第29話 君の傍で 《full版》
※時系列でいうと、番外編は前編6/10と7/10の間のお話です。
◯灰色の街 〜 もうすぐヒトはいなくなる 〜
あの子はベッドの中で目を覚ました。
まだ朝日が登ったばかりのようで、部屋の中は薄暗い。彼はふうっと息を吐くと、もう一度目を閉じた。
そのまましばらく横になっていたが、どうしても寝付けない。何度目かの寝返りの後、彼は眠るのを諦めた。そして起き上がってベッドに腰かけると、あくびをしながら伸びをした。
すると枕元にいたポイポイが、彼に挨拶をした。
ポイポイ「オハヨウ。マダ寝テテモ大丈夫ダヨ。」
あの子「おはようポイポイ。もう目が覚めちゃったよ。今日は特別な日だからね。」
この星でポイポイとお話しするのも、今日でお終いだ。とうとうこの日が来たかと思うと、なんだか名残惜しい気持ちがした。
そして彼は気怠げに立ち上がると窓まで歩いてゆき、カーテンを開けて外を見た。
そこにはいつもと変わらずがらんとした、灰色の街並みが広がっていた。この景色とも今日でお別れだが、こちらは何の感慨も湧かなかった。
朝日に照らされた彼の目は、生気がなくどんよりと曇っていて、顔には皺が刻まれていた。
アムールトラが長い眠りについてから、もう何十年も経った。あの子も歳を取り、初老の男性になっていた。
その頃、ヒトの世界から情熱が失われていた。
始まりが何だったのかは分からない。その変化は、誰も気付かないくらいゆっくりと訪れた。
しだいに今あるものだけを使って暮らすヒトが増えてゆき、いくら新しく物を作っても売れなくなった。
働きたがらないヒトが増え、経済が成り立たなくなった。
そして夢を持ったり、何かに打ち込んだりする気持ちをなくした、無気力なヒトが増えていった。
子供も生まれなくなり、寿命も短くなって、数がどんどん減っていった。
原因ははっきりしない。
科学がピークを過ぎ衰退し始めたとか、もう作れるものは全て生み出してしまったからだとか、これがあるべき姿なんだとか、色々な説はあったが、この流れを止める事は出来なかった。
無気力なヒト達は誰かに世話をしてもらわないと生きてゆけなかったが、街には沢山のロボットがいて、そんな彼らを支えていた。水や食糧の生産、衣食の配給、衛生面の管理などは全て行ってくれるため、食べて寝るだけの最低限の生活は保証されていた。
あの子はどうだったかというと、異変が始まった頃、彼は介護用ロボットを開発する仕事に就いていた。ヒトの様々な要求に応じてロボットを改良するのは大変だったが、やりがいを感じていた。
ところがだんだん無気力なヒトが増えてくると、ロボットに新たな機能は求められなくなり、修理が主な仕事となった。しかしそれも、徐々に同じ型のロボットばかりが広まってゆくにつれ、同じ事の繰り返しになっていった。
そしてヒトが減り、これらの作業を全てロボットがやってくれるようになった時、彼は仕事を辞め、ロボットに支えられながらなんとなく日々を過ごすようになった。
完全な無気力ではないが積極的に働きたいわけでもない、ここには彼のようなヒトもたくさんいた。
一方働きたいヒト達は、この星を捨て、よその星を開拓して自分たちが住みやすい世界を作り上げていた。こうして移住する者と残る者の棲み分けが進んで、もうここには働きたいヒトはほとんど残っていなかった。
当然、彼の周りのヒト達も、どんどん移住していった。
友人から、一緒に行こうと誘われたことも何度かあった。移住先にはまだまだ新しいロボットを必要としているヒトがいるそうで、すでに新しい職場も住居も決まっていた。
しかし、明日アムールトラが目を覚ますかもしれないと思うと、どうしてもこの星を離れられなかった。そして結局ギリギリまで出発を延ばしているうちに、この日が来てしまった。
今日は、向こうへ行く宇宙船が飛び立つ最後の日だ。それに乗ったら、もう2度と帰ってくることはできない。
あの子は着替えを済ませると、朝食の準備に取り掛かった。
冷蔵庫から卵1個とレタス2枚、プランターで育てたミニトマトを取り出し、空になったのを確認した。
そしてフライパンを火にかけ油を引くと、卵を割って弱火でじっくりと焼いた。
調理をしながら、もう片方の手で端末を立ち上げてニュースを見ると、各地の宇宙船の出発時間が放送されていた。
この星で放送が行われるのも今日で最後だ。画面の右上に、『移住先でお会いしましょう』の文字と、カウントダウンが表示されている。
ぼんやりと画面を眺めていると、目玉焼きが焼き上がった。それをレタスと一緒に最後の食パンに挟み、ミニトマトも皿に盛って食卓に着いた。するとポイポイがテーブルに飛び乗ってきて、彼の正面に陣取った。
朝食を食べながら、彼はポイポイに尋ねた。
あの子「ポイポイはどうする?一緒に行く?それともここに残る?」
ポイポイ「前ニモ言ッタケド、キミノ意思ニ従ウヨ。ソレガ最良ダヨ。」
あの子「そうだよね。ポイポイの運命を決める、この星での最後の選択だもの。大事にしないといけないよね。」
ポイポイ「宇宙船ノ発射マデ、マダダイブ時間ガアルヨ。コノ星ヲ出ル前ニ、じゃぱりぱーくニ行ク事ヲオススメスルヨ。」
あの子「いいね。せっかくだし行ってみようか。」
ポイポイ「さばんなえりあノ近クカラ飛ビ立ツ宇宙船ガアルカラ、ユックリ滞在デキルヨ。」
ジャパリパークは巨大な島で出来ており、そこへ行くには橋を渡ったり船を使ったりする必要があった。
そんなパークには海の上を渡る巨大な橋が2本架けられていた。ここからセントラルパークに出るものと、近くの空港とサバンナエリアとを繋いでいるものだ。
パークに空港を作る計画が持ち上がった事もあったが、騒音や人混みが、フレンズに悪影響を与えかねないとして却下されたのだ。
そうしていつもと同じ、ただ食べるだけの味気ない朝食が終わった。
彼は後片付けを済ませると、登山用の帽子を被り、丈夫な青い上着を羽織って身支度を整えた。荷物は既に移住先に送ってあるので、他に持ち出すものは何もない。
それから玄関を出ると、冷たい風が吹いていた。
彼はまとめたゴミを玄関先に置いた。こうしておけば、後でロボットが回収してくれる。
彼は玄関のドアは閉めたが、鍵はかけなかった。電気や水はそのままだ。置いていったものは、残ったヒトが自由に使って良いというのが、彼の考え方だった。
