私、転生したようです

 うららかな春の日。

朝も早くからシュタッドミュラー公爵邸には悲鳴が響き渡った。


「なんで、なんでぇぇぇぇぇっ!」


 悲鳴の主は、この家の娘、アイリーシャ・シュタッドミュラーのものである。


「なんで"玉"じゃないのよぉぉぉぉっ!」


 大きな鏡の前にいるアイリーシャは、鏡面に縋りつくようにして崩れ落ちた。

艶々とした銀色の髪に、神秘的な深い紫色の瞳。

大きな目は、長い睫毛に縁どられ、子供らしいふっくらとした艶やかな頬は、薔薇色。恐ろしいほどに完成された美貌を持つ幼児である。

フリルとレースが満載の寝間着は、シルク製。幼児にシルクの寝間着を着せるとか、確実にこの家は資産家だ。

頭の隅の方では、冷静にそんなことも考える。


(……転生はしたのよね、たしかに……というか、昨日までの記憶もあるし!)


 鏡の前で自分を見つめる。見つめ返してきたのは、"愛美"の顔ではなく"アイリーシャ"の顔。

両親と三人の兄がいる末っ子長女。家族全員から溺愛されていて、すくすくと育っているところ。

アイリーシャ自身の記憶と、それをどこか他人事のように観察している愛美の記憶が、瞬時にして交錯する。


「神様の嘘つきぃぃぃ! "玉"に転生させてくれるって言ってたのにぃぃぃぃぃ!」


 さらに毒づこうとした時、部屋の扉がバァンッと勢いよく開かれた。


「リーシャ、何があったの?」


 寝間着のまま飛び込んできたのは、アイリーシャの母、シュタッドミュラー公爵夫人であった。十八で嫁ぎ、立て続けに三人の男児を出産、最後にアイリーシャを出産したのだが、四人の子持ちとは思えないほっそりとした美女だ。

まだ寝ぐせがついたままの銀色の髪はぼさぼさだが、二十年後のアイリーシャはこうなっているであろうと想像できる。


「あ、えっと……その、その……」


 うろうろとアイリーシャは視線を巡らせる。けれど、母はアイリーシャを逃がしはしなかった。


「何があったの? お母様に言ってごらんなさい」

「……お腹、空いた」


 考えあぐねた末、そんな言葉がこぼれ出た。別に、空腹なんて感じてない。

というかむしろ今の状況に頭が追い付いていなくて、食事なんてできそうにない。けれど、アイリーシャの言い訳を、母は素直に信じたようだった。


「あらあら、では、すぐに朝食にしましょうね。それから、今日は、ガーデンパーティーがあるから、準備をするのよ」

「ガーデンパーティー?」


 首をかしげると、母はアイリーシャをぎゅっと抱きしめた。


「五歳のお誕生日おめでとう」

「……ああ」


 そうか、今日は五歳の誕生日なのか。

 だが、いろいろな記憶が頭の中でごちゃごちゃとしていて、まだ混乱から抜け出すことができないでいる。


「ええ、あなたのお誕生日よ。新しいドレスに、プレゼント。楽しみでしょう?」

「う、うん……」


 五歳らしいふるまいってどんなものだったか。少なくとも、親におかしいと思われるのは困る。


「お返事は、『はい』でしょう?」

「はい、お母様」


 素直に言い直せば、母はにっこりとしてアイリーシャの額にキスを落とす。

 機嫌のよい母は、アイリーシャのクローゼットを開けて、中から真新しいドレスを引っ張り出す。


「今日は、ガーデンパーティーの時にこれを着るのよ。楽しみでしょう」


 ピンクのふわふわとしたドレスの首元にはレースの襟とリボンの飾りがつけられていて、袖口にもたくさんのレースがあしらわれている。

 腰には、ドレスより少し色の濃いピンクのリボンを巻いて、フリルを幾重にも重ねたふわっとしたスカートのとても可愛らしいドレスだ。


(……昨日までは、このドレス……めちゃくちゃ可愛いって思ってたんだけど……! 可愛いんだけど、可愛いんだけど……!)


 そのまま再び床に崩れ落ちそうになる。

 いや、実際可愛らしいことは可愛らしいのだ。五歳の少女なら、喜んで身に着けるだろう。

――けれど。


(十八にもなって、こんなドレスを着るなんてないわぁ……。ありえない……あ、でも私五歳だからいいの……?)


 まだ、混乱している。

朝起きた瞬間、記憶が戻っていたら誰だってそうなると思う。

――アイリーシャ・シュタッドミュラー。シュタッドミュラー公爵家の一人娘。

たしかに、転生先として選んだのはアイリーシャだったけれど、望んでいたのはこうじゃない。


「このドレスを着るのは、午後になってからよ。汚したら困るもの。お着替えをしてから、朝食室におりていらっしゃい」


 母の手から乳母の手に託され、普段使いのワンピースに着替えてから、階下の朝食室に降りていく。


「おはよう、リーシャ」

「おはようございます、お父様」


 真っ先に声をかけてきたのは、シュタッドミュラー公爵である父だ。四十代に入ったところで、ほっそりとした母とは対照的に縦にも横にも大きい。

 父の隣に母が座り、向かい合う位置に三人の兄が座っている。どうやら今日はアイリーシャが最後だったようだ。

 口々に「おはよう」と声をかけてくる兄達は、十歳のルジェクを筆頭に、ノルベルト、ヴィクトルと年子が続く。三人とも、父親そっくりだ。


「今日は、午後からリーシャの誕生会だからな。勉強は午前中のうちに終わらせておきなさい」

「はい、お父様!」


 三人の声が綺麗にそろう。三人の兄達は、もう家庭教師をつけての勉強が始まっているのだ。


(記憶を整理するなら午前中のうちね……)


 まだ、記憶が戻ったばかりで整理できていない。それまでの間は、"アイリーシャ"としての記憶にそった振る舞いをしよう。


("聖槍の戦乙女"の世界に転生したのは間違いなさそうなんだけど……モニカを導く役に付いたんじゃなかったの?)


 両親の会話に耳をすませる。入ってくる名詞は、アイリーシャに聞き覚えのあるものばかり。

 それなのに、今置かれているのは、予想していたのとはまったく違う状況だ。

 なんで、転生して人間やっているのだろう。"玉"に転生したつもりだったのに。

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