第32話 俺が連れてってやるよ!
俺は急いで山を登り、エルの家に向かう。
今日の魔力は初めての『絶好調』。ダッシュを続けても魔力を切らさずに余裕で帰宅可能だ。
「城崎の説明は納得できたけど、それでもエルが心配だ」
数十分高速移動を続けると、エルが住んでいる小屋が見えた。
俺はドアの前に立つ。
…………家の中を確認するのが、少し怖い。大丈夫だとは思うが……万が一を考えてしまう。
ここで固まっていても意味がないな。意を決してノックをした。
すると――ゆっくりと扉が開かれて……
「ツバキさまおかえりなさい! 今日もお早いおかえりですね!」
扉の先からエルが現れ、俺の姿を確認すると温かく迎えてくれた。
「ああ――ただいま!」
俺はホッと一息ついて、中に入る。
良かった。エルは無事だった。
先ほどまで不安でいっぱいだった俺の胸中だったが、エルを顔を見た途端に安堵が広がった。
◇ ◇
帰宅したあと、俺はすぐに寝た。現代っ子にとって早起きはとても辛い。それに朝からあんな頭が痛くなる話を城崎に聞かされて脳が疲れた。
昼飯時に起床して、寝ぼけ眼を擦りながら食事をとった。野菜を煮込んだスープの素朴な味わいが寝起きの身体に染み渡った。
今は食後のコーヒーを飲みながら、丸太の椅子に座ってのんびりしている。エルは何かやることがあるらしく、家の外に出ていた。
「ああは言ったけど……どうしようかな」
城崎はエルが、彼女の父親とおかっぱ頭の間にどんな確執があったのかを語ることはないと言っていた。
でも俺はそうは思わない。エルは俺に心を開いてくれているから、きっとそれについて話してくれるはずだ。
そう思って俺は城崎に、エルの過去について訊くと宣言した。
けれど、実際に訊くとなるとたじろいでしまう。出会った直後よりはお互いを知り、仲良くなれたが、やっぱり過去を探るのは良くないんじゃないか……と。
それでも、城崎はエルがやましいことでも抱えているのではないかと疑っているんだ。俺はエルの無実を証明したい。その疑いを晴らすために確認するのは正しい行為のはずだ。
俺があれこれ考えながら、ぼーっとしていると、ふいにライトグリーンが視界をよぎった。
「悩み事ですか?」
「……うおッ!」
突然、エルの端正な顔が目の先に現れた。ちょっと前に屈んだら唇が触れ合ってしまうほどの近さだった。
「ご、ごめんなさい! 驚かせるつもりはなかったんです!」
「いや……考え込んでいて気がつかなかった俺が悪い」
いつの間にかエルは家に戻っていたようだ。
「ツバキさまは何を考えていたんですか?」
エルはその内容に興味があるようで俺に尋ねる。
訊くなら、今がタイミングいいよな。
俺は恐る恐るエルに問い掛ける。
「昨日の広場での出来事を思い返していたんだ。それで……その……少し気になったんだ。エルの父親とあのおかっぱ頭の男との間に何があったんだろうって……」
な、なんとか訊いたぞ……。いったい、エルはどんな反応をするんだ?
「そのことですか……。昔お父さんとアントーレさまは対立していたらしく、それをアントーレさまは今も恨んでいるようなんです」
エルは少し言いにくそうにしながらも、ちゃんと返答してくれた。
ほら見ろ、話してくれるじゃないか。心配して損したな。
もう少し詳しく知りたいので、もう一歩だけ踏み込んでみることにした。
「それで、何が原因で対立していたんだ?」
だが――
「…………申し訳ございません。ツバキさまにその内容をお話しすることはできません……」
エルは、心苦しそうに断った。
「………………そう、か。ま、まあ、誰にでも話したくないことはあるよな! 気にしないでくれよ!」
何とか言葉を絞り出してエルに送ったものの……俺は、頭がクラクラするような衝撃を受けていた。
誰にだって隠し事があるし、それが悪いことだとは思わない。隠している内容が必ずしも後ろめたいものであるとも思っていない。これは確かだ。
でも、今朝城崎が宣告した通りにエルが過去を語らなかったことについては……動揺を隠せなかった。
そんなの、たまたまだろ! エルにだって言えないことくらいあるさ!
