第29話 君の傍で 《分割版》

灰色の街 〜 もうすぐヒトはいなくなる 〜

※時系列でいうと、番外編は前編6/10と7/10の間のお話です。


あの子はベッドの中で目を覚ました。

まだ朝日が登ったばかりのようで、部屋の中は薄暗い。彼はふうっと息を吐くと、もう一度目を閉じた。

そのまましばらく横になっていたが、どうしても寝付けない。何度目かの寝返りの後、彼は眠るのを諦めた。そして起き上がってベッドに腰かけると、あくびをしながら伸びをした。


すると枕元にいたポイポイが、彼に挨拶をした。

ポイポイ「オハヨウ。マダ寝テテモ大丈夫ダヨ。」


あの子「おはようポイポイ。もう目が覚めちゃったよ。今日は特別な日だからね。」


この星でポイポイとお話しするのも、今日でお終いだ。とうとうこの日が来たかと思うと、なんだか名残惜しい気持ちがした。


そして彼は気怠げに立ち上がると窓まで歩いてゆき、カーテンを開けて外を見た。

そこにはいつもと変わらずがらんとした、灰色の街並みが広がっていた。この景色とも今日でお別れだが、こちらは何の感慨も湧かなかった。


朝日に照らされた彼の目は、生気がなくどんよりと曇っていて、顔には皺が刻まれていた。




アムールトラが長い眠りについてから、もう何十年も経った。あの子も歳を取り、初老の男性になっていた。


その頃、ヒトの世界から情熱が失われていた。

始まりが何だったのかは分からない。その変化は、誰も気付かないくらいゆっくりと訪れた。


しだいに今あるものだけを使って暮らすヒトが増えてゆき、いくら新しく物を作っても売れなくなった。

働きたがらないヒトが増え、経済が成り立たなくなった。


そして夢を持ったり、何かに打ち込んだりする気持ちをなくした、無気力なヒトが増えていった。

子供も生まれなくなり、寿命も短くなって、数がどんどん減っていった。


原因ははっきりしない。

科学がピークを過ぎ衰退し始めたとか、もう作れるものは全て生み出してしまったからだとか、これがあるべき姿なんだとか、色々な説はあったが、この流れを止める事は出来なかった。


無気力なヒト達は誰かに世話をしてもらわないと生きてゆけなかったが、街には沢山のロボットがいて、そんな彼らを支えていた。水や食糧の生産、衣食の配給、衛生面の管理などは全て行ってくれるため、食べて寝るだけの最低限の生活は保証されていた。


あの子はどうだったかというと、異変が始まった頃、彼は介護用ロボットを開発する仕事に就いていた。ヒトの様々な要求に応じてロボットを改良するのは大変だったが、やりがいを感じていた。


ところがだんだん無気力なヒトが増えてくると、ロボットに新たな機能は求められなくなり、修理が主な仕事となった。しかしそれも、徐々に同じ型のロボットばかりが広まってゆくにつれ、同じ事の繰り返しになっていった。


そしてヒトが減り、これらの作業を全てロボットがやってくれるようになった時、彼は仕事を辞め、ロボットに支えられながらなんとなく日々を過ごすようになった。

完全な無気力ではないが積極的に働きたいわけでもない、ここには彼のようなヒトもたくさんいた。


一方働きたいヒト達は、この星を捨て、よその星を開拓して自分たちが住みやすい世界を作り上げていた。こうして移住する者と残る者の棲み分けが進んで、もうここには働きたいヒトはほとんど残っていなかった。


当然、彼の周りのヒト達も、どんどん移住していった。

友人から、一緒に行こうと誘われたことも何度かあった。移住先にはまだまだ新しいロボットを必要としているヒトがいるそうで、すでに新しい職場も住居も決まっていた。


しかし、明日アムールトラが目を覚ますかもしれないと思うと、どうしてもこの星を離れられなかった。そして結局ギリギリまで出発を延ばしているうちに、この日が来てしまった。

今日は、向こうへ行く宇宙船が飛び立つ最後の日だ。それに乗ったら、もう2度と帰ってくることはできない。



あの子は着替えを済ませると、朝食の準備に取り掛かった。

冷蔵庫から卵1個とレタス2枚、プランターで育てたミニトマトを取り出し、空になったのを確認した。

そしてフライパンを火にかけ油を引くと、卵を割って弱火でじっくりと焼いた。


調理をしながら、もう片方の手で端末を立ち上げてニュースを見ると、各地の宇宙船の出発時間が放送されていた。

この星で放送が行われるのも今日で最後だ。画面の右上に、『移住先でお会いしましょう』の文字と、カウントダウンが表示されている。


ぼんやりと画面を眺めていると、目玉焼きが焼き上がった。それをレタスと一緒に最後の食パンに挟み、ミニトマトも皿に盛って食卓に着いた。するとポイポイがテーブルに飛び乗ってきて、彼の正面に陣取った。


