…思い出した! 〜 君との約束 〜

狭くて誰もいない車内で、あの子は頭を抱えながら自問していた。


『僕はどうして、パークに残るって言えなかったんだろう?みんな明るく接してくれて、あんなに楽しい時間を過ごせたじゃないか。そんなにあの星に移住したいのか?』


『いや、そうじゃない。そばに誰もいない生活なんて、考えるだけで耐えられない…!けどここにいようって考えると、頭の中に今のままじゃ駄目だって声がして、言葉が出なかったんだ。一体なぜだろう?』


いくら考えても答えが出てこない。すがるような思いで持っていたアムールトラのファイルを開くと、あの付箋が貼られているページに研究員とのこんなやり取りが書かれていた。


──アムールトラに、不安がないのか聞いてみた。すると彼女は笑いながらこう言った。


アムールトラ「もちろんあるよ。でもどんな明日が見えたって、やめるわけにはいかないんだ。あの子と約束したからね。」


──約束の内容は教えてくれなかったが、彼女は右手の小指を見ながら、とても嬉しそうな顔をしていた。


あの子『約束…?なんだろう?』

とても大切な事のはずなのに、どんなに頭を絞っても思い出せなかった。


キキィィイイ!!!

突然タクシーの前に何かが飛び出し、車が急停車した。

体が勢いよく前に倒れたが、手が塞がっていてあの子はとっさにかばう体勢が取れなかった。


そして目の前に座席が迫ってきたかと思うと、そのまま顔をしたたかぶつけた。鼻に激痛が走り、目から火花が飛んで一瞬気が遠くなり、はずみで今まで被っていた帽子が脱げ、下に落ちた。

するとあの子の体から黒い影が飛び出した。そして次の瞬間、彼の頭の中に大切な思い出が蘇ってきた。


あれは計画(プロジェクト)が始まる少し前の事だった。

あの子はアムールトラと原っぱに寝転がっていた。彼が質問をすると、彼女はじっくり考えながら答えてくれた。そして寝転びながら、真面目な顔で彼を見た。


アムールトラ「キミにもいつか、嫌な明日が見える日が来るかもしれない。けどね、今日を必死に生きるのをやめちゃ駄目だよ。でないと、良い明日には絶対にたどり着けないんだから。約束だよ。」

そう言うと、彼女は小指を伸ばした右手を差し出した。


それを見た彼はばっと起き上がると、はしゃぎながら彼女と指切りをした。

あの子「約束!」


するとアムールトラも、満足そうに微笑みながらこう言った。

アムールトラ「今の笑顔、忘れないでね。」




あの子はようやく、モノレールとゲートに現れたアムールトラの幻が、この事を伝えようとしていたと気付いた。どうして忘れていたのだろう。


今にして思えば、あの時すでに彼女は何かを決意しているようだった。そして危険を承知で自ら計画(プロジェクト)への参加を申し出た。

残念ながらその結果は芳しいものではなかったけれども、日に日に状況が悪化してゆく中でも、彼女は常に前向きだった。


では自分はどうだろう。子供の頃、彼はパークの職員になろうと考えていた。アムールトラの力になりたい、そんな思いがあった。

しかし彼女は長い眠りにつき、パークは閉鎖されてしまって、もう夢を叶えることはできないと思った。


それから彼は、その思いに蓋をして別の仕事に就き、目の前の事に集中した。けれどもそうしているうちに、いつの間にかその夢を忘れてしまった。


いつしか考えることをやめ、単調な日々を繰り返すようになると、どんな事にも心が動かなくなり、笑う事もなくなった。

しだいにそれを心地よく思うようになり、無気力な世界が広がっても、おかしいと感じなくなっていった。


改めて振り返ってみると、とても彼女に誇れるような人生ではない。だがたったひとつだけ確かな事がある。あの場所で、自分にとって最も大切なフレンズを待ち続ける事こそが、1番やりたかった事だ。


