絶氷の貴公子と出会いました

 やがて、今日成人を迎えたエドアルトが、広間に入ってきた。広間にいる全員が彼に注目している。

独身の女性は、彼が入ってくるのと同時に彼の周囲を取り巻いていた。アイリーシャは、その輪には加わらず、遠くからその様子を見ていた。

黒髪はきっちりセットされているわけではなく、無造作に額に落ちかかっている。鋭い光を放つ黒い瞳は、自分に群がる令嬢達を冷たく見つめていた。

 形のよい唇は、むっと引き結ばれたまま。機嫌悪そうにも見える。

 だが、尋常ではなく整った彼の容貌は、表情が少ないという欠点をも美点に見せるのに成功していた。髪の色に合わせたらしい黒の正装がよく似合う。

 先ほど、アイリーシャに突っかかってきたヴァレリアもエドアルトを取り巻く令嬢達の中に混ざっていた。


「……殿下ってばあいかわらずね」


 遠巻きに今日の主役の様子を見ていたら、ダリアがぼそりとつぶやいた。


「あいかわらず?」

「ほら、皆冷たくあしらってるでしょ。あまりにも冷たいから、絶氷の貴公子なんて言われているの」


 たしかに、エドアルトを取り巻く令嬢の数は多いけれど、誰にも笑みは向けていない。それどころか、問われたことにもぶっきらぼうに返すだけで、誰とも距離をおいているようだ。

 彼の周囲には、透明の壁が張り巡らされているようにも見えた。


(たしかに、絶氷の貴公子……ね……)


あんなに無表情で、恋人とかできたらどうするつもりなのだろう。アイリーシャが心配しても、意味のないところではあるけれど。

それにしても、多数の人がいる広間は少しばかり暑い。もうすぐ王の登場だし、それまでの間に涼んできた方がよさそうだ。


「私、ちょっと外の空気を吸ってくる」

「私達も一緒に行きましょうか? 不用心だもの」


 ミリアムがそう言ってくれるのには、首を横に振った。


「いいわ。ここは、安全だろうし」


庭園に降りると、アイリーシャ以外誰もいない。


(陛下がいらっしゃる前に声がかけられるはずだから……)


 国王の入場に合わせて戻れば問題ない。

 目の前を王宮の使用人達が通り過ぎていくが、アイリーシャには見向きもしない。完璧に存在感を消しているからだ。

 宮中には、アイリーシャ以上の魔術の腕前を持つ者もいる。"隠密"を看破できるスキルの持ち主もいるだろう。

あまり長い間は隠れていられないだろうけれど、それでも、こうして人の目から隠れているとホッとする。

結局、自分は前世から何も変わっていないということなのかもしれない。

 窓から流れてくる音楽に耳を傾け、心を落ち着けようとする。皆は、中で楽しんでいるのだろうか。

 アイリーシャは、空を見上げた。夜空を彩る星座は、日本で見ていたものとは違う。

 まったく違う世界で生きているということを実感させられた。


(そろそろ、戻った方がよさそうね)


 立ち上がり、そろりとテラスに繋がる階段へと向かおうとした時―― 不意に背後から首に腕を回され、ぎゅうっと締め上げられる。


「なっ……な……」


 あまりのことに声が出ない。そのままぐっと後ろに倒され、気がついた時には冷たい地面が背中に触れていた。

両腕は、アイリーシャを押し倒した人間の膝に押さえつけられていて、身動きひとつできない。

恐怖のあまり、目はぎゅっと閉じたままだった。首に刃の感触が触れ、ちりっとした痛みが首に走る。


「こんなところで"隠密"を使うとは怪しいやつ。どこの間者だ?」


 耳を打つのは、低い声。

その声には聞き覚えがある。つい先ほど、少女達に囲まれ、不愛想に返していた声だ。


(……王太子殿下?)


――けれど、なぜ。

今日の主役である王太子がここにいるのだろう。


「――姿を見せろ」


 首に押しつけられた刃の感触が、ますます強くなる。

どうして、なぜ。

頭の中で、ぐるぐるとその言葉が回る。


「――姿を見せられないというのなら……」

「いぃぃっぃやぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 もう少しだけ、首に当てられた剣に力がこめられるのと、アイリーシャの唇から激しい悲鳴が上がったのは同時だった。

 と、同時に身を隠していたスキルの効果が完全に消滅する。隠密スキルはあくまでも身を隠すためのものである。気づかれたらそれで終わりなのだ。

 じわり、とアイリーシャの目に涙が浮かぶ。瞬きをして追い払おうとしたけれど、それは無理な相談だった。


「アイリーシャ・シュタッドミュラー……」


 アイリーシャを地面に押し倒した本人の唇から、呆然とした声が漏れる。


「……なぜ」


 なぜ、と問われても。

無言のまま、エドアルトを追いやろうとする。今度は、アイリーシャの細腕でも彼を追いやることに成功した。

ぼたぼたっと涙を落すと、相手はものすごくうろたえた顔になった。


「……わ、悪い。怪我はなかったか!」


 剣をおさめたエドアルトは、アイリーシャの腕を掴んで座るのに手を貸してくれる。

一度出てしまった涙を引っ込めるのは難しくて、アイリーシャは無言のまま首を縦に振った。


「本当に悪かった! 怪我をさせるつもりはなかった!」


 いったいこれは、どういうことなのだろう。自分の前で深々と頭を下げるエドアルトの前でアイリーシャは困惑していた。

アイリーシャは地面にぺたりと座り込んでいるから、頭を下げているエドアルトの方は完璧な土下座である。

この国に、土下座の文化があるとは思ってもいなかった。


(――ってそうじゃなくて!)


 エドアルトの後頭部を見ながら考え込む。

この場合、謝罪すべきなのはアイリーシャの方ではないだろうか。


「あの、頭……上げてください……その、私も、よく考えたら……よくなかった、ので」


 ごそごそとハンカチを出して、涙を抑えてからそう口にする。のろのろと頭を上げたエドアルトは、また申し訳なさそうな顔になった。


「あんなに見事に隠れているのが君だとは思わなかったんだ」

「……いえ、お気になさらず」


 どうしよう、ものすごくいたたまれない。うろうろと視線をさ迷わせる。


「――どうして、こんなところにいたんだ?」

「ちょっと、人が多すぎて酔ったみたいで……それで、涼みに出てきたんですけど。そろそろ、中に戻ろうとしていたところでした」

「そうか――しかし、見事な"隠密"だった」

「――殿下!」


 今度は、アイリーシャが頭を下げる番だった。


「スキルのことはご内密に……!」


 アイリーシャが隠密持ちだと知られると、何かとやっかいなことになる。訳がわからないと言った様子だったけれど、エドアルトはうなずいてくれた。

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