朝食を食べながら、彼はポイポイに尋ねた。

あの子「ポイポイはどうする?一緒に行く?それともここに残る?」


ポイポイ「前ニモ言ッタケド、キミノ意思ニ従ウヨ。ソレガ最良ダヨ。」


あの子「そうだよね。ポイポイの運命を決める、この星での最後の選択だもの。大事にしないといけないよね。」


ポイポイ「宇宙船ノ発射マデ、マダダイブ時間ガアルヨ。コノ星ヲ出ル前ニ、じゃぱりぱーくニ行ク事ヲオススメスルヨ。」


あの子「いいね。せっかくだし行ってみようか。」


ポイポイ「さばんなえりあノ近クカラ飛ビ立ツ宇宙船ガアルカラ、ユックリ滞在デキルヨ。」


ジャパリパークは巨大な島で出来ており、そこへ行くには橋を渡ったり船を使ったりする必要があった。

そんなパークには海の上を渡る巨大な橋が2本架けられていた。ここからセントラルパークに出るものと、近くの空港とサバンナエリアとを繋いでいるものだ。

パークに空港を作る計画が持ち上がった事もあったが、騒音や人混みが、フレンズに悪影響を与えかねないとして却下されたのだ。


そうしていつもと同じ、ただ食べるだけの味気ない朝食が終わった。

彼は後片付けを済ませると、登山用の帽子を被り、丈夫な青い上着を羽織って身支度を整えた。荷物は既に移住先に送ってあるので、他に持ち出すものは何もない。


それから玄関を出ると、冷たい風が吹いていた。

彼はまとめたゴミを玄関先に置いた。こうしておけば、後でロボットが回収してくれる。


彼は玄関のドアは閉めたが、鍵はかけなかった。電気や水はそのままだ。置いていったものは、残ったヒトが自由に使って良いというのが、彼の考え方だった。

ならこの鍵ももう必要ない。彼らはドアノブに鍵を差したまま家を後にした。


ポイポイポイポイ…。

灰色の街の中に、ポイポイの足音が響いた。

オレンジ色の体もかなり目立っていたが、こちらを見るものは誰もいない。他に動いているものといえば、1台の清掃ロボットと行き合ったくらいだ。


しばらく歩くと、バス停に到着した。そこにはジャパリパーク行きの無人運転バスが停まっていて、2人はそれに乗り込んだ。

それから数分後、バスは滑るように発車した。


窓の外を灰色の景色が流れて行く。

あの子はそれを眺めながら、世界がこうなってしまった原因について、ぼんやりと思考を巡らせた。

あの子『セルリアンが情熱を食べちゃったんだ。』


彼はセルリアンに食べられた経験のある、数少ないヒトの一人だった。これにより、それまでアムールトラと過ごした日々の事と、紙に何かを書く力を失った。


しかしその後、彼女とは新しい思い出をたくさん作る事ができたし、練習を繰り返す事で、ゆっくりだが文字が書けるようになった。結局絵は描けないままだったが、日常生活に支障はない。


それでもこの事件から、パークはセルリアンを生み出す危険な施設とされ、ビースト計画(プロジェクト)の騒ぎも相まって、数年後に閉鎖されてしまった。


そうなると、フレンズをどうするかが問題となった。

サンドスターはパークの外では力を失ってしまうため、フレンズはヒトの世界では動物に戻ってしまう。


何度も話し合いが行われた結果、関係者達の尽力でパークは島ごと保護される事が決まり、フレンズにはこれまで通りの生活を続ける事が認められた。

こうして、パークはヒトの管理から離れる事となった。


一方で、人工物を模したセルリアンが、たびたびヒトの世界に現れるようになった。

それらはヒトを襲うことはないが、物を取り込んだり踏み潰したりする。中でもかなりの巨体と重量を持つ巨大セルリアンは、ヒトにとっても十分脅威だった。


始めのうちは、ヒトの中にも武器を使って戦う者がいた。

だがセルリアンは、そういったヒトの敵意を察知すると積極的に向かってきた。なまじ軍隊を集めたばかりに、セルリアンがなだれ込んできたケースもあった。

そのうえどこからか湧いてくるため、対策の立てようがない。結局自然災害と同じように、通り過ぎて消えてゆくのをただ見ているしかなかった。


こうして、そこらに小型セルリアンが現れても誰も気に留めなくなった頃、無気力がヒトの世界に蔓延していた。

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