第42話 何が悪かったのかしら

 私――城崎麗華は紛れもなく努力家で、天才だった。




 小学生の頃の話だ。


 私は毎日学校が終わると、寄り道せず真っすぐ家に帰った。


『おかえりなさい麗華。さあ、早く始めるわよ』


 家に帰るとお母さんは必ず私を出迎えてくれた。私はランドセルを下ろすと、使い古されたダンボール机に下敷きを置き、学習帳を広げる。


 そして、お母さんは図書館で借りて来てくれた学習教材や問題集を使って勉強を教えてくれる。


 ご飯とお風呂と歯磨きのとき以外、寝るまでずっと勉強をし続ける。普通では無かったのかもしれない。でも、辛いとは思わなかった。なぜなら、私はお母さんのために頑張りたかったからだ。


 家は貧しくて、本当はもっと働かないと満足な生活が送れないのに、お母さんはずっと私の勉強を見てくれている。


 夕食はいつもそれぞれ別のものを食べていた。私はお母さんの手作り料理を食べ、お母さんは職場のスーパーで余った弁当を食べる。


 お母さんは私のために骨身を削って尽くしてくれている。だから、私もその期待に応えたかった。


『いっぱい勉強して、みんなを見返してやろうね!』


 お母さんの口癖だ。


 詳しいことは教えてくれなかったが、どうやら私のお父さんは性犯罪で捕まってしまったらしい。お母さんはその知らせを聞いてすぐに離婚を決意し、私を引き取った。


 けれど、その事件のせいで私とお母さんは犯罪者の家族として周囲から疎まれていた。


 学校で遊んでくれた子に、『ママが麗華ちゃんと遊んじゃダメって言うから、もう一緒には遊べない』と告げられるのはよくあることだった。


 それでも構わなかった。私にはお母さんがついている。お母さんは私に付きっ切りで勉強を教えてくれる。


 私はそんな時間が大好きで、いつも一緒にいてくれるお母さんが大好きだった。だから、たくさん勉強をした。


 毎日毎日、一度も飽きることなく勉強を続けた。


 そして、私はお母さんの期待通り――いや、それを遥かに超える成績をたたき出した。




    ◇    ◇




 中学生になった。私はお母さんが勧めた私立中高一貫の女子校の特待生として入学した。


 特待生試験を合格するのは、難しくなかった。私は小学4年生の時点で、既にその試験に合格できる学力を持っていた。


 合格が通知された日、お母さんはたいそう喜んでくれた。張り切って、人生で初めて寿司屋に連れて行ってくれた。100円の皿以外はとっちゃダメと言われたけれど……どれも美味しかった。その味は今も覚えている。


 難関中学合格の知らせを聞いた親戚はお母さんに対する態度を改め、定期的に本家に顔を見せることを許可した。お母さんは『誰が今さら顔を出すもんですか』と口にしていたが、その表情は頬を緩めて嬉しそうにしていた。


 何もかもが上手くいっていた。その時はそう思っていた。




 私が中学に入学してしばらくたった頃、お母さんが家にいる時間は以前より少なくなっていた。


『ごめんね。お母さん、今日はお友達とディナーの約束があるの』


 同級生の母親何名かと食事に行く機会が増えていた。母親同士の付き合いは、私たちの社会的ステータスをあげる上で大切だから仕方がない。お母さんは私のために頑張ってくれている。


 私は自分で料理をし、夕飯を食べ、自室に籠って勉強をしていた。私もお母さんに貢献しなければいけない。そのときは、優秀であり続けることだけが私の目標だった。もちろん、私にとっては容易いことだったのだけれど。




 それから更に時間がたって、私自身も家にいる時間が少なくなった。


 塾に通い始めた。その塾にも特待生制度があり、成績優秀かつ指定大学への進学を目指していれば格安で授業を受けることができた。


 他の習い事も始めた。ピアノにバレエに水泳、その他さまざまだ。お金はお母さんが無理を言って親戚に負担してもらっていた。どうやら、友達付き合いには娘に習い事をさせるステータスも必要らしい。私は、それらもそつなくこなした。新しいことを覚えるのは好きだったし、幸い運動神経も悪くなかった。