ならこの鍵ももう必要ない。彼らはドアノブに鍵を差したまま家を後にした。
ポイポイポイポイ…。
灰色の街の中に、ポイポイの足音が響いた。
オレンジ色の体もかなり目立っていたが、こちらを見るものは誰もいない。他に動いているものといえば、1台の清掃ロボットと行き合ったくらいだ。
しばらく歩くと、バス停に到着した。そこにはジャパリパーク行きの無人運転バスが停まっていて、2人はそれに乗り込んだ。
それから数分後、バスは滑るように発車した。
窓の外を灰色の景色が流れて行く。
あの子はそれを眺めながら、世界がこうなってしまった原因について、ぼんやりと思考を巡らせた。
あの子『セルリアンが情熱を食べちゃったんだ。』
彼はセルリアンに食べられた経験のある、数少ないヒトの一人だった。これにより、それまでアムールトラと過ごした日々の事と、紙に何かを書く力を失った。
しかしその後、彼女とは新しい思い出をたくさん作る事ができたし、練習を繰り返す事で、ゆっくりだが文字が書けるようになった。結局絵は描けないままだったが、日常生活に支障はない。
それでもこの事件から、パークはセルリアンを生み出す危険な施設とされ、ビースト計画(プロジェクト)の騒ぎも相まって、数年後に閉鎖されてしまった。
そうなると、フレンズをどうするかが問題となった。
サンドスターはパークの外では力を失ってしまうため、フレンズはヒトの世界では動物に戻ってしまう。
何度も話し合いが行われた結果、関係者達の尽力でパークは島ごと保護される事が決まり、フレンズにはこれまで通りの生活を続ける事が認められた。
こうして、パークはヒトの管理から離れる事となった。
一方で、人工物を模したセルリアンが、たびたびヒトの世界に現れるようになった。
それらはヒトを襲うことはないが、物を取り込んだり踏み潰したりする。中でもかなりの巨体と重量を持つ巨大セルリアンは、ヒトにとっても十分脅威だった。
始めのうちは、ヒトの中にも武器を使って戦う者がいた。
だがセルリアンは、そういったヒトの敵意を察知すると積極的に向かってきた。なまじ軍隊を集めたばかりに、セルリアンがなだれ込んできたケースもあった。
そのうえどこからか湧いてくるため、対策の立てようがない。結局自然災害と同じように、通り過ぎて消えてゆくのをただ見ているしかなかった。
こうして、そこらに小型セルリアンが現れても誰も気に留めなくなった頃、無気力がヒトの世界に蔓延していた。
◯やあ、久しぶり。 〜 懐かしい場所とお友達 〜
アナウンス「ご乗車ありがとうございました。まもなくジャパリパーク、ジャパリパークです。お忘れ物をなさいませんよう、気をつけてお降りください。」
車内にアナウンスが響き渡り、彼は思考を中断した。
バスはセントラルパークへと続く巨大な橋を渡り終えようとしていた。その向こうに、入り口のゲートが見える。
そしてバスがゲートの前で停まった。
彼は運転席に向かって「ありがとう。」と言うと、ポイポイと一緒にバスから降りた。
すると目の前に、懐かしい施設が広がっていた。
朝の光に照らされて、パークはひっそりと佇んでいた。
彼はパークが閉鎖されてからは、1度もここを訪れた事はなかった。長い年月の間に、ゲートはツタが絡み付いてボロボロになっている。
開園していた頃は、いつも大勢のヒトで溢れかえっていて、ゲートをくぐる前から笑い声と歓声が聞こえてきたが、今のパークは静寂に包まれていた。
かつての賑わいを知っているだけに、彼にはより一層静まり返っているように感じられた。
あの子「さてと、出入り口はどうなっているかな。」
勝手に入っても今更咎める者はいないだろうが、シャッターや鉄柵などの堅牢なガードをよじ登らねばなるまい、と彼は考えていた。
だが幸いな事に、どうやらここの管理者もこの施設を残ったヒトが使うのは構わないと考えたらしく、そこには『閉鎖』と書かれた黄色いテープが張られているだけだった。それをくぐり抜けるだけで、簡単にパークに入る事ができた。
彼は入ってみて驚いた。
てっきりパーク全体がゲートのようなボロボロの廃墟になっていると思っていたが、しっかりと手入れがされていた。
パークに生えていた木々が成長して緑が増えていたが、雑草は刈り取られていて、小石やガラスも散らばっていない。どの施設も思い出のままの姿を保っていた。
遊園地では、無人の観覧車とメリーゴーランドが動いていた。
賑わいはないが、どの遊具も錆びていない。どれも問題なく遊べそうだった。
ショッピングモールには、ぬいぐるみ、Tシャツ、キーホルダーなど沢山のお土産が置かれていた。それらはうっすら埃をかぶっていたが、丁寧に並べられていた。
イベント会場は、アムールトラの記念館のままだった。
そこには彼女の写真やイラスト、彼女へ宛てたメッセージなどが大切に保管されていた。
あたりを見回しながら、彼らは誰もいないセントラルパークを歩き回った。ひんやりとした朝の空気に、彼とポイポイの足音が響いた。
やがてホテルが見えてきた。
大きな玄関口にたどり着くと、自動扉がスッと開いた。中はがらんとしていたが、空気は淀んでおらず手入れも行き届いていた。
今にも誰かが出てきそうで、思わず彼は受付の呼び鈴を鳴らしてみた。すると、チーンという音が静寂の中に吸い込まれていった。
しかし、しばらく待っても何の気配もしなかった。
あの子「まあ、そうだよね。」
あの子はため息混じりにつぶやいた。すると背後から小さな音がした。
とっさに振り向くと、何かの影が自動扉の向こうを横切った。すぐさま外に出てあたりを見回すと、小さな影が職員の宿泊エリアの方に消えていった。
あれはラッキービーストだろうか?彼らは影の跡を追いかけた。
そのまま早足で歩いてゆくと、宿泊施設が見えてきた。よく見ると、職員夫婦の住んでいた家の扉が開いている。
もしかしてまだ誰かが住んでいるのだろうか?そう思った時、背後からバッと音がした。彼はとっさに振り向いたが、仰向けに組み伏せられてしまった。
そして胸の上に乗っかっている誰かが声をかけてきた。顔は逆光でよく見えないが、大きな耳が揺れている。
?「見かけない顔ね。あんた、なんのフレンズなの?それともヒト?」
