第18話 俺が下り最速だ
草木が生い茂る林を一気に駆け抜ける。肩にはずっしりとした革の鞄がかけられていた。
俺が初めてスキルを使用してから既に3日が過ぎた。
あの日は痛い目にあった。発射された砲弾のように巨木に向かって飛び込んだ俺であったが、運よく葉に突っ込み全身切り傷だらけになりながらも衝撃が緩和され無事に生還することができた。普通の感覚なら死ぬ速度でぶつかったが、職業補正のおかげで身体が強化されていたので大事に至らないで済んだようだ。
全裸血まみれで家に帰ったときのエルの驚愕ぶりは記憶に新しい。……まさか泣くとは思わなかった……。本当に心配をかけてばかりだ。
俺は腰にエルのお古の上着を巻きつけ、下半身は動きやすい短めのスカートを履いている。毎日学生服を着るわけにはいかないからな。
上半身は裸だ。ビーチクスキルの能力【スイッチング】を使い、林の中を移動している。目的地はアルージュの町。
俺は常識外の速度で地上を走行している。左乳首を押したときの加速を俺は【ちくBダッシュ】と名付けた。いいセンスだろう?
検証してわかったことだが、このダッシュは俺の足の動きが速くなるわけではない。加速する前と同じ足運びのサイクルで、乳首を押すと移動速度だけが急激に向上する。傍から見たら意味わからない動きをしているだろうな。
移動方向に樹木が密集しているのを視認した。このままの速度では、また木に衝突してしまうな。
左乳首から指を離す、すると一瞬で元の速度に戻る。ブレーキの制動距離は0メートル、安全運転にもってこいだ。ただし、足が地面についている場合に限るが……。足が地面から離れていると加速も減速もできなくなるのが最大の欠点だ。
通常速度で密集地を抜け、再びダッシュする。だが、またしても障害が立ちはだかる。
『あと5秒後に崖に到達します』
町までのナビゲートは相棒任せだ。一度通った道であれば相棒が記憶してくれる。
俺が今走っているルートは普段エルが通っている道ではない。エルが通い続けているのは崖や急な坂道を避けた安全でなだらかな道だ。崖はそもそも通れないし、日常的に急な坂道を通るのはリスクが大きい。
けれど、安全なルートは町まで遠回りになってしまう。なだらかな道だけを選ぶと自然と山を一周して距離を稼ぐ道筋にせざるを得ない。
このルートはそれとは違う。エルの家から、東にある町に向かって一直線の道筋だ。ただし、このルートを通る場合、急斜面を突っ切る必要が出てくる。
相棒のナビどおり、崖が見えた。ダッシュを解除し立ち止まる。崖下まで数十メートルはある崖だ。迂回路は見当たらない。普通に考えれば行き止まりだ。
――だが、これは昨日既に通ったルートだ。何の問題もない。
俺は右乳首をポンと軽く押して小ジャンプをした。右乳首を押したときのジャンプは乳首を押す時間が長いと高くなる。最大で身長の4倍くらいだ。
ちなみにこのジャンプの名前は【Aジャンプ】だ。一日中ネーミングを考えたが、いいアイデアが思い浮かばなかったから仕方ない。
小ジャンプをした俺はそのまま崖下に飛び降りた。重力の影響でだんだん落下速度が増す。自殺行為に見えるだろう。
――しかし、このジャンプにも異常な特徴がある。
まず、予備動作無しで浮き上がる。足を曲げたりする必要はない、立ったまま上昇する。
そして、体勢が変わらない。このジャンプは頭が上、足が下の状態をキープし続ける。水平方向に凄いスピードで移動していてもお構いなしに一定の体勢を保てるのだ。
重要なのは次だ。
地面が目前に迫っている。俺はどうすることもできず、致死量の位置エネルギーを身に纏い、そのまま墜落した。
――と、思えたが…………実際は無音で地面に降り立った。
そう、落下時の衝撃が一切ない。これがこのジャンプの最たる特徴だ。無事に降りれる高さの上限があるかはわからないが、100メートルくらいであればノーダメージだ。
あくまで地面に落ちる垂直方向の力だけであって、ダッシュ時の水平方向の力は無視できなかったが……。
これら効果の説明は相棒がしてくれた。
俺は移動を再開する。平地はダッシュで駆け抜け、高低差がある場所はジャンプで切り抜ける。
あっという間に町が見えた。【スイッチング】によるパルクールで最短距離を高速で移動可能となった。
「タイムは?」
『21分14秒です。昨日より17分46秒早くなりました』
昨日はコースの下見を兼ねていたからな。毎日繰り返せばもっと速く着くはずだ。
普通は3時間以上かかる山道を数十分で下った。下り最速の称号はいただきだ。
俺は腰に巻いていた上着を着て、町に向かって駆け出す。さすがに乳首丸出しで町中を闊歩するのはキツイ。主に視線が。
◇ ◇
「搾りたてのミルクはいかがですかー」
町の広場で、目的のミルク販売を始めた。
【スイッチング】による高速移動が可能になった俺が新鮮なミルクを販売する。昨日からの試みだ。
昔のように、もう一度ミルクを町に届けることをエルは望んでいたからな。居候の俺ができる唯一の恩返しだ。
「おお! 噂は本当だったか! それはエルさんのところで採れたミルクなんだろ! 1本売ってくれ!」
ミルクはかなり人気があるみたいで、俺が売り始めると声をかけるまでもなく人が寄ってきた。
「どうぞ、1本10Gだ。早めに飲めよ」
飲用のミルク販売は貴重らしい、値段は高めの10Gだ。
俺は鞄からまだ温かいビンを1本取り出して手渡す。
「そのビンは回収するから、また広場に来た時に渡してくれ」
「わかった。どうもありがとう!」
その客を皮切りに俺のもとに次々と新しい客がやってくる。
その中にはこんな客もいた。
「でゅふふ、このミルクは君が分泌したものですかな~?」
たまにこういうセクハラをするやつがいるんだよなぁ……。この場合は、
「それはどうでしょうかー?」
少し含みを持たせて返答するのだ。こういうと喜んで買ってくれる。エルのためとはいえ嫌なテクニックを覚えてしまったものだ。
――広場に到着して10分くらい経過した。元々鞄に入っていたミルクは20本、すでにほとんどが売れている。終わりが近い。
あと何本だろうと残りのミルクの本数を数えていたら、爽やかな男の声が聞こえた。
「そこの君。その飲み物を2つ貰えるかな?」
俺はちょうどラストとなる2本を手にして、そいつに手渡す。
「おや? 君はたしか……」
なんだ、知り合いか? そう思って顔を上げた。そこには……
「広場でヴォルと喧嘩した子だよね。あの時はハラハラしたよ」
キラキラした笑みを浮かべる金髪の王子っぽい男が立っていた。
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