第33話 そんなわけないじゃないか
俺はそのまま老婆を背負い、【ちくBダッシュ】でアルージュの町を飛び出した。
「驚いたわ。お嬢ちゃんは勇者さまだったのね」
「まあな」
超速でアルージュの南の町――エステリナに向かっている。
今日は調子が『絶好調』だからだろう、いつもより数段速く駆けている。
「このままじゃ駄目よ。崖に到達しちゃうわ」
「問題ない」
そして、すぐさま崖に差し掛かった。
その崖は美しく思えるほどはっきりと高低が分かたれている。
崖下を覗くと、ここから少し離れたところに、いくつも建物が並んでいるのが伺える。
「あれがばあさんの言っていた町だな」
「ええそうよ。とにかく迂回しないと……」
「なあ、ばあさん、少しだけ目をつぶっていてくれるか?」
「えっ? お嬢ちゃんまさか……」
「大丈夫だ。俺は勇者なんだぞ。だから、俺を信じろ!」
老婆は覚悟を決めたように固く目を閉じた。
そして、俺は右乳首を短くタップし、崖を飛び降りた。
◇ ◇
「お嬢ちゃんありがとうね……。おかげで息子の舞台を見ることができたわ」
そろそろ終幕だと思い劇場の出入り口で待っていたら、目を赤くした老婆が出てきて俺に感謝した。
その隣には、綺麗な身なりのおっさんが同じく目を赤くして並んでいた。
「すぐに町を発つ予定を変えて、今日は母と過ごそうと思います。勇者さま、母を連れてきてくださり本当にありがとうございました」
どうやら俺が町をぶらぶらしている間に感動的なシーンがあったらしい。
「まあ会えて良かったな。それで、ばあさんに話があるんだけど……」
唐突な展開を挟んだが、俺の本来の目的を果たそう。
この老婆はエルの知り合いだ。だったら俺が知りたい過去の出来事について教えてくれるかもしれない。
「エルを知っているよな。彼女の父親と、えーと……アルージュの町の領主との間に何があったのか知っているか?」
老婆は逡巡し、一呼吸おいてから答える。
「……ごめんなさいね。それをお嬢ちゃんにお話しすることはできないわ……」
ずいぶんとすまなそうに詫びた。
またしても断られてしまったか……。誰にも話せないほどのタブーなのか? 名前を呼ぶことすら憚られる例のあの人みたいなものか?
「いや、無理ならそれで構わない」
少なくとも、簡単に話せる内容ではないことが分かった。
元々世間話程度で済ませるつもりだったんだ。十分な収穫だろう。
「俺はそろそろ帰るとするよ。それじゃあ、元気でな」
二人が俺に頭を下げたのを見届けた後、俺はアルージュへの帰路についた。
◇ ◇
「すっかり遅くなってしまった」
急いでアルージュに戻り、夕飯の食材を買い集めていた。
早く戻らないと暗くなってしまう。相棒が道を覚えているから暗くても迷うことはないが、ダッシュはできなくなる。
「よし、これで全部そろったな」
エルに頼まれていた買い物を終えて、山道までの街頭を闊歩する。
そして――
「う、うわあああああああああああああああーーッ!」
突然、男の叫び声が付近で響いた。
俺は『今日は良くトラブルに巻き込まれる日だなー』とか軽い気持ちで、そちらに近づいた。
どうやら声の主は酒場の前で腰を抜かしているようだ。足元には灯りが消えたランタンが転がっている。
俺は一番近くにいたので、他の町民よりも一足先にそこにたどり着いた。
「おい、どうしたんだ?」
「か、か……ちゅ……あ、あの……出……て……」
男は震えながら途切れ途切れの言葉を告げ、酒場の中を指さす。
開いている扉の先は灯りが無く、暗闇に閉ざされていた。
不自然だ。夜こそが酒場の繁盛期。この時間に閉めているなんて。
足を一歩踏み入れると――ぴちゃりと液体が跳ねた音が無音の室内に反響する。少し遅れて、錆び付いた臭いが鼻を刺した。
………………まさか……な……。
嫌な予感がする。恐ろしいことが起こっている気配を察した。
後続の町民が光源を手にして、扉に近寄る。
漏れた光が足元を照らし始める。
――赤だ。
足元が真っ赤に染まっている。赤く塗りつぶされた床は、染まる前の色が視認できないほどだ。
思わず右手に下げていた袋を落とした。ポチャッ、と沈む音がした。
――怖い、引き返したい。でも……そうだとしたら、見て見ぬふりは出来ない。
俺は背後から光源を受け取り、室内を照らした。
――眼前に広がっていたのは、悪い意味で予想通りの光景だった。
血だ、血にまみれている、大量の血が今も溢れ続けている。
――人型が至る所に伏している。それらは微動だにしない。
「おいッ! 大丈夫かッ!」
俺は吐き気を堪えながら、明らかに死んでいる遺体を除いて声をかけ始める。
出口に頭を向けてうつぶせに倒れている男は――首の後ろを斬られ、かろうじて繋がっている状態だった。
テーブルの椅子から転げ落ちている男は――心臓部からの出血が激しい。
その向かい側の席で頭を垂れる女は――首の動脈から鮮血を撒き散らしている。
「だ、誰かッ! 無事な奴はいないのかッ!」
震える声を振り絞って叫ぶ。この場の者は皆、誰も彼もが即死していた。
まだ確認していないのは奥のカウンターに座っている二人、俺は諦めずに近寄り声をかける。
「お前ら、聞こえ――――」
…………そんな……馬鹿な。
俺は、この凄惨な現場を目撃した時以上の衝撃を受けた。
あいつらがここで死んでいる、その事実が俺を泥沼に引き込んだ。
――嫌だ。思い出したくない。今朝の言葉を、仮定の話を……。
でも、もしあの仮定が本当だったとしたら……。
邪推が、止まらない。
俺は表情を歪めて、血まみれの両手で顔を覆う。
「そんなわけ……ない、じゃないか」
カウンターに転がっている二人は……。
緑色の髪で……それを、真っすぐに切りそろえた親子。
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