それは聞き覚えのある声だった。
あの子「イタタ。やあ、カラカル。びっくりしたよ。」
名前を呼ばれて、カラカルは怪訝な顔をしながら彼を見つめた。
カラカル「あたしを知ってるの?もしかしてパークの職員さん?」
ポイポイ「カラカル、タベチャダメダヨ。」
カラカル「食べないわよ!って、ボスってフレンズと喋れたの?オレンジ色?え、なんで?」
ポイポイの声を聞いたカラカルは、彼にまたがったままあたふたし始めた。
すると騒ぎを聞きつけたイエイヌが、慌てておうちから飛び出してきた。
イエイヌ「どうしたんですか、カラカルさんっ⁉︎」
カラカル「知らないやつがうろついてたから捕まえたんだけど、あたしの事知ってるみたい。あんた、こいつが誰だか分かる?」
するとイエイヌは、あの子の方をじっと見つめながら鼻をひくつかせた。そしてパッと明るい顔になると、尻尾を振りながら倒れている彼の首に抱きついた。
イエイヌ「この匂い…、うぁ〜、懐かしいなぁ〜!」
カラカル「ちょっと、急にどうしたの!?」
驚くカラカルを尻目に、イエイヌは彼の首にすがりつきながら息を弾ませている。
イエイヌ「覚えてませんか?よくアムールトラさんと一緒にいたヒトですよ!」
それを聞いたカラカルは、彼の顔をまじまじと見つめると、素っ頓狂な声を上げた。
カラカル「え…ええ〜!?」
ちょっとしたアクシデントはあったが、彼らはカラカルとイエイヌに連れられて夫婦のおうちにお邪魔した。部屋の壁には、昔イエイヌにプレゼントした絵が飾られていた。そして3人は椅子に、ポイポイはテーブルに座った。
あの子「僕のこと覚えててくれたんだね、ありがとう。」
イエイヌ「私の恩人を、忘れるわけないじゃないですか」
けれどもカラカルは、申し訳なさそうな顔をしている。
カラカル「ごめん、さっきは驚かせて悪かったわね。」
あの子「平気だよ、気にしないで。」
それから彼は、2人にこれまでパークに何があったのかを尋ねた。
それによると、マジックショー会場に巨大セルリアンが現れてから、訪れるヒトは少なくなっていったそうだ。
そしてフレンズもセルリアンを警戒して、よほどの用事のある時以外はセントラルパークに行かなくなり、しだいに自分の縄張りから出なくなったという。パークが閉鎖されヒトがいなくなってからは、歩き回っているのはボスくらいなのだそうだ。
あの子「2人はここで暮らしているの?」
するとイエイヌは、何故か目を泳がせた。
イエイヌ「カラカルさんは、…ええと、たまたま遊びに来てくれたんです。私はご主人が帰ってくるまで、ここでお留守番をしています。」
あの子「どういうこと?」
あの子が尋ねると、イエイヌの顔が曇った。それからゆっくりと語り始めた。
イエイヌ「パークからヒトがいなくなっても、ご主人夫婦だけはここに住み続けていたんです。そして毎日、パークのお掃除をしたり、ボスと一緒に建物を直したり、フレンズとご飯を食べたりしていました。私はそんな2人と一緒に、お仕事をしたり遊んだりしていました。」
あの子『ああ、それでパークは荒れ果ててなかったんだ。』
イエイヌ「でもある日、私に『お留守番を頼んだよ。』と言って、2人だけで出かけて行ったんです。フレンズになってから、こんな事を言われたのは初めてでした。寂しかったですが、私は玄関に立って歩いてゆく2人を見送りました。」
「そうしたら、2人の体がキラキラしだしたんです。なんだろうと思って見つめていると、だんだんキラキラは空に消えていきました。そして気がついたら、2人がいなくなっていたんです。」
「私はびっくりして急いで外に出たのですが、あたりに2人の姿はありませんでした。それから必死にパーク中を探し回りました。他のフレンズさん達にも聞いてみましたが、みんな2人の姿を見ていないと言いました。」
「私はどうしたら良いのか分からなくなりましたが、あの言いつけ通り、ここでお留守番を続けているんです。」
それはにわかには信じがたい、不思議な話だった。
かつて、サンドスターがヒトに影響を与えるのではないか、と話題になったこともあったが、あくまで噂止まりで、ヒトが消えてしまった事など一度もなかった。
2人がパークを出て移住したとも考えられるが、あれほど大切にしていたイエイヌを置いてゆくはずがない。だがイエイヌの様子を見るに、勘違いとも思えなかった。
あの子はしばらく考えた後、ゆっくりとした口調で言った。
あの子「ここは特別な所だから、何が起きてもおかしくないよ。イエイヌさんは偉いよ。自分の気持ちを大事にしてね。」
それを聞いたイエイヌは、寂しそうに笑いながらお礼を言った。
すると今度はカラカルが、ツンとした顔で話しだした。
カラカル「あたしはでっかい箱の上で星を見てたら、いつの間にか寝ちゃって、気が付いたらここに…、じゃない!」
どうやら隠そうと意識するあまり、事実の方を言ってしまったらしい。その様子を見たイエイヌが、全身をフルフルさせながら笑いを堪えている。
カラカルは慌ててごまかそうとした。
カラカル「そう!この子が心配だから、様子を見にきたのよ!それで、用も済んだしセントラルパークを通ってサバンナに帰ろうとしたら、あんたがいたってワケ。」
おそらくでっかい箱とはモノレールの事だろう。遊園地でもそうだったが、乗り物はヒトがいなくなってからも定期的に動いているようだ。
そしてカラカルは、ばつが悪そうな顔をしながら彼を見た。
カラカル「それにしても、あの子だって言われても全然分からないわ。ヒトってこうも変わっちゃうものなのね。」
それを聞いて、あの子は肩をすくめた。
あの子「フレンズと違って、ヒトは歳を取るからね。」
カラカル「そうじゃなくて、なんて言うか…、元気がない!」
すると彼は苦笑しながら、ヒトの世界から情熱が無くなってしまった事、この星にはもうヒトがあまり残っていない事、ヒトがパークを訪れるのは、今日が最後であろう事を2人に伝えた。
それを聞いた2人は目を丸くした。
イエイヌ「パークの外では、そんな事が起こってるんですね。」
カラカル「よく分かんないけど大変そうね。でも、みんなに合わせすぎてない?あんたがやりたい事をやれば、それで良いじゃない。」
あの子「やりたい事、か。」