そしてあの子は右手の小指を伸ばした後、その手をギュッと握った。

『もう、絶対に忘れない!』

彼の心に、再び情熱の火が灯った。



すると鼻がズキンと痛み、あの子は現実に引き戻された。彼は鼻をさすりながら運転席に声をかけた。

あの子「ちょっと待ってて。」


そして車の外に出て前方へ回ってみると、一匹の猫がうずくまっていた。猫は彼の姿を見ると駆け寄ってきて、顔を膝にこすり付けた。どうやら怪我はないようだ。


あの子「無事でよかった。けどどうしてこんな所にいたんだろう?」


あたりを見回しても人影は見当たらない。

この猫は空港から逃げて来たのかもしれないし、あるいはパークで暮らしているのかもしれない。

どちらにせよここに置いてゆくわけにはいかない、と考えた彼は猫を抱き上げた。


「イカナイデ…イカナイデ…。」


突如背後からぞっとするような声がして、背筋が凍りついた。

振り返ると橋の真ん中に、彼と同じくらいの高さの影が揺らめいている。


それはひと抱えくらいの大きさのセルリアンとなり、丸い体の中央にある巨大な目をギョロつかせながら、彼に迫って来た。


あの子『早く逃げないと!』

彼はとっさにこう判断し、猫を抱いたまま運転席に飛び乗った。

そして機器をいじって手動運転に切り替え、Uターンして目一杯アクセルを踏み込むと、パークに向かって猛スピードで車を走らせた。



薄暗がりの中を、あの子はひたすら突き進んだ。遥か彼方に、サバンナエリアに通じるゲートが見える。

ふとバックミラーをのぞくと、あのセルリアンが追いかけて来ていた。車との距離は、だんだん短くなってゆく。すると彼の頭の中に、かぼそい声が響いて来た。


「イカナイデ…イカナイデ…。」


その声を聞いていると、体の力が抜け、何もかもどうでもよくなりそうになる。そしてセルリアンとの距離が縮まるにつれ、声は大きくなっていった。

彼は恐怖と戦いながら、必死にアクセルを踏んだ。


「イカナイデ…イカナイデ…オイテイカナイデヨォォ!!!!」


不意に、頭の中に絶叫が響き渡った。それと同時に、車がガクンと揺れて止まった。

振り返ると、背後のセルリアンから伸びた触手が車に絡み付いていた。いつの間にか扉もガッチリと押さえつけられている。

どれだけアクセルをふかしても、車はじりじりと引き寄せられ、セルリアンの声もどんどん大きくなってゆく。


もう駄目だと諦めかけたその時、腕の中の猫がじっと見つめているのに気付いた。そんな猫の温もりが、あの子に勇気をくれた。

彼は衝撃に備えて身構えると、思い切り車をバックさせた。

爆音を轟かせながら車はセルリアンに向かっていった。


ドン!!!

そして激しくぶつかった。車は後部が大破し、動かなくなった。


さしものセルリアンも面食らったのか、触手の拘束が緩んだ。

すかさず彼は体当たりをして扉をこじ開けると、運転席から飛び出して、猫を抱えながらパークに向かって必死に走った。


あれほど遠くにあったゲートが、もう目の前にあった。そこにはカラカルとイエイヌとポイポイの姿が見える。

セルリアンも追いかけてきているが、体が崩れ始めている。その時にはもう、あの声も聞こえてこなくなっていた。




あの子「そうして、やっとの思いでセルリアンから逃げ切れたというわけ。」


それを聞いたポイポイが嬉しそうに言った。

ポイポイ「宇宙船ニハ乗ラナカッタンダネ、ヨカッタ。オカエリ、オカエリ!」


あの子「ただいま。宇宙船がどうかしたの?」


カラカル「あれ見て。」


カラカルが指差した先を見ると、暗がりの中に真っ黒で巨大な塔がそそり立っていた。彼は事情を聞いて寒気がした。もはや宇宙船の無事を祈ることしかできなかった。


カラカル「危ないところだったのね。」


イエイヌ「戻ってきてくれて、本当に良かったです。」


あの子「ありがとう。そうだ、あの猫は?」


見ると、猫は近くの草むらでぐっすり眠っていた。それを見た3人は顔を見合わせて笑った後、体を寄せ合って眠った。

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