第25話 曰く付き長屋につき12
英次郎と太一郎が慌ただしく飛び出していったあと、清兵衛と亮吉は説教部屋に戻って向き合って座っていた。
「本当にうまく行くのでしょうか……」
「親分と英次郎さんに任せておきなさい。悪いようにはならないから」
殺しの下手人と疑われ、人質を取って立て籠もったおのれの先行きが明るいとは思えない亮吉である。
が、なるほど捕り方が踏み込んでくる気配はない。
「なるようになるもの。ほれ、どっしり構えて」
「はぁ……」
がらんとした部屋が、しんと静まり返る。
そこへ、ぐぅ、と、腹の音が響き、亮吉が赤面して己の腹をおさえた。
「おや。腹が減りましたかな」
「実はここ数日、まともに食うておらぬのです」
お待ちを、と清兵衛が素早く立ち上がったかと思うと、身を屈めて敏捷な動きで静かに小屋を出ていく。
この動きを親分や英次郎が見たならおやと思っただろうが、あいにく料理人にはそのような勘働きは備わってはいない。
程なくして戻ってきた清兵衛は、両手に食器や食べ物を抱えていた。
「なにせ、無骨な男の独り住まい、簡単な昼餉しか用意できませんがね……小料理屋で働いていたお人に食べさせるようなものじゃ、ござんせん。ようござんすね?」
切り傷が走った凄みのある顔で言われ、亮吉はがくがくと頷く。もとより食べ物にケチをつける気はない。食べられるだけで、ありがたい身の上なのだから。
「ま、そこへお座りなせぇ」
「へ、へぇ……」
清兵衛が、亮吉の向かい側にきちんと座った。
そして、玄米の握り飯が4つ、二人の間にどんと置かれた。二人分だろうか。無骨な握り方はいかにも男が握ったものである。
次いで、お椀に味噌と葱と湯がまとめて放り込まれ、味噌汁らしきものが出来た。これも、二つ。
「つけものは、この裏にある畑でとれた野菜を適当にぬか漬けにした……」
「……大家さんがぬか床の世話を?」
「ああ。子どもの頃から好物でな。食べるのが待ち遠しくて母上が作っているのを横で見ていた」
それに醤油をかければ、昼餉の完成だ。
「卵や魚といったものはないが、腹は満たされよう」
いただきます、と、二人の声が揃う。
いつの間にか、小屋の外は日常生活を取り戻したらしい。慌ただしく昼を用意する気配が漂う。
が、いつもならそれを気に掛ける清兵衛だが、今日は気にする素振りもない。
「……ちと物を尋ねるが」
「は、はひ!」
「そなたの……は、いや、今は聞くまい」
「はぁ」
「それよりな……ここの長屋の住民が、薄情だとは思わなかったか?」
亮吉の手が止まった。へ? と間の抜けた顔になる。
「大家が人質とられて、助けようとしない店子だ」
「へぇ、それは思いました。俺が言うのもどうかと思いますけど、日頃お世話になってる大家さんでしょう? 危機的状況なのに誰も助けようとしない。いくらなんでも、酷いや!」
そう、そうなのだ……と、清兵衛は眉間に皴を寄せた。
「亮吉、ちと、耳を貸せ」
「は?」
グイっと耳朶を引っ張り、何事かを吹き込む。
「どうだ?」
「ええ……しかし……それを今、実行するのはどうかと……」
なんだと? と、清兵衛に睨まれて亮吉は必死で頭を回転させた。
「なら、いつがいいと思う」
「だ、あ、せ、せめて……佐々木の英次郎さんが戻ってきてから……。ほ、ほら、今宵の襲撃がどうの、長屋の安全がどうの、と言っていたような」
確かにな、と清兵衛が肩を落とす。
「皆の安全が確保されてから、か……」
「へ、へぇ、それがいいかと」
と、そこへ、戸を叩く小さな音がした。
「豆蔵かな?」
凄みを綺麗に消した清兵衛が、おっとりと扉を開ける。ざあっと風が吹き込み、桜の花びらが吹き込んできた。
それが過ぎた後、そこには、緊張した面持ちの少女が立っていた。
「おや浮羽ちゃん、どうしたんだい?」
「大家さん、あのね」
「はいはい」
「若芽ってどうやって調理したらいいのかな、ってち、ち、父上が……」
清兵衛が一瞬目を丸くした後、笊に山盛りになった若芽を抱えて困惑している少女の頭を撫でた。
「そうかい。ちょうどいい、このお兄さん、料理が得意だから。手伝ってくれるよ」
え、と亮吉が目をまん丸にして戸口を見る。期待に満ちた少女の目が、きらきらと輝いている。
「わ、ほんとう? よろしくお願いいたします」
ぺこん、と浮羽が頭を下げ、つられて亮吉も頭を下げてしまう。
「ほら、行った。ただし、用が済んだらすぐに戻ってくるように。いいな?」
「は、はいっ」
このとき住人たちは知っていた。この男とその妻がほどなく、新しい住人になることを。殺人の濡れ衣を着せられた男など、ここでは特に鼻つまみ者になることもない。
このとき住人たちは、気付きもしなかった。
大家さんが、ささやかな意趣返しを企んでいることを――。
【曰く付き長屋・了】
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