第34話 俺は……小心者だ

 光が消えかけている坂道を全力で駆け抜ける。


「ハァ、ハァ……――――ぐッ!」


 距離を読み違えて大樹に衝突した。額からダラダラと血が流れ落ちる。


「クソッ……! 相棒……次は?」


『右に40度、距離約50メートルです。ですが、これ以上は――』


「いいから続けるぞ」


 1メートル先がどうにか見える視界の中、山道をダッシュで進む。木にぶつかろうが、足を滑らせようが構わない。


 一秒でも早くエルの元に辿り着くんだ。


 そして――確かめる。エルはずっと家にいたという事実を。


 俺が速攻で帰って、エルの姿を確認すればアリバイ成立。エルは無実だ。


 もちろん、そうなると信じている。ドアを開けたら『おかえりなさい!』ってエルが出迎えてくれるんだって。


 早く、早く、すぐにでもエルに会いたい。そうすれば……俺は頭に染みついて離れない最悪のシナリオから解放されるんだ。


 あれを見てしまったときから、ずっと動悸が収まらない。絶対にありえない想像に心が押しつぶされそうだ。


 急いでダッシュしたら木の根に足を引っ掛けて転んだ。ゴロゴロと数メートル転がり、岩に背中を強打して止まる。


 走るたびに新しい傷が増え、体がボロボロになっていく。


 でも、こんなものは痛くもなんともない。今感じている心苦しさに比べたらゴミみたいなものだ。


 そして、何より耐えられないのは、自分の不甲斐なさ。散々エルを信じると言っていた癖に、結局肝心な場面で信じ切れていない。


「俺は……本当に小心者だな」


 再び左乳首を押して、先が見えない暗黒を駆け抜ける。




    ◇    ◇




 ふらふらしながら小屋に到達した。カーテンが閉められているため、外からは光が見えない。


 …………今朝帰ってきたときを遥かに凌ぐプレッシャーだ。ドアをノックするのが恐ろしい。


 この一瞬で運命が決まってしまうかのような錯覚に陥る。


「頼む……出てくれよ……」


 ガクガクと震える腕でコン、コンとノックをする。


 ……………………


 …………………………


 ………………………………なんで?


 どうして、出ないんだ……?


 この扉には鍵がない。俺は取っ手を引いて、開ける。


 中は――外と同じだった。


 地続きの闇。灯りがついていない。


「エル……いないのか……?」


 手探りで、決められた場所に置いてある火打石と火打ち金を手に取った。


 あとは暖炉に火を入れるだけ。


 だが、酒場で体験したことを思い浮かべてしまう。明るくなった瞬間に現れ出た数々の死体……。


 瞬時に、さっきとは別ベクトルで、ありもしない妄想を想い浮かべる。この暗闇の先が考えたくもない光景になっているんじゃないか……と。


 思考がぐちゃぐちゃだ。俺が安心したいのか、エルに無事でいて欲しいのか、訳が分からない。


 狂いそうなほどの緊張を背負いながら、俺は灯りをともした。


 部屋は――――変わらず質素だった。


 ホッと安心した直後、心を休ませる暇なく再び疑心暗鬼に陥る。


「なぜ、この時間にエルがいないんだ……」


 外は既に真っ暗で何も見えない。この状況で外出する用事があるとすれば――


「温泉か!」


 俺はランタンを手にして部屋を飛び出そうとしたが……


「無いじゃないか……」


 でもそれは、エルが持っているとすれば当然のことだ。


 暗闇を照らす道具が無いのは不便だが……安心した。ランタンを持って町に繰り出すとは思えない。つまりエルが家の近くに外出している証拠である。この時間なら間違いなく温泉にいる。


 なら、ゆっくり待とう。そのうち帰ってくるはずだ。




    ◇    ◇




 あれから、一時間近く経過した。


 エルは、まだ戻ってきていない。


 ……おかしい、絶対におかしいぞ。だってエルは風呂から上がるのが早い方だ。数分浸かったら暑そうにしながら上がって、名残惜しそうに家に戻るんだ。

 

 どうして戻ってこないのか。まさか、トラブルに巻き込まれているのではないか。あるいはあの事件に……


「……そんなわけがない。落ち着いて、冷静に考えればわかることだろ」


 住み慣れた家に戻ってきたおかげで俺は平常心を取り戻した。


 それまでは酒場で血生臭い惨劇を見てしまった衝動でパニックになっていた。


 エルは俺と同じく暴力が嫌いだと言っていた。そのエルが、あのおかっぱ頭といえども殺すなんて思えない。


 何より、酒場ではおかっぱ頭以外も全員殺されてしまっていたのだ。


 昨日商売を禁止にされたおかっぱ頭に恨みがあったとしても、他の人に手を出す理由がない。だからエルが犯人である訳がなかった。ちょっと考察すればわかることだったな。


 しかし、エルが帰ってこないのは心配だ。少し無茶してでも外の様子を見に行ってみるか。


 椅子から立ち上がり、ドアに向かって歩む。

 

 だが、その途中……ひとりでに扉が開き始めた。


 ――どうやら、エルが帰ってきたみたいだな。


 俺のその予想は、当たっていた。


 扉の向こうから顔を見せたのは家主のエルだった。


 しかし、


「――――ッ!」


 俺は、息を詰まらせた。最悪な妄想は現実だったようだ。




 エルは片手に鋭いナイフを持ち、その服は真っ赤に汚れていた。

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