 私は何でもできた――ただ一点を除いて。


『ねぇねぇ! 昨日のNステ見た? マッツー超イケメンだったよね』


『わかるわかる! めっちゃダンスうまいし! 歌もカッコいいし!』


『次の土曜のオケにマッツー似の人来ないかな~』


『ないない! あの学校にあんなイケメンいたらとっくに噂になってるって!』


 放課後の教室、楽しそうに談笑し帰宅する同級生。私は一人で帰る準備をし、塾に向かう。


 ――友達がいない。私にとって大きな悩みだ。


 小学生の時は家庭の事情もあって親しい友人ができなかった。


 今、その問題は解決しつつある。私の成績とお母さんの外交が実を結んで、犯罪者の娘というレッテルは薄くなっていた。


 それでもなお、私に友達はできなかった。


 一番の原因は、周囲と趣味が合わないこと。みんなが楽しそうに語るテレビ番組を私は見ていない。ゲームなんてもってのほかだ。第一、お母さんがそれを許さない。


『麗華はあんな俗物に触れちゃダメよ。頭が悪くなっちゃうわ』


 そうは言われても、興味があった。一度だけ、お母さんが家にいないときにこっそりバラエティ番組を見たことがある。


 大味にキャラ付けされた芸人。顔は整っているが、つまらない愛想笑いを続けるアイドル。彼ら彼女らがゲラゲラと笑いながら、最初からリアクションが決まっているかのように番組が進行している。


 とても――面白いとは思えなかった。私はリモコンでテレビの電源を消し、自ら視聴をやめた。まるでついていける気がしない。


 もちろん、私にも趣味はある。ミステリー小説を読むのが好きだ。一日の勉強が終わると、小説を読むのが日課になっていた。


 江戸川乱歩、S・S・ヴァン・ダイン、キャロライン・ウェルズ……


 文章中に散りばめられた数々の謎に私は胸をときめかせた。


 それ以外にもクラシックとチェスを嗜んでいる。けれど、周りの同年代の少女たちとは恐ろしいほど価値観が合わなかった。


 同級生は私を疎むか敬うかの両極だ。仲良くしてくれる人も、気が合う人も見つからない。


 でも、いつかきっと友達になってくれる人が現れるはずだ。お母さんが構ってくれなくなった寂しさを埋めるように、そう希望を持って日々を過ごしていた。




   ◇    ◇




 私は高校生2年になった。


 お金の問題は解決した。お母さんがサークルで出会った男に援助してもらっているからだ。


 お母さんはいつも家を空けている。たまに帰ってきたと思ったら、私に一言声をかけると、またすぐに何処かに出かける。


『お母さんこれから約束があるから。麗華はいつも通りお願いね』


 お母さんは充実した笑顔を見せつけながら告げる。毎日忙しそうに遊びまわって、そのお金は全部愛人関係の男に払って貰っている。


 もう、私に興味を持ってくれることは無くなった。


 私は毎日詰め込まれている習い事を終わらせた後、誰もいないマンションに帰宅し、一人で夕飯を作って食べる。朝起きて、学校に行く間もずっと一人だ。


 そして、学校に行っても私は孤独だ。


 これまでの人生で友達は一人もできなかった。


 私は既に諦観の境地にたどり着いていた。


 私と他人は根底から違っている。知能も、興味の対象も、考え方も……何もかもが異なっている。


 たまに同級生と会話をすると、つい下らないとか馬鹿馬鹿しいとか思ってしまう。他人と関わる中で『共感』を覚えたことなど一度もない。まるで私だけが別世界からやってきたかのような錯覚さえする。


「……何が悪かったのかしら」


 努力をした。才能もあった。ずっと正しいことだけをしてきた。 


 なのに、大好きだったお母さんとは疎遠になってしまった。学校でも塾でも習い事でも、友達は一人もいない。


 天涯孤独。私の毎日には希薄な人間関係だけしか存在しない。


 どうして私はこんなに努力をしているのに、上手くいかないのだろうか。いっそのこと才能なんて無ければ、もっと愉快な日常が送れたのではないだろうか。


 悲観を通り越して、苛立ちの感情が芽生え始めていた。


 そんなときだった。彼と出会ったのは。

 



『さっそくですが、俺にはこのクラスでどうしても叶えたい夢があります。それは――このクラスのみんな全員の乳首を見て、ついでに吸うことです!』

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