そう言われて、あの子はハッとした。言われてみれば、しばらく考えた事がなかった。
そこへ、ポイポイという足音が聞こえてきた。そうして玄関からラッキービーストが入ってきて、彼を見て挨拶をした。
ラッキービースト「ハジメマシテ。ボクハ、ラッキービーストダヨ。ヨロシクネ。君ノ名前ヲ教エテ。君ハ何ガ見タイ?」
するとカラカルが、物珍しそうにラッキービーストを見た。
カラカル「へー、ボスってヒト相手だとたくさん喋るのね。」
あの子「さっきから聞きたかったんだけど、ボスって?」
イエイヌ「ジャパリまんを配ったりケガした子を助けてくれたりするので、みんなボスって呼んでるんです。なぜかフレンズとはお話ししてくれないんですが、ご主人夫婦とはよく話してました。他にも建物を直したり、パークの案内もしてくれますよ。」
するとポイポイがテーブルから降りて、ラッキービーストと向かい合った。そしてチカチカ目を光らせながら、何かやり取りをし始めた。
ポイポイ「でーた共有完了。コレデ、ボクガぱーくヲ案内スル事モデキルヨ。」
あの子「そういう事か。じゃあ、お願いするよ。」
ポイポイ「マカセテ。」
イエイヌ「これからどうするのですか?」
あの子「モノレールで各エリアを見て回って、サバンナまで行ったら空港に向かおうと思っているんだ。」
それを聞いて、イエイヌは目を伏せた。
イエイヌ「もう会えないんですね。寂しいです。」
カラカル「ま、あんたが決めた事なら止めないけど。そうだ、せっかくだから、他のみんなにも会っていきなさいよ。」
ポイポイ「ぱーく中ノラッキービーストニ連絡シテ、各地ノふれんず達ニ、近クノ駅ニ集マルヨウ知ラセルヨ。ソレデイイカナ?」
あの子「うん、ありがとう。それじゃ、僕はもう行くよ。2人に会えてとても嬉しかったよ。」
こう言ってあの子が腰を上げると、カラカルも立ち上がった。
カラカル「あたしも一緒に行くわ。どうせそこに帰るんだし。それに驚かせちゃったし、なんか心配だしね。」
一方イエイヌは、困ったような顔をしながらおずおずと言った。
イエイヌ「私は、あの…。」
あの子「無理しなくていいよ。イエイヌさんにとって、大切な約束だからね。」
イエイヌ「…はい。」
ポイポイ「ジャア、案内ヲ開始スルヨ。ボクニツイテキテネ。」
3人はおうちを出ると、モノレールが停まっている駅へと向かった。
イエイヌは玄関に立ち、3人を見送った。
柔らかな日差しに照らされた背中が、しだいに小さくなってゆく。
それをじっと見ていると、知らないうちに涙が溢れてきて、3人の姿が歪み、周囲がキラキラで包まれた。
イエイヌ『そうだ、ご主人がいなくなった時もこうだった。私が本当にしたい事は…!』
ポイポイに先導されながら、あの子が心配そうな顔をしながらカラカルに尋ねた。
あの子「イエイヌさん、寂しそうだったけど大丈夫かな。」
けれどもカラカルは頭の後ろで手を組みながら、すました顔をしている。
カラカル「すぐに分かるわよ。」
あの子「?」
するとカラカルの耳がピクンと動いた。
カラカル「ほら、見て後ろ。」
2人が振り向くと、イエイヌが走って追いかけてきている。
イエイヌ「待ってください、やっぱり私も一緒に行きまーす!」
◯なんて言ってるの? 〜 君の影 〜
やがて4人は宿泊エリアの駅に到着した。
そこにはカラカルが乗ってきたというモノレールが停まっていて、窓越しに1台のラッキービーストが運転席にいるのが見える。
そしてあの子がドアに描かれている手形マークに手をかざすと、ドアが開いてアナウンスが流れた。
ラッキービースト「じゃんぐる行キものれーるハ、間モナク発車シマス。オ乗リノオ客様ハ、閉マル扉ニゴ注意クダサイ。」
それから4人はモノレールに乗り込んだ。
カラカルとイエイヌは、興味津々な様子で車内を見回している。
カラカル「箱の中って、こうなってたんだ。」
イエイヌ「わあ、ながーい椅子があります。」
しばらくすると、ドアが閉まった。
ラッキービースト「発車シマース。」
その言葉が終わると同時にモノレールが動きだし、車体がガクンと揺れた。途端にカラカルとイエイヌはバランスを崩し、床に尻餅をついた。
あの子「2人ともしっかり。」
あの子は2人に手を差し伸べて立ち上がらせると、座席に座らせた。
窓の外では、色とりどりの景色がすごい速さで流れてゆく。それに気がついた2人はびっくりしたような顔をしていたが、すぐに座席に膝をつくと、はしゃぎながら眺め始めた。
イエイヌ「すごい、お外がビュンビュン動いてます!」
カラカル「こんなにでっかいのに、あたしくらい速く走れるのね!」
その様子を見て、彼はアムールトラと一緒にモノレールに乗った時の事を思い出した。そういえば、彼女も夢中で窓の外を眺めていたものだ。
アムールトラ「おおー!初めて乗ったけどこれは凄いや。座ってるのに景色が動くなんて、不思議な気分だよ。キミにはこれが当たり前なのかい?きっとパークの外には、私の知らない面白い事がたくさんあるんだろうな。」
そんな回想に浸っていると、アナウンスがした。
ラッキービースト「マモナクじゃんぐるニ到着シマース。」
そうしてモノレールがジャングルエリアの駅に到着した。
4人が車両から降りると、ゴリラ達、ジャングルのフレンズが待っていた。
あの子は彼女達と話をしながら、ジャングルを見て回った。
さすがのラッキービーストでも整備し切れないのだろう、かつての道は草木が生い茂りすっかり埋まってしまっている。そのため草をかき分けたり倒れた木を乗り越えたりして進んだのだが、すぐに息が切れてしまった。子供の頃は簡単に木々の間を走り抜ける事ができたが、今ではとても無理だった。
ジャングルの奥へと進むと、研究所が見えてきた。ここも鍵は開いており、難なく中へ入ることができた。
するとそこには、研究に使われていたであろうコンピュータや、ヒトが入れるくらいの大きなカプセルが並んでいた。建物に電気は通っていたが、機器はどれもケーブルが抜かれていた。
他のみんなもここに入った事がないそうで、物珍しそうにキョロキョロとあたりを見回したり、キーボードを叩いたり、ガラスに映った自分の姿に手を振ってみたりしている。
ポイポイによると、既に全ての情報は電子データにして外部に移され、危険な物質なども処分されているため、もう誰が何をしようが問題ないのだそうだ。
