第38話 化鳥、奮闘記7
英次郎は、ちらりと愛剣に視線を投げた。無銘だが手入れを欠かしていない剣は、英次郎の手によく馴染んでいる。
父や祖父も大小を差していたはずだが英次郎ほどに抜いてはいない。そもそも剣術の心得があるとも思えないのだが。
この刀、実は太一郎のところへ長らく差し出されていた。先祖代々佐々木家に伝わるものを差し出すなど言語道断である。
英次郎が、先祖伝来の刀が家にないことを知ったのはほんの数年前、父に連れられて新たな借財の申し込みに行った時だった。
父の様子がどうにもおかしいと感じた英次郎は、後日、一人で衣笠組を訪れ、借りている額を教えてくれと頭を下げた。太一郎は渋ったが英次郎の粘り勝ち、ついに帳簿を見せて貰うに至った。そこに記された金額の大きさ、借金をしはじめてからの期間の長さに衝撃を受けた。
金額は誰が見ても返済不可である。しかし英次郎がもっとも衝撃を受けたのは、大刀が差しだされていたことである。
「兄上の腰にあるあれはなんだ……?」
予備のものがあるとは思えない。
となると、考えられるのはただ一つ。
「ならば兄上は……竹光を差しておられるのか……」
武家の体面を気にした太一郎の方が慌てた。「これは佐々木家よりお預かりしているだけ、研ぎ直しに時間がかかっているだけ」といいはってくれたが、英次郎から見れば、兄や父が武士の魂を売り飛ばしたも同然である。
許しがたかったし、一刻も早く手元に取り戻したかった。
食べるものも食べずお絹と二人懸命に内職にはげみ、どうにか金子を掻き集めて太一郎の前に置き、刀を返してもらったのだ。その時に太一郎は英次郎とお絹の人柄に触れ、この親子を助けると決めたらしかった。
以来、何くれと武家の体面を傷つけないよう最大の心配りをしながら、佐々木家を助けてくれているのだ。
英次郎がそんなことを思い出している側で、太り過ぎの親分はきょろきょろしはじめていた。
派手な単衣はすでに汗を吸って変色している。腰に一本だけ落とし差しにした刀もやたらと重たそうである。
「……おっ、親分、辻駕籠はそこだ」
「かたじけない……しかし武家を歩かせてわしだけ乗るのは……」
「親分は、そこでとっくりとご遺体の回収方法を考えてくれ。それがしは、化け鳥の退治方法を考える」
丸々とした体をなんとか駕籠に押し込み、英次郎が「こちらだ」と先に立ち駕籠かきを案内する。兄弟なのかよく似た顔つきの屈強な駕籠かき二人が目を白黒させたのは、親分の重さが尋常ではないからだろう。
酒手を弾まねばならん、と、英次郎はひとり苦笑した。
果たして騒動の場はすぐにわかった。
木の枝に突き刺さる男の身体、屋根に無造作に投げ出された男。
「兄者、あれは何だ……」
先棒を担いでいた男の足が止まった。
「なんと……これまで見たためしもないぞ……」
駕籠かき二人の顔がみるみる青くなる。
絶命しているのは確かめるまでもない。首はあらぬ方向へ向き、身に付けた衣が朱に染まっている。しかし血の匂いがまったくしないのは、殺められた場所がここではないからだろう。
英次郎が、不気味がる駕籠かきに心付けを多めに渡して礼を述べると、二人は呼吸を揃えてたちまち遠ざかった。ひええ、と聞こえたような気もする。
「気の毒なことをしたな……重たいわしを運び不気味な出来事に付き合わせてしもうた」
そうこうしているうちにも、この屋敷の用人らしき人物や近くの屋敷の中間らが、かわるがわる見に来ては血相を変えて駆け戻る。惨さに耐えられないのだろう。
「気の毒に……英次郎、彼らを一刻も早く下ろしてやらねばなるまい」
太一郎が矢立を取り出して手早く文をしたためる。見物人の若い衆を何人か捕まえ、手紙を届けてくれるよう頼んだらしかった。
「英次郎、すぐに坊主や植木職人が来る。彼らが下ろしてくれるであろう」
「相分かった」
太一郎は、その被害に巻き込まれた屋敷へと近寄っていく。用人らしき人が親分に気が付き、話しかけてくる。用人の引き攣った顔が、親分と話すうちにすっと和らいでいき、仕舞いには泣き顔になり親分がその丸まった背を優しく支える。
「親分、配慮痛み入る」
用人が頭を下げ屋敷へ戻っていく。その背に向かい親分が深く深く腰を折った。
「英次郎、両人を引き取る許しを得た」
「そうか、もう少しの辛抱で家族の元へ戻れるのだな」
「うむ」
「それにしても、親分。いつ、どのように死ぬるのか、わからぬもの……」
「……そうじゃな」
「無念であったろうな」
言葉を交わしながら、太一郎と英次郎の目は、既に標的を捕捉していた。
この騒ぎを上空から見ている者があった。例の化鳥である。
急降下してきたかと思うと、ばさり、と、黒々とした両翼を広げて物見高い人々を威嚇した。
わっ、と人垣が割れる。
「親分、あの化け鳥、獲物をとられぬよう見張っているのだろうか?」
「そうであろうな。ひょっとしたら、我が子に食わせるのかもしれぬ」
ぎょっとしたように英次郎が太一郎を見た。
「化け鳥も子育てをするのか」
「無論、あれも生き物であるからな」
それもそうか、と、英次郎がため息をついた。
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