第6話 エルと呼んでください

「ああ、こちらこそよろしく頼む」


 エルフィーラか、のどかな春に吹く風のように穏やかな彼女によく似合っている。いい名前だな。


 簡単に自己紹介を済ませたし、一番気になっていたことを訊こう。


「それでエルフィーラ、ここはどこなんだ? 俺はどうしてここにいるんだ?」


 昨日からずっと気になっていたことだ。


「エルフィーラだと呼びにくいでしょうからエルでいいですよ。ここはわたしの家です。昨日帰宅する途中の道でタカナシツバキさまが倒れていたので、そこから一番近かったわたしの家に運んだんです」


「なるほどな。ああ、俺の名前も椿つばきでいいぞ」


 予想通りだな。どこかに倒れていた俺をエルがここまで運んでくれた。今の状況を省みればおおかた想像はつく。


「わかりました、ツバキさまとお呼びします。ツバキさまは熱がひどくて意識を失っていました。汗をまったくかいていなかったので水分が不足していると思い、持っていた水を飲ませたんです。なにか心当たりはありませんか?」


 たしかに俺は水分を一切補給していなかった。歩き疲れたせいで感覚がマヒしていて喉の渇きを感じなかったのだろう。倒れたのは飢えではなく脱水が原因だったのか。だったら途中で出会ったスライム、多少は水分を含んでそうだから飲んだ方が良かったのだろうか……。


「信じられないだろうが、俺は2日前にこの世界に転生してきたんだ。だが運悪く俺が降り立った場所は誰もいない草原だった。そこから人が住んでいるところを探してウロウロしたんだが、水も食料も手に入らなくて挙句の果てに意識が朦朧として倒れたんだ」


 これが俺の記憶にある昨日の出来事だ。倒れる前後のことはあまり覚えていないが大体あっていると思う。


「そうだったんですか! おそらくツバキさまが降り立ったのはこの家から南に下ったところにある大草原です。あそこはモンスターがあまり生息していない安全な場所ですが、草原を越えた先の町までは馬で2日はかかりますし水源が少なく資源も取れないので誰も通らないんですよ」


 俺は相当運が悪かったらしい。近くに転移されたはずの他のやつらは大丈夫だったのだろうか。


「それにしても……やはりツバキさまは勇者さまだったのですね!」


 エルは感激したようすで俺を見つめる。エルは俺を勇者だと考えているようだ。俺は伝説のつるぎを持っている訳じゃないのにどうしてそう思ったのだろう。


「なあ、どうして俺を勇者さまと呼ぶんだ?」


「この世界では、数十年おきに神様の使いが地に降り立って神界に武勇を捧げる競技祭が開催されます。わたしは初めて経験しますが、その伝承は耳にしていました。そして、その競技に参加される方をこの地域では勇者さまと呼びます」


 知らなかった。この世界では既に何回かゲームが行われていて、俺たち転生者の存在も周知されていたのか。


「勇者さまは神秘の力を持った『神器』と呼ばれる神様の道具を身に着けていると伺っています。ツバキさまが指につけている綺麗な指輪は神様から賜った神器ですよね!」


「ああ、その通りだ。よくわかったな」


「はい、ツバキさまは不思議な服をお召しになっていたので勇者さまだとすぐにわかりました。ツバキさまはこの指輪以外は身に着けていなかったので、きっとそれが神器だと思ったんです」


 この世界では学生服はおかしい服装らしい。だから俺が転生者だとわかったわけか。


 エルはこの神器を指輪だと思っているようだが実際は特殊なピアスなんだよなぁ……。あ、そういえば、


「エル、針を持っていないか? この神器実はピアスなんだが耳に穴が開いてなくて通せないんだ」


「それはピアスだったのですね。針でしたら裁縫に使うものがあります。少し待っていてください」


 そういうとエルはチェストの前に屈んで針を探し出した。裁縫道具が収められた袋から針を取り出し「これです」と俺の前に差し出した。学校で使った裁縫針よりも太い、先端は鋭く尖っているのでピアス穴を開けるには十分だろう。