あの子「触ると隔離施設がおかしくなるような事はないの?」
ポイポイ「ダイジョウブダヨ。施設ノこんぴゅーたハ完全ニ独立シテイルカラ、外部カラ操作スル事ハデキナインダ。」
どうやらこちらができるのは、外から見守る事と、アムールトラが起きたら察知する事だけらしい。
またある机の上には、白衣を着た黒髪の女性と、サーバルに似た緑色のフレンズの写真が飾ってあった。そして、それはカコ博士とセーバルだとカラカルが教えてくれた。
その近くの戸棚の中には、『アムールトラ』と書かれたファイルが何冊も置かれていた。開いてみると、その日の彼女の体調や実験の内容、研究者との会話や様子の変化などが細かく記録されていた。
興味深かったが、あいにくじっくり目を通している時間は無い。これくらいにしてここから出ようと思った時、ふと『約束』と書かれた付箋が貼られている一冊が目に留まり、あの子はそれを持ってゆく事にした。
研究所を出ると、みんなで駅に向かった。
その道すがら、彼を最後まで見送りたいと、ジャングルのフレンズ達も一緒にサバンナへ行く事になった。そしてみんなでモノレールに乗った。
それから行く先々で、彼はフレンズ達とエリアを回り、それが終わると一緒にモノレールに乗った。こうしてサバンナへ向かう頃には、車内はフレンズでいっぱいになり、とても賑やかになった。
明るい笑顔に楽しげな笑い声、外のヒトからは失われてしまったものばかりだ。
無気力な世界で暮らしている時は気にならなかったが、いきいきしているフレンズ達を眺めていると、彼にはこれまでの生活が酷く寂しいものに感じられた。
その時フレンズの陰から、変わってしまう前の姿をしたアムールトラが現れた。そして彼女は彼の前でかがむと、何かを呟きながら小指を伸ばした右手を差し出した。
ラッキービースト「ゴ乗車、アリガトウゴザイマース。さばんな、さばんなデス。オ降リノ際ハオ忘レ物ニゴ注意クダサイ。」
アナウンスがして、彼は目を覚ました。イエイヌとカラカルが心配そうに彼の顔をのぞき込んでいる。
イエイヌ「大丈夫ですか?」
カラカル「具合でも悪いの?」
どうやらあれは夢だったらしい。彼は落胆したが、それを2人に悟られないよう寂しげな笑みを浮かべた。
あの子「ごめん、うとうとしただけだよ。今日は早起きしたから、そのせいだね。」
モノレールがサバンナの駅に到着する頃には、日が傾き始めていた。そして車両から降りると、みんなで隔離施設へと向かった。
「アムールトラに会えるかな。」「あの子がいるから、起きるかもだよ〜。」「楽しみだね。」「感動の再会〜。」
みんなでワイワイ話しながら歩いていると、隔離施設に到着した。
それは相変わらず、周囲に威圧感を放ちながらそびえ立っていた。
カラカル「セルリアンの気配…。何度来ても、イヤな感じね。」
カラカルはこう言って眉をひそめた。なんでも縄張りの見回りも兼ねて、定期的にここを見に来ているそうだ。
あの子は施設の扉の前に立った。
この向こうにアムールトラがいると思うと、胸が高鳴った。
そして彼はそっと扉に手をかけた。もし今彼女が目覚めれば、すぐさまロックが外れ、ポイポイが知らせてくれる。
そんな一縷の望みを抱いて扉を力一杯引っ張ったが、扉は硬く閉ざされたままだった。
予想はしていたが、彼はがっくりと肩を落とした。だがどこかで、今の自分を見せずに済んで良かった、という気持ちがあった。彼はみんなに力のない笑顔を向けた。
あの子「どうやら、まだ眠っているみたい。」
カラカル「うーん、今日こそ起きると思ったんだけどな。」
イエイヌ「アムールトラさーん、大切なヒトが来てくれましたよー。」
他のフレンズ達も一緒になって、ひとしきり呼びかけた。しかし残念ながら、何の反応もなかった。
そうして、みんな後ろ髪を引かれる思いでそこを後にした。
そして、あの子が俯きながらポツリと呟いた。
あの子「さよなら、アムールお姉ちゃん。」
するとカラカルが、ポンと彼の背中を叩いた。
それはとても小さな声だったが、耳が良い彼女には聞こえていたのだ。
☆
こうして長い1日が終わり、とうとうお別れの時が訪れた。
一行はサバンナエリアのゲートまでやってきた。その向こうには、空港へと続く大きな橋が架かっていて、たもとには自動運転の無人タクシーが一台停まっている。
「それじゃあね。」「気をつけてね。」「忘れないよ。」
フレンズ達は口々にお別れの言葉を口にした。
あの子「ありがとうみんな。元気でね。」
イエイヌは、耳を伏せてしょんぼりしている。
イエイヌ「お元気で。」
その様子を見たあの子は、彼女の頭を撫でた。それからポイポイを抱き上げると、カラカルに手渡した。
あの子「ポイポイはここで、アムールお姉ちゃんを待ってて。そしていつか目を覚ましたら、迎えにいってあげて。」
ポイポイ「…ホントウニ、ソレデイイノ?」
ポイポイに聞き返されたのは、これが初めてかもしれない。けれども彼は、悩みながらもこう答えた。
あの子「…うん。もし何か聞かれたら、お姉ちゃんに僕の映像を見せて、心配しないでって伝えてよ。」
ポイポイ「ワカッタ。」
カラカル「しっかりね。」
彼は無言でうなずくと、ゲートに向かって歩き出した。
するとポイポイからメロディが流れ始めた。それはアムールトラとお別れする時、みんなで歌ったあの歌だった。フレンズ達はメロディに合わせて歌いながら、手を振ってあの子を送り出した。
そしてあの子もみんなに手を振りながらゲートを出た。
涙で潤んだ目でみんなを見ていると、またアムールトラが現れた。彼女はみんなの後ろで寂しげな顔をしながら、小指を伸ばした右手を差し出して何か呟いている。
不思議な事に、彼女の言葉は聞き取れなくても、何を言いたいのかは彼には分かっていた。しかし漠然としたイメージのみで、それが具体的に何なのか、どうしても理解できなかった。
やがて歌が終わると、彼女の姿も浮かんだイメージも消えてしまった。
あの子はタクシーの後部座席に乗り込みドアを閉めると、窓を開けて叫んだ。
あの子「さよなら、みんな!」
そしてタクシーは彼を乗せて走りだした。
しだいにその姿が小さくなってゆき、とうとう見えなくなった。
「行っちゃったね。」「寂しいね。」