「本当に……ごめんなさい。でも、話すことができないんです……」
エルは心の底から俺に謝罪しているようにしか見えない。いつも通りの健気で俺を慕ってくれているエルの姿がそこにある。
「いいんだ。別にちょっと気になっただけなんだ。謝ることじゃない」
そう口にしたが――どうしても、城崎の忠告が頭の中で反芻される。
『私はエルさんを信用しすぎないほうがいいと思うわ。彼女には何か大きな隠し事があるはずよ』
◇ ◇
日本でいうところのおやつの時間。俺は再び町に戻っていた。
エルには『今日は魔力の調子がいいからどれだけスキルを使えるか試したいんだ。ついでに夕飯の食材を買って帰る』と言って出かけた。
だけど……実際の目的は違う。
例の過去について調べたかったからだ。
エルを一人家に残すのは、まだ少し不安だったが……エルは心配はいらない、という件に関しては城崎の推測を信じてみようと思った。今まで襲撃されなかったから多分大丈夫という点だけは納得ができる。
過去について訊いた後、エルに追加で
情けないチキン野郎だな、俺は。
――俺はエルを信じている、それは今も変わらない。でもやっぱり過去を語ってくれなかった理由がどうしても気になった。口にするのをためらってしまうほど、凄惨な過去だったりするのだろうか。
別に、俺は今からエルに関して入念な捜査を開始するわけではない。ただ、エルを知ってそうな人と世間話をするだけ。軽い雑談だ。
「と言っても、誰に声をかけたらいいんだろうか?」
誰か見かけたことがある人物がいないか眺めまわしながら、俺は石畳を歩いていた。
アルージュの町には、山から流れてくる大きな川が横断しており、川上には石造アーチ橋が架けられている。
4車線は設置できそうな幅広の橋を渡っていると、コツコツ、コツコツとせわしなく杖を響かせて移動している老婆がいた。
かなり焦っているようで、前のめりになりながら、おぼつかない足取りをしている。
あのままだと転んでしまいそうだな……。心配になって近寄ると案の定杖を滑らせて体勢を崩した。俺は、倒れそうになる身体を腕を伸ばして支えた。
せっかちなばあさんだ。
落とした杖を拾って渡し、同時に顔を覗くと、
「ん? このばあさんはたしか……」
見覚えがある老婆だった。エルにミルク販売できないか尋ねた客だ。
「どうもありがとうね。ゆっくりお礼がしたいところだけど、今とても急いでいるのよ。ごめんなさいね」
「そんなに急いでいるのか? なら俺がおぶって連れてってやるよ」
「ありがたいお話ね……。でも、お嬢ちゃんに頼っても、もう間に合わないかもしれないわ……」
「そんなに遠いのか?」
「この町の南にある<エステリナ>まで行きたいのよ」
エステリナ――知らない単語だが、たぶん町の名前だろう。
それよりも、
「別の町まで行こうとしていたのか!? 何のために?」
「私のね……。ずっと昔、家を出て行った息子が、エステリナに来て演劇をしていると耳にしたのよ。もうすぐ最後の舞台が始まるらしいのだけど、どうしてもそれを見たくて……」
急に映画みたいなシチュエーションに遭遇したな。
「エステリナまでは馬車に乗せてもらうつもりではいたけど、おそらく終幕までに間に合わないわ……。あの崖さえなければねぇ……」
これは天啓だな。俺が今からどうすればいいか既に筋書きが決まっている。
俺は、渡された脚本に遠慮せず従うことにした。
手始めに――迷うことなく、その場で上着と最近買ったブラを脱ぎ捨てた。
周囲の町民はギョッとして俺に視線を集める。
橋を歩いていた青年は、熱烈な視線で俺の上半身を凝視している。買い物帰りのお母さんは「ミーくんにはまだ早いわ!」と言って息子の目を覆う。
「ちょ、ちょっと! お嬢ちゃん、いったい何をしているの!?」
さっきまで息子のことで頭がいっぱいだった老婆も驚きを隠せないようだ。
俺はむき出しの胸を張って、堂々と宣言する。
「安心しろ! 俺が開演までに間に合わせてやるよ!」
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