 ちなみに俺は小学校のときゲームキャラが描かれたソーイングセットを使っていた。ハリネズミの中に針を仕舞っていたのだ。黒いドラゴンのやつではなかった。


「すぐに針を綺麗にしますね」


 綺麗に、か……消毒をするのだろうか。アルコールは無さそうだから、火で炙るとかか? でも暖炉の火は消えているしわざわざ点けて貰うのも悪いな。とか考えていた、すると――


「……ん、ちゅ……れろ、……れろ、…………」


 ……エルは舌を這わせて針をぺろぺろ舐め始めた。


 なるほどなぁ。傷口は舐めると良いって聞くし、針を舐めると清潔になるとか民間療法的に伝わっているのかもな。現代医学では即否定されそうだが……。


「んっ、ふぅ……。ではツバキさま、穴を開けるのは右耳でよろしいですか?」


 さんざん舐めまわされて艶々と輝いている針を指でつまみながらエルが尋ねる。これで耳たぶを刺すのか……ちょっとエッチだな。


「どっちでもいいが、左と右で何か変わるのか?」


「左耳のピアスは男らしさの象徴、右耳は女性らしさの象徴とされています。ツバキさまは女性ですので特に理由がなければ右がいいと思います」


 ……悩むな。だが俺は元々男だから左でいい気がする。


「俺は左につけようかな」


「ほ、ほんとうにいいんですか?」


 エルは目を丸くして驚くそぶりを見せた。


「女が左耳につけるのはおかしいのか?」


「おかしく……は、ないんですが……。そ、その……女性が左にピアスをつけるのは……えーと、なんといいますか……女の人が好き、という意味に受け取られるんです……」


 それは好都合だな。俺は女が好きだし。決めた、左耳につけよう。


「問題ない、左耳に穴を開けてくれ」


「わ、わかりました。でも、そうですよね、勇者さまは別の世界からいらっしゃると聞いてますし、違う解釈もありますよね」


 エルは納得したように頷くと俺の左側に近づいてきた。ふんわりしたライトグリーンの髪からフローラルな香りが漂う。美少女ってどうしていい匂いがするんだろう。エルは生活感からしてシャンプー使ってなさそうだし天然由来の香りだろうな。


 エルは左手の人差し指と中指を俺の耳たぶの裏に添えて、前方から生ぬるい針を刺し通した。それほど痛みは感じないな。


 針を抜き、開いた穴に相棒ティック・ヴィーナスを通して貰った。これでうっかり落とす心配をしなくていいし楽だな。


「神器をつけました! しばらくはつけたままにして穴を安定させてください。それにしても、勇者さまはこれを使って神の奇跡を起こすんですよね……。この神器はどんなことができるんでしょう……」


「実は、この神器はまだ何もできないんだ……」


「ええっ!? 本当ですか!? それは、どうしてなのですか?」


「能力が使えるようになる条件があって、それをまだ満たせてないんだ」


「条件……。どんな条件でしょうか? もし、わたしにお手伝いできることがあれば何なりとお申しつけください!」


 マジで!?


『条件は女の子の乳首にいたずらすることなんですよ~』って言ったらヤらせてくれるだろうか。


 それに今は女同士なんだ。俺が『乳首触らせてよ』と頼んでも素直に受け入れてくれるかもしれない。


 とにかく言うだけならタダだ、ダメもとで頼んでみるか。


「それじゃあ、その……おっぱいを触らせて欲しいんだが、いいか?」


 ちょっとだけマイルドな表現でお願いした。はたして彼女はどう返答するだろうか。


 ……予想外だった。意外にも彼女は満面の笑みを浮かべている。




「そんなことでいいんですか!? じゃあ、どうぞ好きなだけ触っていいですよ」

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