"玉"に転生するはずだったのに

 けれど、アイリーシャの記憶はすぐに上書きされることになった。アイリーシャをこの世界に送り込んだその本人によって。

 おとなしく絵本を読んでいるからと乳母を追い出し、いざ記憶を整理しようとしたところで、アイリーシャの目論見は中断させられた。


「いやあ、ごめんごめん」


 どこからか、声が聞こえる。目をぱちぱちとさせて視線を巡らせてみれば、いつの間にかアイリーシャのベッドに猫が丸くなっていた。


「誰?」

「か・み・さ・ま」

「神様って……あーっ!」


ひょいと後ろに飛びのいた猫は、「ひどいなぁ」と笑った。猫のくせに、実にいい笑顔である。

この部屋には誰もいないのをいいことに、アイリーシャは猫に詰め寄った。


「思い出した! 嘘つき! "玉"に転生させてくれるって言ってたのに! なんで、アイリーシャに転生しているのよ!」

「我はちゃんと説明したよ? 玉になる前に、アイリーシャとしての人生を全うしないといけないって」

「そ、そうだった……?」


 実はこの猫。

前世のアイリーシャ――愛美――死亡の原因となった神様である。

 その日、愛美は両親に連れられて、船上パーティーを訪れていた。

パーティーに行ったと言えば聞こえはよいが、実際のところ政略結婚の相手を見繕うための愛美売り出しの場であった。

 外の空気を吸いたいからと甲板に出たところ、海に転げ落ちそうになっている猫を発見。

助けようとして、自分が転がり落ちたという間が抜けていると言えば、また抜けている展開である。

助けようとした恩があるし、生き返らせてあげられないから好きなところで第二の人生を送らせてもらうという約束だったはずなのだが――。


「そうだよ。君の好きなゲームの世界に転生させてあげるとは言ったけどさ。ちゃんと条件は話しただろ?」

「"玉"に転生させてくれるって言ってたでしょ! 私、モブキャラ希望だったんですけど?」

「"玉"とは言ってないよ。アイリーシャに転生させてあげるとは言ったけど」


 しれっとして神様は言う。

愛美の知っている"アイリーシャ"は、初代聖女であり、ゲームのヒロインに指名を伝える役であった。

 ゲームの中で登場するのはほんの数度。実態を持たない、白く輝く球体であったことから、"玉"と呼ばれていたのである。

 ゲームのヒロインをそっと見守る立場であり、愛美にとっては思う存分ヒロインを愛でることのできる最高の立場であるという認識だった。


「……モニカたんに会えるって言ったじゃないの!」

「会えるよ? 三百年後に!」

「それじゃ遅いっつーの!」


 前世がお嬢様、現世でもお嬢様であるにも関わらず、乱暴な言葉が飛び出てきた。


「そうよ、モニカたんを遠くから見守る玉……玉なら、人の目にも見えないし……モニカたんだけ見ていられればよかったのに……! なんで、公爵家の令嬢なのよ……!」

「それも我、説明したって言ったじゃん」


 前世のアイリーシャにとって、ゲームの主人公キャラ――デフォルトネームは、モニカ・ネーヴィル――は、最高のキャラであった。

相手役なんぞどうでもいい、ひたすらヒロインを愛でさせろと、全ルート攻略したのは、できるだけ多くの表情を見たかったから。

 ゲームを勧めてくれた友人に話したらドン引きされてしまったが、"モニカたん"と呼んで、攻略対象者達のスチルではなく、主人公のスチルを舐めるように眺めていた。

アイリーシャが"玉"に転生するはずだったに……と何度も口にしていたのは、モニカを遠くから見守る存在として転生したつもりだったからだ。


(そうだそうだ、そうだった……!)


 何やらごちゃごちゃと条件をつけられたような気もするけれど、すっかり忘れていた。


「君、馬鹿?」


 はん、と猫が鼻を鳴らす。愛美の死の原因となったくせに、悪びれる気持ちはないらしい。


「そんなねー、都合よくいくわけないじゃない。モニカを見守るためには、君がしっかりと"アイリーシャ"としての役を果たさないと」

「……でも、転生先はモブキャラだって言ってたじゃない! 公爵家の娘のどこがモブ?」

「やー……ゲームの時代ではモブだけど、今の時代は違うからねぇ……」


 ぷいっと横を向いた神様は、そしらぬ顔で尾を揺らす。なんだかとっても腹立たしい。


「だったら、モニカたんと同じ時代の名もない一学生だってよかったじゃない……なんで、公爵家令嬢からやり直しなのよ……」


 アイリーシャは、床の上にひっくり返ってじたばたした。公爵家の娘だなんて、いろいろ面倒に決まっている。


「そりゃ、我だって全能ではないからねぇ……」


 今度は露骨に視線をそらされた。ひょっとしたら、名もない一学生に転生すればよかったという事実に、今思い至ったのかもしれない。


「……それで私はどうしたら」

「言ったろ? アイリーシャとしての、人生を全うしてくれればそれでいい。君の言う"玉"になるには、それで十分」

「アイリーシャとしての人生って……」


 アイリーシャは青ざめた。

ゲーム内において、語られているだけでもアイリーシャの功績は素晴らしいものであった。

公爵家の娘であったという事実は転生するまで知らなかったが、初代戦乙女。今の時代は聖女と呼ばれる存在である。

聖槍と呼ばれる魔神を封じる力を持った槍を扱うことができるのは、聖女だけ。

 つまり、アイリーシャとしての人生を全うするということは、公爵家の娘として人前に立つという以上に聖女として人目にさらされなければならないということだ。


「う、う……嘘つきぃぃぃぃぃ! 目立たないって言ったのに!」


 するりと抜け出そうとする猫を素早く掴み、アイリーシャはがくがくと揺さぶった。

猫の口から苦しそうな声が漏れるのも構わずなおも揺さぶり続ける。


「目立たないって言ったじゃない! だから……うわあぁぁぁぁんっ!」

「く、首がしまる……!」


 猫を掴んだまま、わぁわぁと泣いた。前世では、こんな風に泣いた記憶などない。

いつの間にか、天花寺家の娘としてふさわしくあらねばならないということばかり、気にするようになっていたから。

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