エピローグ わたしの勇者さま

「いってしまいましたか……」


 ツバキさまが見えなくなった後も、わたしはしばらく手を振り続けていました。


 ツバキさまたちを見送ったわたしは、今日はこれ以上何もやる気が出なかったので、ドアを開けてお父さんが建ててくれたわたしのお家に戻ります。


「……静かですね……」


 部屋は物音一つせず、ときどきすきま風が入り込む音がかすかに聞こえるだけです。


 椅子に座り、誰もいない部屋でぼーっとしていると、ツバキさまがいなくなってしまったことを改めて実感しました。


 わたしが初めて出会った勇者さま――ツバキさまが来てから、しんみりと暮らしていたわたしの生活が嘘みたいに賑やかになりました。別世界からいらしただけあって少しだけ風変わりなツバキさまは、面白くて、加えて放っておけない存在でした。


 それだけではありません。何故でしょうか、ツバキさまは特別親しみやすく感じました。最初は、お母さんと同じ故郷の人だからだと思っていましたが、そうではありませんでした。


 ツバキさまはいつもわたしや周りの人に気を配ってばかりで、そしてどんな相手でも思いやることができるんです。それがまるでお父さんみたいだったから、親しみやすさを感じたのだと思います。


 どんな逆境でもくじけない強い心を持っていて、クリームシチューを美味しそうに食べてくれて、わたしの手を取って寄り添ってくれて、とても温かくて優しい――わたしの大好きな勇者さま。


 でも、ツバキさまは先ほど旅立ってしまいました。同じ世界から来た仲間を助けるためです。


「寂しいです……」


 けれど、お母さんの故郷の人を助けることはわたしの望みでもあります。そしてツバキさまとレイカさまなら、きっとそれを叶えてくれます。


 ツバキさまはとても不思議な力を持っています。どういう仕組みかわかりませんが、胸を触ると速くなったり飛んだり光を放ったり……とにかく凄い力を発揮するんです。この前の戦いでは、ヴォルドバルドと呼ばれていた強者を一発で倒してしまったらしいです。


 ――もう、わたしが守る必要なんてないですね……


 レイカさまはとっても頭がいいんです。わたしが話せないことでも、何でもわかってくれるんです。いつも冷静で、鋭い意見をお持ちで……それに、凄く頑張り屋さんなんです。


 あの二人が力を合わせたら、向かうところ敵なしです。どんな強敵にだって勝ててしまう気がします。


 もしかしたら、競技祭を戦い抜いて元の世界に帰還することもできてしまうかもしれません。


「でも、そうなったら……ツバキさまは……」


 首をブンブンと振って雑念を払います。


 ツバキさまは元の世界に帰りたがっているはずです。わたしのわがままを押し付けたらダメなんです。


 想いを巡らせていると、ふとあることを思い出しました。


 わたしは腰を上げ、チェストの前に移動して引き出しの一番上を開きます。


「返し忘れてしまいました」


 そこに入っているのは、お母さんが持っていたものとそっくりな手のひらサイズの本。ツバキさまがセイトテチョウと呼んでいたものです。


 実は、わたしは毎日暇を見つけては、こっそりそれを眺めていました。


 寂しさを埋めるようにそれを手に取り、手慣れた手つきで一番後ろのページを開きます。


 そこを見ると、心の内側がポカポカと温かくなるんです。


 そこに記されているのはタカナシツバキという名前。


 そして……その隣には、見覚えのあるちょっとだけ不愛想な表情をした――――の顔が載っています。


「きっとこれがツバキさまの本当のお姿なんですよね?」


 お母さんのセイトテチョウにはお母さんの名前と顔が載っていました。だから、何となくわかります。


 それに、顔は全然似ていませんが、表情がそっくりです。


 ツバキさまはわたしにこのことを話しませんでしたが、わたしは知っていました。


 思わず、その本を強く胸に抱きしめます。抑えていた涙がぽろぽろとこぼれはじめました。


「ツバキさま……大好きです」


 前に、わたしはこの言葉をツバキさまに届けましたが……きっと秘められた想いは伝わっていません。


「大好きです――愛しています」


 先ほどやめてしまった告白をようやく声に出しました。もう、遅すぎですが。


 もし、わたしがこの言葉を告げていたら、ツバキさまはわたしのところに残ってくれましたか? と、思うのは、うぬぼれすぎですよね……


 でも、どうしようもなく想像してしまいます。わたしが引き留めたら、ツバキさまは今もこの家に一緒にいてくれたんじゃないかって……


「いいえ、ダメですよ……そんなのは……」


 目の端に溜まった涙を振り払って否定します。


 ツバキさまには皆さんを助けるという使命があるんです。わがままを言って困らせてはダメです。そう思って、どうにか口に出したい衝動を堪えたんですから。


「そうです! わたしは一人でも構いません……今までも、そうやって生活をしてきたんですっ!」


 そんな風に強がってみせます。だけど、耐えようがなく物寂しくなってしまったわたしは小指を見つめます。


「大丈夫、約束……したんです。ツバキさまは必ずまた会いにきてくれます」


 涙を拭い、窓を開け、想い人に届くように両手を合わせて祈りを捧げます。


 どうか無事でいてください……もう一度『おかえりなさい』と言う日を、わたしはこの場所でずっと待っています。




 ――いつかツバキさまが帰ってくると、わたしは信じています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺を虐めていた奴らと一緒にTS異世界転生 ~最強(自称)のビーチクスキルで好き放題暴れまわる~ ツインテール大好き @twinmale

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