フレンズ達は名残を惜しみながら、各々のすみかに帰っていった。
一方カラカルはポイポイを抱いたまま、イエイヌと一緒にその場に残り、橋の向こうを見つめていた。
カラカル「あんたは帰らないの?」
イエイヌ「大きな船が飛ぶところを見てみたくて。」
それを聞いて、カラカルは憂いを帯びた顔でイエイヌを見た。
カラカル「そっか。」
やがて日が沈みあたりが暗くなり始め、空に一番星が輝きだした。
ポイポイ「ソロソロ出発ノ時間ダヨ。」
その言葉が終わると、橋の向こうで一機の宇宙船が飛び立った。
イエイヌ「わあー、あれがそうなんですね。」
カラカル「あの子もあたし達のこと、見てるかな。」
2人が宇宙船に手を振っていると、宇宙船のそばに突然山が現れた。
カラカル「ん?」
イエイヌ「なんでしょう、あれ?」
すると黒い山に大きな目玉が現れて、宇宙船を睨みつけた。それは山などではなく、ドーム状の巨大セルリアンだった。そして体を震わせると、宇宙船を追いかけてグングン空へと伸びていった。
それを見た3人は、宇宙船に向かって必死に叫んだ。
ポイポイ「キケン!キケン!」
カラカル「捕まっちゃう!もっと高く飛んで!」
イエイヌ「危ない!早く逃げてください!」
3人の思いが通じたのか、宇宙船は一足早く空へと消えていった。
だがそれを追うセルリアンの体はどんどん細長く伸びてゆき、ついに先端が見えなくなった。それはまるで、一本の黒くて巨大な塔がそびえ立っているかのようだった。
ひとまず宇宙船が逃げられて、3人は安堵した。
ポイポイ「ヨカッタ。」
カラカル「びっくりした〜。なんなのあれ?」
イエイヌ「これまで見たことがないような、大きなセルリアンでしたね。」
ふと、カラカルの耳がピクンと動いた。誰かが橋の上を走って、こちらに向かって来る音が聞こえる。イエイヌも匂いで気付いた。
そちらを見ると、あの子が猫を抱き抱えながらこちらに走って来ている。そして彼の背後には、1匹の小型セルリアンが迫っている。
それに気付いた2人は無茶を承知で、彼を助けるためにゲートから飛び出そうとした。ところが徐々にセルリアンの体が砕けてゆき、薄闇の中に消えていった。
それからあの子が息を切らしながらゲートを潜り抜けてきた。そしてバッタリとその場に倒れた彼に、3人が駆け寄った。
イエイヌ「しっかりしてください、大丈夫ですか!?」
カラカル「一体どうしたのよ!?」
ポイポイ「キュウケイ、キュウケイ。」
彼はしばらくあえいでいたが、どうにか息を整えて起き上がると、これまでの事を話し始めた。
◯…思い出した! 〜 君との約束 〜
狭くて誰もいない車内で、あの子は頭を抱えながら自問していた。
『僕はどうして、パークに残るって言えなかったんだろう?みんな明るく接してくれて、あんなに楽しい時間を過ごせたじゃないか。そんなにあの星に移住したいのか?』
『いや、そうじゃない。そばに誰もいない生活なんて、考えるだけで耐えられない…!けどここにいようって考えると、頭の中に今のままじゃ駄目だって声がして、言葉が出なかったんだ。一体なぜだろう?』
いくら考えても答えが出てこない。すがるような思いで持っていたアムールトラのファイルを開くと、あの付箋が貼られているページに研究員とのこんなやり取りが書かれていた。
──アムールトラに、不安がないのか聞いてみた。すると彼女は笑いながらこう言った。
アムールトラ「もちろんあるよ。でもどんな明日が見えたって、やめるわけにはいかないんだ。あの子と約束したからね。」
──約束の内容は教えてくれなかったが、彼女は右手の小指を見ながら、とても嬉しそうな顔をしていた。
あの子『約束…?なんだろう?』
とても大切な事のはずなのに、どんなに頭を絞っても思い出せなかった。
キキィィイイ!!!
突然タクシーの前に何かが飛び出し、車が急停車した。
体が勢いよく前に倒れたが、手が塞がっていてあの子はとっさにかばう体勢が取れなかった。
そして目の前に座席が迫ってきたかと思うと、そのまま顔をしたたかぶつけた。鼻に激痛が走り、目から火花が飛んで一瞬気が遠くなり、はずみで今まで被っていた帽子が脱げ、下に落ちた。
するとあの子の体から黒い影が飛び出した。そして次の瞬間、彼の頭の中に大切な思い出が蘇ってきた。
あれは計画(プロジェクト)が始まる少し前の事だった。
あの子はアムールトラと原っぱに寝転がっていた。彼が質問をすると、彼女はじっくり考えながら答えてくれた。そして寝転びながら、真面目な顔で彼を見た。
アムールトラ「キミにもいつか、嫌な明日が見える日が来るかもしれない。けどね、今日を必死に生きるのをやめちゃ駄目だよ。でないと、良い明日には絶対にたどり着けないんだから。約束だよ。」
そう言うと、彼女は小指を伸ばした右手を差し出した。
それを見た彼はばっと起き上がると、はしゃぎながら彼女と指切りをした。
あの子「約束!」
するとアムールトラも、満足そうに微笑みながらこう言った。
アムールトラ「今の笑顔、忘れないでね。」
あの子はようやく、モノレールとゲートに現れたアムールトラの幻が、この事を伝えようとしていたと気付いた。どうして忘れていたのだろう。
今にして思えば、あの時すでに彼女は何かを決意しているようだった。そして危険を承知で自ら計画(プロジェクト)への参加を申し出た。
残念ながらその結果は芳しいものではなかったけれども、日に日に状況が悪化してゆく中でも、彼女は常に前向きだった。
では自分はどうだろう。子供の頃、彼はパークの職員になろうと考えていた。アムールトラの力になりたい、そんな思いがあった。
しかし彼女は長い眠りにつき、パークは閉鎖されてしまって、もう夢を叶えることはできないと思った。
それから彼は、その思いに蓋をして別の仕事に就き、目の前の事に集中した。けれどもそうしているうちに、いつの間にかその夢を忘れてしまった。
いつしか考えることをやめ、単調な日々を繰り返すようになると、どんな事にも心が動かなくなり、笑う事もなくなった。
しだいにそれを心地よく思うようになり、無気力な世界が広がっても、おかしいと感じなくなっていった。
改めて振り返ってみると、とても彼女に誇れるような人生ではない。だがたったひとつだけ確かな事がある。あの場所で、自分にとって最も大切なフレンズを待ち続ける事こそが、1番やりたかった事だ。
