しい仕草を思い出しながら、アイリーシャは頭を垂れた。その仕草の美しさに、集まっている人達の間からほぅっと感嘆の声が漏れる。


「大きくなったな、アイリーシャ。修行を終えたとミカルが言っていた」

「ありがとうございます。ですが……まだまだ修行が必要です」


 そう答えたのも、自分が魔術師としては秀才どまりであるのを知っているから。

 身に秘めた魔力の多さと発動する魔力の正確さで、大多数の魔術師よりは優れた戦果を挙げるであろうことも知っているけれど、天才には遠く及ばない。

――それに。

アイリーシャが本領を発揮するのは、神聖魔術を覚えてからだ。今は、ただ"ちょっと優秀"な魔術師でしかない。


「王立魔術研究所に入るのでしょう? 時々はこちらに顔を出してね」

「ありがとうございます、王妃陛下」


 庭園で顔を合わせた時が嘘だったように、エドアルトは無表情だった。アイリーシャにも、無言でうなずいただけ。

 それよりも、背中にちくちくと突き刺さる会場中の人達の視線が痛い。


(……帰りたい。早く帰りたい……!)


 心の声を駄々洩れにするわけにもいかないので、顔には笑みを張り付けた。こういう対処の方法は、前世できっちり身に着けたから大丈夫だ。


「アイリーシャ。エドアルトのことを頼むぞ」

「心より、忠誠を誓います」


 王からかけられた言葉には用心深く返した。


「あなたもそろそろお年頃よね。そろそろ縁談を探すのかしら? ……エドアルトの縁談も、探さないといけないと思っているの」


 頬に手を当てて王妃は微笑む。その笑みはにこやかなものであったけれど、アイリーシャは背筋が冷えるのを覚えた。


(そうよね、私、エドアルト殿下の婚約者候補の一人よね……)


 先ほど声をかけてきたヴァレリアもそうだけれど、アイリーシャも公爵家の娘だ。そして、エドアルトはまだ婚約していない。

となると、アイリーシャやヴァレリアの他、何人かが今後エドアルトの妃の座を争っていくことになるのだろう。


(私は、妃になるつもりはないし……一抜けたってわけにはいかない……だろうなー)


 これから先、待ち受けている未来のことを思えば、エドアルトの妃の座を争っている余裕などない。もっと強くならなくては。


(――三百年後に備えないとだものね……!)


 その前に、せっせと一生分働かなくてはならないのは理不尽ではあるけれど、三百年後に期待をつなぐしかないだろう。


「お父様、お母様。私、あちらに行っているわね」


 するりと存在感を消して壁と同化。踊っている人達もいるが、ダンスには興味ない。


(……王子様も大変よね)


 挨拶を終えたらしいエドアルトの周囲にはまたもや令嬢達が群がっているが、ものの見事に表情が消えている。

 前世の自分を思い出して、ちょっぴり彼に同情した。

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