第27話 穏やかな日常は続いていく

 城崎たちと別れてエルと家までの道を歩いていた。


 あんなことがあった直後だから、お互い口数が少ない。


 俺は、エルに謝らないといけない。


 広場でおかっぱ頭の親子に絡まれ、罵声を浴びせられていたエル。俺はあまりにもひどい言葉をエルに投げつける親子に対して、居ても立ってもいられなくなり渦中に飛び込んだ。


 そういうとき、物語の主人公であればカッコよく悪者を退治して、みんなに『よくやった』と賞賛される場面だろう。


 でも……おかっぱ頭たちにさんざん挑発されても俺は戦う意思を見せなかった。


 暴力が嫌いだ。その信念が間違いなく俺の心に宿っているからだ。


 だが、それをエルはどう思ったんだろう。きっと、俺がムカつく親子をぶっ飛ばして救ってくれることを期待していたのではないだろうか。だとしたら、口先だけで何も行動を起こさなかった俺は期待外れだったに違いない。


 エルの期待を裏切ることはしないと誓ったはずなのに、俺は自分勝手な理由で彼女の期待を裏切った。


「エル……すまなかったな。俺はあいつらを追い払えなかった。俺は勇者なのにエルを助けることができなかった。失望しただろ……」


 精一杯の気持ちを込めた謝罪。エルに届いてくれるといいが……。


 それを聞いたエルは……


「ふふっ、ツバキさまはわたしに謝ってばかりですね。でも、謝る必要なんて無いんですよ。わたしは嬉しい気持ちでいっぱいです。今日のこともツバキさまに感謝しています」


 顔をほころばせて微笑を浮かべ、お礼の言葉を返した。


「感謝って……俺は何もできなかったぞ?」


「ツバキさまはわたしのために声を上げてくれました。わたしにはそれだけで十分ですよ。それに……改めて思いました。ツバキさまはとても優しくてカッコいいと」


「俺のどこが優しくてカッコいいんだよ……」


「ツバキさまは暴力が嫌いだと言いました。実は、わたしもその考えに大賛成なんです!」


 エルは嬉しそうに続きを語る。


「わたしのお父さんはすっごく強い力を持っていました。町の人の依頼を受けて、一人で大型のモンスターを倒してしまうことが何回もあったほどです。それでも、お父さんはその力を自分のために振るうことだけは絶対にしませんでした。『本当の強さとは喧嘩が強いことではない。どんなときでも他人のことを思いやることができる優しさ。それが真の強さなのだ』と何度も聞かされました。それを聞いた当時のわたしは少し恥ずかしい言葉だと思っていました。けれど……わたしは今、それを実感しています」


 俺に視線を戻し、目を細めるエル。


「ツバキさまはお父さんみたいに、とても親しみやすいです。今まではどうしてそう感じるのか不思議でしたが、今日はっきりわかりました。ツバキさまはとっても思いやりがあって優しい人なんです。アントーレさまに悪口を言われた時、ツバキさまは彼の気持ちを思いやって暴力を振るいませんでした。今だって、その行動がわたしを傷つけたのではないかと疑って謝ってくれました。ツバキさまはいつも他人に気を配ってばかりです。でも、そういう思いやりに溢れた優しいところがわたしは大好きですよ」


 エルはニコニコと微笑みながら、それを口にした。俺は照れくさくなって顔を背けてしまった。


 …………優しいなんて言われたのは初めてだ。俺はいつも頭がおかしい変人として扱われていたからな。


 ――それに、今、エルが俺のこと大好きって…………。


 わかっている。俺は今女だから、それが友好を意味する言葉であると。でも、ついニヤけてしまうのは仕方ないだろう? 女の子にその言葉を告げられて嬉しくならないやつはいないんだ。


「ありがとう。俺もエルのことが大好きだ」


 感謝の気持ちを込めて俺もお返しする。でも、これはエルが俺に送った言葉と意味が違う。


 エルは俺の命を救ってくれた恩人で、いつも笑顔で温かい言葉をかけてくれる。外見もすごくかわいい。


 そして、なにより嬉しかったことがある。それは俺を認めてくれたことだ。


 道端で倒れていた俺を運んでくれた時も、赤髪と揉めてみっともない姿を見せたときも、そして今も……。


 俺に向き合って話を聞いてくれた。俺が自信を無くしているときは優しく励ましてくれた。エルはいつでも――俺のことを信じてくれた。


 俺は正直に言うと……彼女に惚れてしまっているんだ。神のゲームのことなんか忘れてずっと傍にいたいと思ってしまうくらい、彼女の虜になっている。


 でも、そんなのはおこがましいことだ。俺はエルに大切なことを告げていない。


 エルは……俺を女だと思っているんだ。


 だから、つい考えてしまう。もし俺が前の世界で男だったと話したら、今までのように接してくれるだろうか? そんな重要なことを隠して一緒に生活していた俺を……嫌いになってしまうのではないか、と。


 俺の言葉――その内に秘めた想いは彼女に届かないだろう。それでも構わない。一方的すぎる気持ちを押し付ける気はないのだから。


 エルは俺の言葉を受け取ると、頬を上気させ喜びの表情を浮かべた。


「……な、なんだか照れちゃいますね。ツバキさま、これからも一緒に居てくれますか?」


「もちろんだ。だって俺には他に帰る場所がないからな」


 ストレートに返すのは少し恥ずかしかったので言い訳をしてしまった。


 エルと二人並んで歩いている。夕暮れ時の山道に二つの長い影が伸びている。


 問題は山積みだ。


 俺はこのゲームで何をすればいいかまったく掴めていない。城崎以外の地球人がどうしているか心配だが、俺は生活基盤を築けていないし探すための移動費も持っていない。【スイッチング】能力が使えるようになったのが唯一の進歩だ。


 そして、エルが心配だ。おかっぱの親子に恨まれているエルは商売を禁止されてしまった。一応、城崎が解決策を考えてくれたが、これから先も嫌がらせが続くだろう。この問題もいつか解消しなければならない。


 もう一つ問題がある。それは――エルに俺が男だったと告げていないことだ。


 最初は女として認識してくれるから着替えを覗けるしお風呂も一緒に入れてラッキー! とか思っていた。


 でも今は違う。いや、着替えは覗いてるし、お風呂にも一緒に入ってるけど……。裸を見るのに耐性がついて最近鼻血が出なくなったくらいだけど……。


 そうじゃなくて心が変わったんだ。騙し続けることに罪悪感を覚えたのもある。だが、それ以上に凄く自分勝手でわがままな話だが……俺のことを異性として見て欲しい。そんな感情が湧いてきたんだ。


 嫌われてしまうかもしれない。それでもいつか……話さなければならない時が来るだろう。


 どれもこれも厄介な問題ばかりだ。ひとまず、エルと一緒に家に帰って、夕飯を食べて、お風呂に入って、ベッドで寝よう。これまで通りスローライフを楽しみながら、少しずつ問題を解決すればいい。俺の異世界生活はまだ始まったばかり。そしてこれからも穏やかで、ときどき騒がしい日々は続いていく。




 ――きっと、この日が最後だったんだ。スローライフは終わりを迎える。


 明日発生する事件が俺の異世界生活の本当の始まりだ。

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