第2話
「ウオォ、圧巻」と一人がため息を漏らすと、テンションの上がった一同が意味不明な歓声をあげた。一斉に走り出す三人の背中と、出遅れて情けなく「待って!」と叫ぶ私の声。デート中のカップルが迷惑そうに私たちを見るのが恥ずかしかったが、私には他の三人を止められなかった。
だって、私も弾けそうなくらいはしゃいでいたから。
数年ぶりのよこはまコスモワールドは、記憶の中と同様に壮大だった。有名な観覧車の周りにはジェットコースターのレールがうねり、その足元には小さくとも人気のあるアトラクションがひしめいている。
凝った装飾の建物の間をすり抜け、まっすぐ観覧車の乗降口に向かった。本当はあの時とそっくり同じ順番でアトラクションを巡りたいが、カップルや子供連れが多いこの遊園地で、女子大学生が一人ぼっちでアトラクションに乗るのは拷問に等しい羞恥を伴う。そんなわけで、今日は観覧車だけを楽しむつもりで来た。
もちろん、女子大学生が一人ぼっちの観覧車も恥ずかしいのは変わりないけど。
この観覧車には二つだけ、全方位透明なゴンドラがあるらしいが、みんなで来た時はそれには乗れなかった。カップルが専用の乗り場に長蛇の列を作っていたからだ。せっかく行くんだから、と乗る気ではいたのだが、それを見て泣く泣く諦めた。一人でそのゴンドラに乗らなければいけなくなることを考えれば、断念してくれた過去の自分たちに拍手を送りたい。
羞恥を噛みしめて普通のゴンドラに乗り込み、誰に対しても平等な係員の笑顔になぜか心に傷を負えば、しばらくの間は落ち着く時間だ。誰も見てないからと大胆にヒールを脱ぎ捨てて足を伸ばす。
「いたた…」
ヒールを履くのは初めてのことではないが、履いたまま歩き続けるのにはまだ慣れない。無理を強いられた踵には小さい靴擦れができていた。
「いたた…」と呟いた私を、誰かが笑った。
「締めすぎなんだよ」
私の耳たぶには丸い痣ができていた。
「よく見ればアイラインも曲がっちゃってるしね」
「まだ慣れてないから。イヤリングも落ちてなくしちゃったらどうしようって思ったら、きつくしすぎちゃう」
「そんな簡単に落ちるもんじゃないっしょ」
「それはそうかもだけど」
また誰かが私の足元を指差して言った。
「まだスニーカー履いてるし」
私は慌てて足を折りたたんで、言い返す。
「だって今日はたくさん歩くから」
「登山じゃあるまいし」
「それはそうだけどさぁ…」
耳たぶにそっと指を添わせると、そこには控えめなピアスがある。スニーカーは大学入学とともに履かなくなり、それと同時に私の耳には穴が空いた。垢抜けたとはいかないまでも、急に装いに気をつけるようになって、自分が女であることを始めて知った。いや、自分が女であることは知っていたが、いつまでも女の子のつもりだった。ある日、ガラスに映った大学に行く自分を見て驚いた。大人の女が立っていたから。
横を向くと、ヨコハマの景色にうっすらと自分の顔が浮かび上がる。数を重ねて思うように描けるようになったアイラインに縁取られた丸い目がこちらを見返してくる。適度に巻いた髪の毛が顔を覆って、あの時同じようにして見た自分の顔とはまるで別人だ。
今の私に会ったら、みんな私だとわからないかもしれない。
「え?嘘?アイラインそんな綺麗に引ける子だったっけ?」
そう言われるかもしれないし、
「背が高いからあれっと思ったら、そっか、ヒールか」
「ピアス開けたの?あんなに痛そうだから嫌だって言ってたのに?」
なんて言われるかもしれない。
再会の場面を想像してニヤニヤ笑う顔がガラス張りのゴンドラの各面に映っている。
あれから私の外見は変わった。
それと一緒で、みんなも変わってしまったのだろう。でも、それは見た目だけとは限らない。私より上手にメイクをして、大々的に恋愛をして、ちょっとお酒を舐めてみたりしてるのかも。
もう私が知ってる三人じゃなくなってしまったかもしれない。
私の中身はこんなに何も変わっていないのに、あの子たちは様変わりしてしまう。今の彼女たちにあの四人のグループは窮屈な檻でしかないのだろう。だから、もう過去のものとして捨ててしまいたい。その過去の友情にしがみついている私ごと、全て今の自分には関係ないものと定義したい。彼女たちは多分、そう思っている。
気がついた時には、私の乗ったゴンドラは既に頂上に達し、ゆっくり下降していた。
「あー、写真撮ろ!写真!」
誰かの一声を皮切りにしてバタバタ慌てて立ち上がる一同にゴンドラが大きく揺れ、私が悲鳴をあげた。その刹那に撮られた写真はブレていて、ヨコハマの景色を認めることができないほどだ。今度こそ頂上で綺麗な写真を撮ろうと思っていたのに、すっかり忘れてしまっていた。
しかたがないので中途半端な場所からヨコハマを長方形の中に収める。残念ながら比較はできないが、ヨコハマの景色は何も変わっていないに違いない。横浜ランドマークタワーも船の帆のような形の背の高いホテルも変わらずそびえている。
それに比べて私たちはどうだろう。たった二年の間にこんなにも変わってしまった。時が私たちの全てを押し流して、跡形もなくしてしまった。徒然草だったか、今なら人生の無常観とやらがわかる気がする。いつかはあの四人が仲良しだったことすら忘れてしまうのだろう。時間が私たちの友情も思い出も全部風化させていく。
忘れたくない。このヨコハマの景色も、私たちのことも。風化させるものか。時間なんかに奪われるものか。
スマートフォンのカメラアプリを閉じ、代わりにサーチ画面を開いた。コスモワールドから、今日の最終目的地である赤レンガ倉庫までの行き方を調べるためだ。徒歩で向かったのは覚えているが、その道順までは記憶になかった。
調べるうちにゴンドラは一周し、私を送り出した係員の笑顔がお出迎えだ。一人で出てくる私を見た最前列のカップルが顔を見合わせた。一人ぼっちの私を笑うなら笑えばいい。私はその二人を見ないようにして、足早にそこを去る。その勢いで、よこはまコスモワールドを背に赤レンガ倉庫へ歩き出した。
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