無事に保護、そして
「おい、飯にするぞ」
殺すつもりはないのだろうと思っていたアイリーシャの判断は間違っていなかった。夕方、外が薄暗くなってきたところで、食事が運ばれてくる。
(――今だ!)
「お兄さん、扉が空いたら逃げるよ。音は立てない。話さない。オーケー?」
静かに問うと、相手はこくりとうなずいた。もう、音をたてないようにしているみたいだ。
そろそろと扉のすぐ脇に移動する。
「おーい、飯」
男のうちの一人が、盆の上に料理を載せて持ってきた。
「おい、どこに隠れて――」
男の子と繋いだ手にぐっと力をこめる。
スキル発動!
もっと上達していれば、多少物音を立てても大丈夫だったろうがしかたない。男の脇をすり抜け、隣の部屋へと出る。
「……いない。逃げた!」
隣の部屋には、三人の男がいたけれど、彼らも皆アイリーシャ達が目に留まらないようで、どうしたどうしたと部屋の中をうろうろとしている。
アイリーシャと手を繋いでいる男の子だけが、姿を見ることができる。アイリーシャは、彼に向かって「しぃっ」と人差し指を唇に当てた。
三人とも外に通じる扉から離れたら、一気にその扉を開いて外に出る。外階段を駆け下りる間ぐらいは追いつかれないですむだろう。
(……よし)
部屋に残っていた三人のうち、二人が閉じ込められていた部屋をのぞきこんでいる。もう一人の注意もそちらに向いた。
逃げるなら今だ。
――けれど。
「あいたっ!」
声を上げたのは男の子だった。テーブルに足をぶつけたらしい。ぶつけた時の音も部屋中に響いた。
とたん、二人にかけていたスキルが解けてしまう。
(……もっと上達していたら、多少音を立てても大丈夫だったのに!)
必死に扉目指して走る。たぶん、その扉を開いたら、外階段がある。
「――いたぞ!」
「いつの間に」
今ので一気に気づかれてしまった。男達が、一気に二人の方へ押し寄せてくる。
(――まずい)
ここで捕まったら、二度と逃げ出すチャンスは訪れないだろう。
「お兄さん、目を閉じて!」
アイリーシャは、声を上げた。
神様との特訓は、"隠密"スキルだけではなかった。
並行して、魔力を高める訓練もしていたのである。というのも、スキルを利用するのに魔力を必要とするからだ。
完璧に隠れようとすればするほど、スキルの発動時間を長くすればするほど、利用する魔力の量も増える。
そして、アイリーシャは、いずれ神聖魔術の使い手になるだけあって、魔術に対してもそこそこの技能を持っていた。
天才ではなく、秀才どまりであったけれど。
ただし、この世界。魔術の訓練を始めるのは、十歳を過ぎてからだ。
ある程度、身体が大きくならなければ、魔術を使用するだけの魔力を体内にためることができないからだ。
(……やるしかない)
物理的な力で男達に対抗することはできない。勝機を見出すとしたら、普通はまだ魔術を使えないというその一点だ。
「――爆発せよ!」
命じたのは、ほんの一言。指先に集めた魔力を一気に放出し、男の背後、天井を射抜く。
魔力は、天井にぶつかるのと同時に一気に大きく広がった。爆発音がしたかと思うと、天井ががらがらと崩れ落ちてくる。
「こっち!」
呆然とその光景を見ている男の子の手を引いた。崩れた天井の欠片がもうもうと空中を漂っている中を駆け抜け、扉に到着する。
「――このっ!」
他の男達が目を押さえ呻く中、リーダー格の男だけは難を免れたようだった。こちらに向かって手を伸ばしてくる。
「――爆発せよ!」
今度は男の足元に向けて魔力を放った。前回と違い、今回は威力を殺している。男の足元で爆発が起き、足を取られて転んだ。
扉を開け、外階段を一気に駆け下りる。大きな爆発音に、周囲の住民や祭りの見物客が家の周囲に集まってきていた。
「――大丈夫か!」
集まってきた人達は、二人が爆発を逃れて出てきたのだと思ったようだった。
「……君達は、どこから?」
「あの家にいる男達に誘拐された。この子のお父さんとお母さんを探してほしい。僕は、王宮前の広場に連れて行ってもらえれば大丈夫」
アイリーシャも男の子も、身に着けているのは下町では珍しい高級な品だ。庶民の服とは、布からして違う。
付添人もなしに、子供だけでこんなところに来るなんてありえない。人に命じることになれているらしい男の子の物腰も、ただ者ではないと判断される理由になったようだ。
「――逃げるぞ!」
アイリーシャ達が閉じ込められていた家から、男達が逃げ出していく。祭りの警護に当たっていた首都の警備兵達が追っていった。
「それで、お父さんとお母さんはどこに行ったら見つかるかな」
残った警備兵が、アイリーシャと目の高さを合わせて問いかけてくる。
「あのね、リーシャのお父様は、公爵なの」
「……は?」
五歳の幼女に親は公爵と言われて、信じられなかったようだ。思わずと言った様子で聞き返してきたので、繰り返した。
「公爵なの。シュタッドミュラー公爵」
「……シュタッドミュラー公爵か?」
「そうよ、おうちに、連れて行ってくれる?」
首をかしげて問えば、警備兵はことの重大さをようやく理解したようだった。
「誰か! 公爵令嬢を保護してくれ!」
声を上げて、仲間を呼ぶ。それを見ながら、アイリーシャは頭がぐらぐらするのを、こらえるのがだんだん難しくなってきていることに気づいていた。
(……ちょっと、魔力使いすぎたもんね……)
もともとの素養があったとはいえ、訓練を始めてまだひと月。自分だけではなく、男の子にまでスキルの効能を広げ、二回も爆発を起こした。
爆発は火属性の魔術に分類されるのだけれど、今回は見様見真似だ。たぶん、魔力の制御にも思いきりムラがあっただろう。
(でも、こんなところで倒れるわけにはいかないし)
そう思ってしまうのは、たぶん前世からの刷り込みだ。公爵家の娘としても、人前でみっともないところを見せるわけにはいかないだ。
「――アイリーシャ?」
うつむいていたら、男の子は気分が悪いのに気付いたらしい。心配そうな顔で、こちらをのぞきこんできた。
「あ、やっぱりだめかも」
最期に覚えているのは、その言葉。
そのままぷつりとアイリーシャの意識は途絶えた。
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