第31話 道場破り6

 竹刀や木刀を打ち合う音が絶えることのない道場、親分と近藤勇はそれらの音を聞きながら静かに座っていた。

「時に、師範。英次郎の剣術の腕前はいかがかな?」

「素晴らしいの一言に尽きる。我が道場一番の使い手沖田と互角か、それ以上。このような剣士が隠れているとは江戸は広い」

「沖田殿とはどの御仁でござろうか?」

「今、壁際で、英次郎どのに飛びかかる用意をしているあの子」

「ああ」

 あの天才か、と、太一郎は小さく頷く。腹に響く気合がし、沖田と呼ばれた青年が道場の真ん中へ躍り出た。それまで沖田に背を向ける位置で別の人物の相手をしていた英次郎は、振り向きざまに沖田の初太刀をしっかり受けていた。

 おおっ、と道場がどよめく。

 沖田はにっと笑って剣を手元へ引き付けると同時に英次郎の喉元めがけて突きを繰り出す。その尋常ならざる速度に、太一郎は眼を剥いた。そんな太一郎の目の前で、沖田の剣がまるで伸縮自在のように英次郎の喉元を立て続けに突いた。

「な、なんと! やはり沖田どのは天賦の才が……」

「いや、もう三段突きを出さねばならんとは、やはり、強いな」

「む……? 沖田どのは今の一瞬で三度突いた、ということかな?」

「左様。相手が相手ゆえ、もっと突いた可能性も捨てきれん。我らの目にはもはや見えぬ早業」

 太一郎の口がぽかんと開いた。そのまま瞬きをゆっくり繰り返したあと、肺腑が空になるほどの息を吐いた。

「いやはや……恐れ入った沖田どの」

「親分、すごいのは英次郎どのかな。実は沖田の三段突き、うっかりすると慣れ親しんだ我々でも三度目がかわしきれない。が、英次郎どのは初めての立ち合いで三度、四度とかわしている。己の必殺技が通用せず、沖田はそろそろ焦りが出るころ。短気でいけない」

 いつの間にか道場では、沖田と呼ばれた青年と英次郎、ふたりの立ち合いだけになっていた。他の男たちは、道場の端によって楽しそうに眺めている。

「……のう、師範」

「なにかな?」

「英次郎が反応せぬところを見れば……こちらには探し人はおらぬようじゃ」

「……ならば、我が道場にかけられた道場破りの嫌疑は晴れた、そう思ってよろしいか?」

「はい。無礼をお詫びいたす」

 親分が、まるで武家のように詫びた。

「ならば本物の道場破りはどこの誰か」

 近藤の疑問に、太一郎も首をかしげる。と、そこへ、近藤と似た年頃の男がやってきた。稽古着ではあるが、手ぬぐいも竹刀も持っていない。太一郎に軽く会釈をする仕草は間違いなく武家のそれである。

「近藤さん、ちょっと土方くんを問い詰めて、土方くんを恨んでいそうな人物を三人ほど、聞きだしてみました」

 これがその名前です、と、半紙に達筆で氏名と住んでいるところが書きつけられている。

「さすが山南さん、助かります」

「いえ、土方くんが道場破りをするとは思えず……」

 近藤が「トシとは一度、話し合わねばならんな」と腕を組んで呟く。

「それがいいでしょう。三人とも、あまり柄のよろしくない人物のようです」

 紙きれをじっと見ていた太一郎は、うん、大きく頷いた。

「まっとうな道場のまっとうな剣士たちが関わっていい御仁ではないことは確かじゃな……」

「親分は彼らをご存知か」

「師範、いずれもどうしようもない破落戸でな。決して関わらぬよう……この太一郎におまかせくだされ」

 太一郎は、彼らの名に覚えがあった。

 お上の目を掻い潜って散々悪事を働いている人物である。彼らは、何でもやる。怨みのある薬売りに成りすまして道場破りなど、可愛らしい方である。

 彼らを飼っているのは他所のやくざであるため、普段なら見て見ぬふりをするのだが、今回被害に遭ったのは英次郎のご近所、つまりは太一郎の縄張り内である。

 もはや、見て見ぬ振りはできない太一郎である。

「ここから先は、闇の世界を熟知する我らやくざ者が始末をつけましょう。皆さま方、どうかこの一件はご放念くだされ」

 近藤と山南は顔を見合わせる。自分たちに汚名を着せた人物を我が手で始末したいとの思いが滲んでいる。が、親分がやたら真剣な表情であることに気付くと、承知いたした、と答えた。

 

 そしてわずか数日後、大川に男の惨殺死体が浮かんだ。

「山南さん、大川に浮かんだ男は、身元も下手人も不明らしい」

「……あの二人組のどちらの仕事でしょうか」

「……刀傷を見てみないことにはわからないが……」

 その男は三日日本橋に晒されたあとひっそりと何者かによってどこぞに葬られた、と、読売が面白おかしく書き立てた。


 さらに数日後、また大川に惨殺死体が浮かんだ。やはり身元も下手人も不明のその男は、三日晒されたあとひっそりとどこぞに葬られた。刀傷の具合からして、前回のときと同一の下手人であろうと思われた。

「かっちゃん、この日……俺と総司はこの現場近くにいたんだ」

「でも、人斬りや、しってる人の気配なんてしなかったんだよね」

「ああ。人斬りの気配をさせず始末するたぁ……空恐ろしいぜ」

「きっとぼくらがまだ対戦したことのない剣士だろうね」

 と、沖田総司が呟き、山南と近藤には「下手人が誰か」わかってしまった。


 さらに数日後。やっぱり身元も下手人も不明の男の惨殺遺体が大川に浮かんだ。これまでと同様に三日晒されたあとひっそりとどこぞに葬られた。


 三件すべて、大変な怪力の凄腕の剣士が一刀両断した――としかわからず、江戸の人々は連続殺人かと震えあがったが、その後はぴたりと犯行が止んだ。

「……山南さん、やはり……」

「でしょうね。とんだ親分もいたものだ」


「親分! 親分!」

 ある朝、蝉よりもやかましい声が、衣笠組の戸を叩く。

「誰でぇ…‥って佐々木の兄ぃか! ちょっとまってくんろ」

 すっかり英次郎の顔と名前を覚えた幸太が、いそいそと大戸をあけてくれる。

「親分は奥ですぜ」

「かたじけない」

 英次郎は、懐から取り出した有平糖を少年の手に数粒のせた。

「うまいぞ。親分にとられぬよう、気を付けろ」

 躍り上がって感謝を述べる少年の頭を撫でて、英次郎は奥へと小走りに向かう。

「英次郎、早いな」

「親分、おじじの看板がな、今朝戻ってきた」

「おお、それはよかったな! 祝着じゃ」

 英次郎は、敏感に感じていた。親分が纏う気配が少し――これまでと違うことに。

「……親分、かたじけない」

「どうしたのじゃ?」

「いや、南町に無理を言って遺体の傷を見せてもらったときに、もしやと思った」

 何のことだ、と、親分は言う。

 が、人を斬ったことのある者は、相手が人を斬ったかどうかがわかるのだ、不思議と。

 きっと、この親分は誰にも告げず出かけていって、人々に害なす悪党を人知れず斬って捨てたのだろう。

 次は一緒に、と言おうと思っていたが、その代わりに英次郎は『お絹かすていら』を太一郎の目の前に置いた。

「おお、今日はまたえらく大量じゃな」

「おじじの看板が戻った祝いゆえ、母上が多めに持たせてくれた」

 かすていらを前にした太一郎は、童子そのものである。

「さっそく……頂きます……うーん、美味い!」

 

【了】

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