第43話 あなたなんて大嫌いよ

 意味がわからない。彼が何を語ったのか、すぐには理解できなかった。


 一瞬、クラスが固まった。当たり前だ。あんなあからさまなセクハラを衆人の前で宣言できるなんてどうかしている。


 衝撃的なあいさつの後、彼は私の隣の席に腰かけた。


『城崎さん……高梨くんはまだ教材が届いていないので、届くまでは面倒見てあげて下さい。大変かもしれないけど、城崎さん学級委員長だし……とにかく、よろしくお願いします!』


 先生は肩書きだけの地位になっていた学級委員長という役職をここぞとばかりに活用した。特段やることは無いと伺っていたから立候補したのに、こんなことに使われるとは……。


『城崎さんっておっぱいデカいよな。トップとアンダーの差はどれくらい?』


 隣の席の彼は授業中であっても平然とこんなことを口にする。まともじゃない。おかしい人。異常人格者。


 最初こそ顔は悪くないからと声をかけていた一部のクラスメイトも、数日後には呆れ果てて見向きもしなくなった。


『みっちゃんお願いだ! チラッとでいいからおっぱいの先端を見せてくれないか?』


『え……ええっと……ごめんね。それは難しいよぉ……』


 斜め向かいの席の北条さんは構ってあげているみたいだが、彼女は温厚でおとなしい性格だから拒絶できないだけだろう。内心では嫌がっているに違いない。




 彼の言動は問題が多すぎる。私は先生に抗議した。


 彼を厳正に処分して欲しい。名門、それも去年まで女子高だった場所に彼はふさわしくない……と。


 だけど、先生は、


『高梨くんには私もビックリすることが多いけど年頃の男の子ってみんなあんな風に好奇心旺盛らしいの。クラスのみんなも将来は男の人と一緒にお仕事することになるから、今のうちに慣れてくれると嬉しいな』


 あくまで生徒のためだと主張して彼を擁護した。この私立校の教師は丁重に育てられた世間知らずの箱入り娘がほとんどだ。本気で生徒のためを思っているのだろうが、現状とのズレは否めない。


 あれが普通なわけない。習い事等で接した男性がいかがわしい目で私を見物することはあるが、誰も彼もが気づかれないようオブラートに包んでいる。




 誰かが少し注意しても彼はまったく懲りない。不快な言動を繰り返す彼に痺れを切らした私は、ある日大声で彼を怒鳴った。他人に直接怒りの感情を向けたのは人生で初めてだった。


 すると……その日の放課後、クラスメイトが何人か私の席を訪れた。


『今日はカッコよかったよ城崎さん。私も高梨くんには本当に困っていたの。城崎さんが注意してくれて助かったよ』


 ――他人に感謝されたのは何年ぶりだろう。


 そして、私は彼女たちとしばらく談笑した。内容は主に高梨くんに対する陰口だ。


『わかるー! ほんと下品な男だよねー!』


 その時間はとても――心地よかった。


 私は今まで異界の存在だと思い込んでいたクラスメイトと打ち解けることができた。初めて、『共感』を得ることができた。


 その日から私は高梨くんの蛮行を強く咎め始めた。私が彼をきつく注意するとクラスメイトは感謝してくれた。彼を悪く言うと、みんなが頷いてくれた。


 私は彼を諫めることを通して、コミュニケーションを取っていた。


 調子づいた私は、その行為をだんだんとエスカレートさせていった。口で言っても聞かないからと、殴ったり蹴ったりした。彼が問題行動をするたびに、罰として物を買ってこさせたり、所持物を壊したりした。挙句の果てには、放課後わざわざ彼を教室に呼び出して、私に賛同しているクラスメイトと集団で暴行を加えるまでに至った。




『あのね……椿くんはちょっぴりおかしなことを言ったりするから、怒っちゃうのはわかるんだけど……やり過ぎ、じゃないかなぁ……』


 ある日、北条さんは私に弱々しく反対した。彼女は高梨くんに散々迷惑をかけられているはずなのに、まさか温情をかけるとは思わなかった。その他にも、私をやり過ぎだと非難するクラスメイトが出始めた。


 ……本当は私も気がついていた。いくら高梨くんが変人だとはいえども、暴力に訴えるのは過ちだ。


 学校にバレたら、特別待遇が取り消しになるかもしれない。進学にも影響するだろう。


 それでも、私は悪くないと信じたかった。これは正義の行いだと思い込みたかった。


 だから、リンチが終わった後、彼に強制させたことがある。


 私は必ず高梨くんに。その言葉を聞くと気休め程度だが、少しだけ罪悪感が薄れた。


 もう止まることはできない。私は――もっと他人と仲良くなりたい。わかりあえる友達が欲しい。


 そして私は高梨くんを虐める以外に他人と協調する方法を知らない。


 不協和音しか鳴らない壊れたオルゴールを私は何度も巻き続けた。




 だけど、高梨くんもバカ一辺倒では無かった。物覚えは悪かったが、私が何度も何度も同じことを叱咤すると、次第にその行動はしなくなった。


 だんだんと、彼はまともになりつつあった。私は危機感を覚えた。彼が咎められるような行動をしなければ、虐げることができない――他人と会話する口実がなくなってしまう。


 矛盾している。私は彼を矯正したかったはずなのに、今は彼に悪習を直されては困るなんて。


 私は焦っていた。だから、その日、らしくない愚行を犯してしまった。


 真夏の学校に、ブラジャーを着けずに登校した。上にはYシャツを一枚羽織っているだけ、解放感はあるがやはり恥ずかしい。


 確信していた。彼はブラジャーを着用していない私に気がついて、周りに言いふらすと。


 彼は女性の乳首に異常な関心を持っているから必ず私の胸に注目するはずだ。


 予想は的中し、私は彼に暴行を加える口実を得ることができた。それは塾の講義までに時間がある次の日に決行することにした。


 まさか、次の日メロンパンを食べたかったのに下らない理由できな粉パンを買ってきたのは想定していなかったけれど……




 放課後、私は彼を呼び出し、事前に集めていた二人とリンチを開始した。一人教室に残っている生徒がいたが、彼女は誰かに言いつけたりしない性格だ。彼女は無視することにした。


 殴ったり踏んだりしても、高梨くんは変わらず減らず口を叩く。


 ――本当に嫌い。気持ち悪い。あなたは私に利用されていればいいのよ。


 今日の躾を終え、帰宅しようと鞄に手を伸ばす。


 ……いつまで、こんなことを続けるつもりだろう。隠し通すのだって限度がある。もし、お母さんにバレたら……叱って、くれるかな?




 そうして、教室の出口に歩みだした直後――突発的な浮遊感に襲われて……いつの間にか古めかしい本棚に囲まれていた。

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