そしてあの子は右手の小指を伸ばした後、その手をギュッと握った。
『もう、絶対に忘れない!』
彼の心に、再び情熱の火が灯った。
すると鼻がズキンと痛み、あの子は現実に引き戻された。彼は鼻をさすりながら運転席に声をかけた。
あの子「ちょっと待ってて。」
そして車の外に出て前方へ回ってみると、一匹の猫がうずくまっていた。猫は彼の姿を見ると駆け寄ってきて、顔を膝にこすり付けた。どうやら怪我はないようだ。
あの子「無事でよかった。けどどうしてこんな所にいたんだろう?」
あたりを見回しても人影は見当たらない。
この猫は空港から逃げて来たのかもしれないし、あるいはパークで暮らしているのかもしれない。
どちらにせよここに置いてゆくわけにはいかない、と考えた彼は猫を抱き上げた。
「イカナイデ…イカナイデ…。」
突如背後からぞっとするような声がして、背筋が凍りついた。
振り返ると橋の真ん中に、彼と同じくらいの高さの影が揺らめいている。
それはひと抱えくらいの大きさのセルリアンとなり、丸い体の中央にある巨大な目をギョロつかせながら、彼に迫って来た。
あの子『早く逃げないと!』
彼はとっさにこう判断し、猫を抱いたまま運転席に飛び乗った。
そして機器をいじって手動運転に切り替え、Uターンして目一杯アクセルを踏み込むと、パークに向かって猛スピードで車を走らせた。
薄暗がりの中を、あの子はひたすら突き進んだ。遥か彼方に、サバンナエリアに通じるゲートが見える。
ふとバックミラーをのぞくと、あのセルリアンが追いかけて来ていた。車との距離は、だんだん短くなってゆく。すると彼の頭の中に、かぼそい声が響いて来た。
「イカナイデ…イカナイデ…。」
その声を聞いていると、体の力が抜け、何もかもどうでもよくなりそうになる。そしてセルリアンとの距離が縮まるにつれ、声は大きくなっていった。
彼は恐怖と戦いながら、必死にアクセルを踏んだ。
「イカナイデ…イカナイデ…オイテイカナイデヨォォ!!!!」
不意に、頭の中に絶叫が響き渡った。それと同時に、車がガクンと揺れて止まった。
振り返ると、背後のセルリアンから伸びた触手が車に絡み付いていた。いつの間にか扉もガッチリと押さえつけられている。
どれだけアクセルをふかしても、車はじりじりと引き寄せられ、セルリアンの声もどんどん大きくなってゆく。
もう駄目だと諦めかけたその時、腕の中の猫がじっと見つめているのに気付いた。そんな猫の温もりが、あの子に勇気をくれた。
彼は衝撃に備えて身構えると、思い切り車をバックさせた。
爆音を轟かせながら車はセルリアンに向かっていった。
ドン!!!
そして激しくぶつかった。車は後部が大破し、動かなくなった。
さしものセルリアンも面食らったのか、触手の拘束が緩んだ。
すかさず彼は体当たりをして扉をこじ開けると、運転席から飛び出して、猫を抱えながらパークに向かって必死に走った。
あれほど遠くにあったゲートが、もう目の前にあった。そこにはカラカルとイエイヌとポイポイの姿が見える。
セルリアンも追いかけてきているが、体が崩れ始めている。その時にはもう、あの声も聞こえてこなくなっていた。
あの子「そうして、やっとの思いでセルリアンから逃げ切れたというわけ。」
それを聞いたポイポイが嬉しそうに言った。
ポイポイ「宇宙船ニハ乗ラナカッタンダネ、ヨカッタ。オカエリ、オカエリ!」
あの子「ただいま。宇宙船がどうかしたの?」
カラカル「あれ見て。」
カラカルが指差した先を見ると、暗がりの中に真っ黒で巨大な塔がそそり立っていた。彼は事情を聞いて寒気がした。もはや宇宙船の無事を祈ることしかできなかった。
カラカル「危ないところだったのね。」
イエイヌ「戻ってきてくれて、本当に良かったです。」
あの子「ありがとう。そうだ、あの猫は?」
見ると、猫は近くの草むらでぐっすり眠っていた。それを見た3人は顔を見合わせて笑った後、体を寄せ合って眠った。
◯おはよう! 〜 新たな日常 〜
翌日から、あの子のパークでの生活が始まった。
昨日の暗がりでは分からなかったが、猫は真っ黒に汚れていた。
そんなわけでパークでの最初の仕事は、この子を綺麗にする事となった。早速洗ってみると、金色の毛皮のサーバルキャットだった。
そしてこの子はサバンナで、カラカルと過ごすこととなった。
あの子は宿泊エリアやセントラルホテルで寝泊りしながら、かつて職員夫婦がやっていたように、パークの清掃をしたり、ラッキービーストと一緒に施設を整備したりして過ごした。
中でもサバンナの隔離施設には毎日足を運んだ。
ポイポイと一緒に施設の周りを掃除しながら、壁越しにアムールトラに話しかけ、今日も起きなかったと肩をすくめて帰る、それが日課となった。
パークを歩いていると時折セルリアンに出くわす事もあったが、その都度フレンズに助けてもらった。またフレンズも、困ったことがあったら彼に相談した。
またでっかい箱に乗りたい!という要望が多かったので、彼はパークを回るついでに、フレンズと一緒にモノレールに乗った。
そうした利用が広まるにつれ、違うエリアのフレンズ同士で顔を合わせる機会が増え、自然と交流が深まっていった。
すると自分の縄張りだけでなく、他のエリアやセントラルパークで友達と過ごすフレンズが増えていった。また、ご飯を持ち寄ってレストランで食べたり、ホテルで休んだりと、施設が利用される事も多くなった。
月2回、彼は遊園地を開放した。その日はラッキービーストからお知らせを受け取ったフレンズ達がパーク中から集まって、1日中はしゃぎ回った。
こうして、あの寂しげな雰囲気が一変し、パークは笑い声の溢れる明るい場所となった。
ポイポイは、ラッキービースト達とやり取りしているうちに、彼らと同じようにフレンズと接するようになった。生態系の維持を原則とし、できるだけ介入を避けるため、ヒトの緊急時以外はフレンズと話さなくなった。言葉遣いや仕草もそっくりになり、色が違っていなければ、もう彼にも見分けがつかなかった。
パークには、ラッキービーストのメンテナンスをする場所もあった。フレンズが具合の悪いラッキービーストを連れてくるたびに、彼はそこで修理を行った。
とはいえ部品を交換する事は滅多になく、専用の機械にセットしてある程度休ませれば、大抵はそれで元気になった。
空港の黒い塔は、いつしかセルリアンのかけらで構成された輝くタワーとなっていた。彼は何度か端末を見てみたが、移住先の星から通信が届くことはなかった。
はたしてセルリアンは宇宙船を追って、あの星にたどり着いたのだろうか。
向こうでは撃退したかもしれないし、あるいはここと同じ光景が広がっているかもしれない。
◯セルリアンレポート
時折、彼は研究所を訪れた。ここはビースト計画(プロジェクト)以前はセルリアンの研究が行われていて、アムールトラ関連以外にも、沢山の資料が保管されていた。
そしてある日、こんな物が見つかった。もしも研究が続けられ、これが公表されていたら、世界はこうはならなかったかもしれない。
◉とある研究者の日記
A日
私の同僚に、異様にセルリアンを恐れる者がいる。なんでもその生態以前に、見た目が生理的に受け入れられないそうだ。
その事が彼のセルリアン研究の原動力にもなっているのだが、事あるごとに近くで叫び声を上げられるのには参っている。
まあヒトの価値観はそれぞれだ。私もゴキブリが大の苦手だ。
B日
このところ、彼がセルリアンを恐れなくなった。
それは良いのだが、あれほど研究熱心だった彼から、さっぱり意欲が感じられない。一日中、コンピュータの前でぼうっとしながら宙を眺めている。
話を聞いてみると、「怖くなくなったらどうでもよくなった。」そうだ。一体どうしてしまったのだろう。
C日
突然、彼が元通りになった。
どうゆう事かと訝しんでいたら、彼が私のところにやってきて、「昨日ベッドから落ちたら目の前に小さなセルリアンがいたんだけど、飼い猫が追っ払ってくれた。」と言った。
普段なら夢だと片付けるところだが、これまでの経緯は先日読んだレポートと妙に共通点があった。
◉そのレポート
フレンズはサンドスターが適切に供給されていれば、老いる事も死ぬ事もない。これはサンドスターが持つ、生物の状態を維持する働きのためだと考えられている。
パークには普通の動物も生息している。彼らはここで成長し、繁殖している。そんな彼らを眺めていて、ふと死体が見つからない事に疑問を感じた。
これについて興味深い報告がある。ある日、たまたまある職員が鳥の死体を見つけたが、それは全身が輝きに包まれたかと思うと、光の粒となって消えてしまったというのだ。これもサンドスターの力なのだろうか。
サンドスターもセルリウムも、パークから出ると力を失って消滅してしまうため、ここでしか直接観察する事は出来ない。
どちらも今の所、ヒトへの影響は無いとされている。
しかしセルリウムは、ヒトの体内に長い間留まり続けることが確認されている。しかもこの状態では、パークの外でもある程度の期間消滅することがない。また、強い刺激で体外に飛び出す事もある。これがセルリアンに変わる可能性も考えられる。
あくまで想像だが、もしヒトの体内でセルリウムが徐々に変異し、ヒトが持つ輝き、例えば情熱や希望、思い出などを積極的に取り込んでゆけばどうなるだろうか。
おそらく宿主はいずれ心を食い尽くされ、無気力になるだろう。
もしも変異したセルリウムが、何らかのきっかけで体外に飛び出し、ヒトの世界に適応したセルリアンが生まれたら?それが移動しながら変異セルリウムを大量にばらまいたら?
そうなってしまったら、最終的には全てのヒトが変異セルリウムの宿主となる。
その時世界はどうなっているのか。恐ろしくて考えたくもない。
◯待ってるよ、お姉ちゃん
それから数十年後。
あの子はずっとパークで幸せに暮らしていたが、今ではすっかり歳を取り、寝て過ごす事が多くなっていた。
彼は居住エリアで、イエイヌと一緒に暮らしていた。
時折フレンズが訪ねてきた。そんな時はアムールトラの事を話したり、ポイポイの記録映像を見せてあげたりした。
ある朝、あの子がベッドで目を覚ますと、イエイヌがやってきて、彼の顔をのぞき込みながら嬉しそうに挨拶をした。
イエイヌ「おはようございまーす。表に誰か来たみたいなので、ちょっと見てきますね。」
そう言うと、イエイヌは玄関から出て行った。彼は少し首を動かして、その後ろ姿を見送った。
話の途中から、彼にはイエイヌの声が聞こえなくなっていた。それになんだか、体の周りにキラキラしているものが見える。
彼はふうっと息を吐くと、枕元のポイポイに声をかけた。
あの子「おはよう、ポイポイ。」
ポイポイ「オハヨウ。今朝ハ気持チノイイ青空ダヨ。」
あの子「ごめんねポイポイ、僕はそろそろ、行かなきゃならないみたいだ。こんなことを頼むのは申し訳ないけど、どうかパークのみんなを見守りながら、アムールお姉ちゃんが起きるまで待っててあげてね。」
そう言い終えると、急に体が軽くなった。
気がつくと彼は子供の時の姿で空に浮いていて、体中が輝きに包まれていた。すると傍に職員夫婦が現れた。2人とも彼を見て微笑んでいる。
そして体が徐々に光の粒となり、少しずつ空に消えてゆく。
あの子「イエイヌさんが言った通りだ。」
そこから見下ろすと、家の窓から空になったベッドと、枕元で彼の方を見ているポイポイが見えた。
あの子「パークのみんな、今までありがとう。僕はずっと、空からみんなを見ているよ。そしてアムールお姉ちゃん、必ず帰ってきてね。いつまでも待ってるからね。」
3人は輝きとなって、風と一緒に空へと散っていった。そして、それをじっと見ていたポイポイがこう呟いた。
ポイポイ「マカセテ。」
しばらくして、何も知らないイエイヌが、2人のフレンズを連れて帰ってきた。
イエイヌ「あれ、ボスだけですか?一人でお散歩に行ったのかな。カラカルさんが新しいお友達と一緒に遊びにきてくれたのに。」
カラカル「元気があっていいじゃない。帰ってきたら、またお話を聞かせてもらいましょ。ね、サーバル。」
サーバル「うん!どんなヒトなんだろう、楽しみだなー。」
イエイヌのおうちの中に、彼女達の明るい話し声が響き渡った。
そして窓から穏やかな日差しとともに、清々しい風が流れ込んできた。
ポイポイはベッドの上で、その様子を静かに見守っていた。
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